4月といったら日本では新学期のなにかにつけて
事が新しくはじまる季節のはずですが、
今年のエジプトでの4月は微妙な挫折感の
付きまとう すっきりしない出だしとなりました。
あの、一団がとおりすぎてから、家の近所の
パン屋さんに行く気がうせたり、、
ちょうど4月は季節がぐーーーっと夏になるよー
という移り変わりの季節で 体調を崩したりするわけです。
一緒に朝のウォーキングにいく 義理の姉さんも
ちょっと調子悪くて、朝一番元気な人なのに、
ウォーキングは無理だわって 朝の6時半に
電話かけてくるし。
3月に通いだしたモスクのクルアーンの暗唱は
やはりネイティブの人についていくのはかなり大変で。
少しおくれて、また遅れて、ついに一ページ遅れました。
そしてついに挫折。
もう少し自分のペースで意味を追っていきながら
ゆっくりすることにしました。
でもクルアーン教室に来ている人は、破れた服を
子供に着せていたり、子供の髪の毛はいつ洗ったのかと
いったぐらい絡まっていたりして、、
ある人は文字を追うのがようやくで、
先生に何度も読んでもらってそれを耳でキャッチして
暗記している人も結構います。
文字が読めなくてもクルアーンの暗誦はできるんだなーと思いました。
文字が読めると、文字の上についている、ファタハ、カスラ、ダンマ 、スクーンの
区別をはっきりと見分けることができるので、一度ここまちがってますよって
いわれると印をつけるなどして、かなり間違いの数をへらすことが
できるんですが、
文字が読めないと、間違ったところを目で確認できないので、
今度は耳で訂正された音を聞いて、自分の口でいって確認してもらうのですが、
一度こうだとおもって耳に入った音は なかなか 直らないようで苦労していました。
でも 先生たちもあきらめず、大きな声でなんども 同じところをやって、その人が
きちんと正しい音になるまで付き合います。
文字ばかりに頼ると、今度は なかなか音に集中できず、そうやって繰り返している
ときは、クルアーンを閉じて、耳と舌をたくさん使ったほうがいいかなーと思ったりして。
でも子供のころのように、音を数回きいただけで そらんじるなんていう芸当は
もうできないんですよね、、、
一番はかどるのは、言葉の意味をイメージに置き換えて、その一節を読んでいるときは
イメージの流れがうまくながれるようにすると、意識しないでも覚えたフレーズが
でてくるので、これがどうにかうまくいかないかなーと思っているのです。
喫茶店へ向かう道を歩いていたら、黄色い花がさいていた。ならとても楽にイメージ化できますが、
その日アッラーは彼らを一斉に甦らせ、かれらのなしたことについて彼らに告げたまう。
こういた一節をみたときにイメージ化しようとすると ロードオブザリング調におおげさになってしまいます。
あんまりにも暗記に時間をとりすぎて、気が付いたら トイレトレーニング中の我が息子が
大変なことになっていたりと、、、
もうちょっとまったりとやってみるのが今の状況には合っているようです。
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