5月4日 夕張支線廃線跡探訪の第2回目です。
清水沢駅の手前にある踏切跡から清水沢駅跡構内を望むと、かつての広かったであろう構内を偲ぶことができました。
鹿ノ谷-清水沢
清水沢駅は三菱大夕張炭鉱・南大夕張炭鉱から石炭を運び出す三菱石炭鉱業大夕張鉄道線と北炭清水沢炭鉱専用側線が接続し多くの側線を有した駅でした。夕張に向かって右側に駅舎がありましたが、2022年11月に解体されてしまいました。その駅舎に接して大夕張鉄道の単式ホーム1面1線があり、4本の留置線を挟んで夕張線用の島式ホーム1面2線が長い跨線橋で結ばれていましたが、2005年には跨線橋は廃止され地上通路が作られました。
かつての側線跡を辿って行くとホームが見えて来ました。ホームには柵が張り巡らされているので、ホーム下からの撮影としました。
駅名標と乗り換え案内板か観光案内板でしょうか錆びついた枠と比較的新し目の枠が残されています。
かつて駅舎が有ったであろう場所からホームへの地上通路はそのまま残っています。
すぐそばにある跨線橋に上り、夕張方向と南清水沢方向をそれぞれ見てみます。
清水沢駅
清水沢駅から少し走ると、第7志幌加別川橋梁が見えて来ました。
かつて複線だった時代の橋脚・橋台が残っています。1919年に輸送力増加に対応するために複線化されたものの夕張鉄道の開業により輸送量が減少し1932には再び単線に戻ってしまいましたが、90年以上前の橋脚・橋台がいまでに撤去されずに残っているとは驚きです。
清水沢-鹿ノ谷 第7志幌加別川橋梁
鹿ノ谷に向かう途中に今度は第8志幌加別川橋梁が見えて来ました。
ここもまた、複線時代の橋脚・橋台が残されていました。近くに寄れないかと橋を渡って行ってみると、線路脇に出れそうでしたので、近くまで行って来ました。
錆びで所々剥がれていますが塗装記録表を撮影する事も出来ました。
線路脇に立つと橋の向こう側にトンネルが見えます。
複線時代のトンネルも塞がれずに残っているのが分かります。
清水沢-鹿ノ谷 第8志幌加別川橋梁
次回はそのトンネル跡の近くまで行けたので、その模様からお伝えしたいと思います。
夕張支線廃線跡探訪第2回は以上です。