2007年8月に、我が家の3番目の赤ちゃんは大学病院で生まれました。

帝王切開で生まれたので、私が術後の痛みと闘っていた4日め、

お昼前に小児科の医師が病室を訪れました。 

そして、「昨日、赤ちゃんを診察した医師です。

今日、自分は当直だから、何時になっても構わないので、

ご主人と一緒に赤ちゃんのいる部屋にいらしてください!」と。

私一人には話さないということに、事の重大さを感じ取った私は

「それは、命に係わる重大な問題ですか?」と聞きました。

「重大・・・う~ん、命には係わらないけれど、、、大事なことです。」と。

 

医師が去ってから私はなんだかわからない不安でいっぱいになり、

涙が溢れて止まらなくなってしまいました。

泣きながら頭の中はぐるぐるしていました。

(命に係わらないんだから、、、何かなあ???)

(耳たぶの形が上の子供たちと少し違うから、

耳に何か問題があるのかなあ???)

その位しか思い当たることはなかったのです。

 

連絡した夫は「とにかく、先生の話を聞かなきゃわからないよ!」と答えましたが、

私は夫が夜、病院に来るまで何が悲しいのか、

わからないままに涙・涙で過ごしていました。 
 

夜になり、夫が一人で病室に来て、

すぐに赤ちゃんの部屋で小児科の医師のお話を伺いました。 

それは「ダウン症の疑い」の告知でした。 
”ダウン症”って何???

その言葉にも馴染みがなかったところから、

我が家の3番目の赤ちゃんの子育てが始まったのです。

 

続きは、ダウン症と宣告されました②ダウン症の疑いの告知 の記事に綴りました。

 

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16年前、次男ごうきが生後4日目に

大学病院の小児科医にダウン症の疑いの告知をされたことについて、
あらためて綴ってまいります。
続き物になりますが、読んでいただければ幸いです。

ダウン症の告知についての体験談は、

9年前から、聖隷クリストファー大学 助産学専攻科にてお話しさせていただき、

4年前からは、浜松医科大学で非常勤講師としても授業をしています。