
ルクソール西岸にある王家の谷と呼ばれるファラオが眠る場所があります。

王家の谷には歴代のファラオのお墓がたくさんあり、年代によって作りも様々…
ファラオの仕事のひとつに自身のお墓を作るってのがあって、そんなファラオのお墓を作る職人もいました。
今では職人さんの住む村も見つかっていて、その生活ぶりも分かるようになってきました。
その反面、それらを荒らし金品を略奪する墓泥棒もいたんです。
埋葬されるファラオと一緒に納められた副葬品は、ツタンカーメンの副葬品をみてもわかるように高価なものばかり。
ツタンカーメンの墓に収められていた金の総量は、発掘当時のエジプトの金保有量の2倍に相当したと言います。
他のファラオと言うと、黄金マスクはおろか、金で作られた副葬品のほとんどが略奪され、残っていません。
王墓に収められていた財宝は、墓泥棒たちによって、根こそぎ持ち去られてしまったのです。

ここからは、墓泥棒を家業としていた一家の話です…
墓泥棒はピラミッド建設に従事した労働者やその家族など、墓の情報に接することができた限られた人による「世襲の専門職」だったという。厳重に秘密が管理されていた墓を探し当てて、財宝にたどり着くためには、特別な知識とノウハウが必要だった。
1881年、エジプト考古局はアブドル・ラスールという男を逮捕。骨董市で非常に価値の高い王や王族の副葬品が出回っていることを掴んだエジプト考古局は、売主がラスールで、秘かに未盗掘の墓を発見して、副葬品を少しずつ売りさばいていたことを突き止める。
ラスールの一族は、紀元前13世紀頃から墓泥棒を家業としていて、盗掘現場の「実況見分」を進めて行く過程で、未知の墓が次々に出てきて、エジプト考古局の担当者を驚愕させる。墓に財宝はほとんどなかったが、ラスールは考古学の発展に寄与したとして、処罰を免れたばかりか、賞金までもらったという。(これ、ほんと!?)
墓泥棒によって徹底的に荒らされてきたエジプトの王墓の中で、ツタンカーメンの墓が盗掘を免れたのは、実権を固める間もなく18~19歳ほどで死去したため、歴史に埋もれた存在だったからだと言います。ツタンカーメンの黄金のマスクは、「青年王」の面影を感じさせるが、強大な権力を持っていた他のファラオたちの黄金のマスクは、そして財宝はどれほど豪華だったのか想像もつかない。
しかし、盗掘された金の財宝の多くは、溶かされてしまった。(金の融点は1064℃で、鉄(1535℃)などに比べて低く、溶かして再加工することが容易でした)
こうしたことから墓泥棒たちは、足が付かないようにと、盗み出した金の財宝の多くを早々に溶かしてしまったと考えられています。
黄金のマスクの価値は200兆円とも300兆円とも言われてますが、金の価格を1g=5000円前後と考えると、溶かした場合の価値は5000万円程度に過ぎない。墓泥棒が現在の時代に生きていたとすれば、溶かしたりせずに世界中で展覧会を開くことで、巨額のお金を手にしたことだろう。「専門職」だった墓泥棒たちは、大きなビジネスチャンスを潰してしまった。