
雨が降り出しても、私一人だけでは、何をやってもルナをその場から動かすことができなかった。
急きょ仕事先から娘が駆け付けてくれたが、全身が完全に脱力したルナは、想像以上に重く、降りきしる雨の中、運ぶのは二人がかりでも容易ではなかった。
それでも何とか無事に家の中に運びいれることができた。

その夜から翌日にかけ、当地は台風に見舞われた。
ルナは、意識がもうろうとした状態が続き、食事も水も薬も一切受け付けなかった。
初めて彼女におむつをあてた。
彼女は、されるがままにしていた。
翌23日火曜、思っていたよりも早く台風が駆け抜け、青空が顔を出した。
各地で洪水被害が報告される中、国道は大丈夫だろうと一縷の望みをかけ、昨夜から意識レベルが低下しているルナを車に乗せ、隣町のかかりつけの獣医まで連れて行った。
顔なじみの獣医にルナが直接会うのは、昨秋の背中の膿腫の治療以来、10箇月ぶりだった。
緩和ケアに入ってからは、ルナを医師に診せることなく、家の者が薬だけ受け取りにいっていた。
ルナは、医院に着いても相変わらず意識は混濁していたが、それでも、昨夜来の、荒くてとても苦しそうな呼吸は、穏やかな寝息に変わっていた。
ルナの症状を目の当たりにした医師は、こう告げた。
・危篤状態にある
・今日、点滴で栄養と薬を入れても、果たして今夜、もつかどうかは保証できない
・今日、この場での安楽死も選択範囲である。
飼い主さんが望まれるならば、反対しない。飼い主さんの決意次第だ。
・いずれにせよ、この先どんな治療をしても、それにより快方に向かうことは二度とない。
翌週の月曜、29日には、横浜から次男が四月に生れたばかりの初孫を連れて訪ねてくれる予定になっている。
運よく点滴がきいたら、それまでなんとか命をつなげることができるか、とも尋ねてみたら、来週月曜まではおそらく無理だろう、とのこたえだった。
昨夜、あれほど苦しそうだった呼吸が、病院では本当に穏やかになっていった。
このまま、安楽死させるべきではないか
延命措置をとっても、ルナを苦しめるだけてはないか
ルナの下半身の筋肉は、ここ数日間で、劇的に落ちてしまい、文字通り骨と皮だけになってしまっていた。
毎日そばに付き添っている私の目にも、日に日にルナがげっそりとやせ細っていくのが見て取れた。
量ってもらったら、体重は23kgまで落ちていた。
頭の中をいろんな思いが駆け巡った。
同行した娘は、医師の話を聞きながらただ泣いていた。
そもそもその日、ルナを医師のもとに連れて行ったのは、安楽死をさせるためにではない。
安楽死をさせる
その心構えが、私にも、娘にも、全くできていなかった。
病院から息子たちにも連絡し、相談した。
ルナの様子を直接見ることができない彼らにすれば、
なんとも言えない
判断はすべてママたちにまかせる
そう答える以外はなかったのも、当然といえば当然だ。
いずれにせよ、安楽死の決意をするには、もうしばらく時間が必要だった。
それは今夜かもしれない、明日かもしれない、でも、今、この場ではない、と思った。
ルナが少しでも苦しまないように、点滴をうってもらうことにした。
医師の提案もあり、自宅でも点滴できるように、やり方をその場で教えてもらい、三日分の点滴薬を処方してもらうことにした。
床ずれの対処策についても指導を受けた。
待合室に置いてあった、高齢犬の介護方法の本も、貸し出してもらうわけにはいかなかったが、排泄の介助をはじめ、必要と思われるページをすべてスマホで撮影した。
帰り道、ペットシーツなど必要なものを買い足してから帰宅した。

家の中に運び入れた後も、ずっと安静を保っていた。
夕方近くなり、ルナはとつぜん、自力で頭を上げた。
私を探し、私の姿を見つけ、安心してまた横になった。
意識がもどった

ルナの仕草を見て、今日、安楽死させないで本当によかったと、心から思った。
ルナの呼吸も、比較的安からだった。
頭をなでてやると、とても嬉しそうにしていた。

ママ、またママに会えてうれしいよ! 私、まだ頑張れるよ!
そんなルナの声が、私の心に響いてきた。
そんなルナが、いじらしくてたまらなかった。
ただ、鼻からは、ドロッとした血のりが絶え間なく流れ出ていた。
その日だけで、ペットシート一袋とキッチンペーパー2巻を使い切った。
