小塚くん、銀メダル&GPF進出おめでとう!!

ご本人は満足できない演技になったかもしれませんが、どんな時でも大崩しないというのもトップ選手の条件。
それを満たしてファイナル進出を決めた小塚くんは凄いと思います!
その踏ん張ったFSや素敵EXの感想も書きたいのですが、昨日のファミヒスがとても良かったので先に書きたいと思います。
出演者も知らない家族や祖先の秘話を掘り出し、本人のルーツを探ろうというドキュメンタリー。
今回は小塚くんのおじい様、光彦さんとスケートにまつわる話が中心ということでしたがその前にこちら。

前日の番組表に表れたジミヘン小塚くん♪懐かし~(^^)

光彦さんのVTRを見る前の小塚くんwith嗣彦先生。
何が出てくるか、やっぱり緊張しますよね~。
私はまず「この収録時の服装かっこいい
」となってましたが(^^;)
小塚家の家系図。
見事に「彦」が並んでます


小塚くんのこの顔(笑)やんちゃっぷりが見てとれますね~。
でもおじい様には可愛くて仕方のない孫だったのでしょう。
それは小塚くんにとっても同じ、本当にいいおじいちゃんだったのだと思います。
今回の映像には光彦さんの葬儀もありましたが、小塚くんは花を添えながら涙をぬぐっていました。
彼がどんなに試合で失敗しても、公の場で泣いているのを見たことがなかったので、思わずもらい泣き(ノ_-。)
この次の日も笑顔でアイスショーに出演していたと思うと、ただただ凄いと思います。
スケートを愛していた光彦さんも「それでこそ自分の孫だ」と誇らしかったのではないでしょうか。
光彦さんが満州に渡ったのは17歳の頃。若い!
政府の広報活動に携わり、満州はいいところだよ~というのを広めるための写真を撮っていたようです。
そしていよいよスケートとの出会い。
冬の満州の一大娯楽、スケートを撮影に向かった光彦さん。
リンクである女学生に一目惚れ。
彼女と一緒に滑りたい一心でスケートを始めます。
女学生の名は瀬戸初子さん。
初子さんは今もご存命。
光彦さんはとても芸術的な写真を撮る人だったと。

確かにちょっと視点の違う、アーティスティックな写真ですね。
彼女に恋した光彦さんは彼女の写真を集めた写真展を開き、そのことで想いを伝えようとしますが、残念ながら玉砕><
初子さん曰く、男女というよりお兄さんのように思っていた。
うぅ、せつない・・・。でももしここで光彦さんの恋が実っていたら小塚くんはいなかったということに。
そういう意味では良かったような、複雑な気分(^^;)

こちらの写真も素敵~♪光彦さんの写真、全部見てみたいです。
失恋、さらに初子さんの引っ越しで落ち込んだ光彦さん。
その気持ちをスケートでまぎらわそうと練習に励みます。
そこに表れたのが2人目のキーパーソン、中村公正さん。

既に選手として実力者だった中村さんの指導を受け、光彦さんもどんどん上達していきます。
この中村さんの考え方「スケートは基礎が大事」、これが小塚家三代のスケートの根底にあるのでしょうね。
良い仲間を得てますますスケートにのめり込んだ光彦さん。
そこに札幌オリンピック開催という知らせ。
オリンピック出場を目指し練習の日々を送ります。
ところが戦争の激化によりオリンピックが中止に。
またもや落ち込む光彦さんに、中村さんが「あきらめるな」と声を掛けます。
中村さん、強くて素敵な人です。
数年後、またもや戦争が勃発。
何と中村さんが召集されてしまいます。
戦地に赴く前、彼は光彦さんに言い残します。
「オリンピックをあきらめるな。子や孫に夢を託すこともできる」
そして南方で短い生涯を終えることとなってしまいました。
中村さんだけでなく、過去戦争によって自分の人生をまっとうできなかった人がどれだけ居たかを思い、何ともやるせない気持ちになりました。
何十年も経った時代に生きていてもそう感じるのですから、同じ時代を生きた光彦さんはどれだけのつらさや重さを背負って生きてきたのか想像がつきませんね。
ここまでを見た小塚くん、光彦さんのスケートを始めた動機を単純、と笑っています(^^;)
そして小塚家は基本的に単純というお言葉が(笑)
中村さんの話は聞いたことがなかったそうですが、おじい様は中村さんの果たせなかった思いというのも含めてスケートを大事にしていたのではないか、と。
戦争が終わり名古屋に帰ってきた光彦さん。
生活のため酒屋を始めるかたわら、スケートの普及に力を注ぐ日々を送ります。

まずは他のスケート愛好者とともに愛知スケート連盟を創設。

さらにリンクの無い愛知県に常設リンクを作るべく、地元企業などに協力を求め奔走。
はんぱない行動力

しかもたった5年でリンク創建に至るという早業!
今では「大須のリンク」として有名なこのリンクに光彦さんが関わっていたこと、小窓の表情を見る限りでは小塚くんも知らなかったみたいですね~。

さらにさらに大学の先生にスケートの教授法を習いに行き指導書を作成。
何だか分かりやすそうな指導書、読んでみたい(^^)
この行動力に探究心、まさしく小塚くんに受け継がれている資質ですよね。
愛知チャリティのために市長さんに会いにいったり、大学院でジャンプの研究をしたり・・・。
光彦さんの情熱はしっかり小塚くんの中にも根付いているんだなぁ、と感動。

リンクが出来てからも光彦さんの活動はとどまるところを知らず。
親子連れを見ては声をかけ、無料で子供たちに教える。
そんな光彦さんの指導を受けた生徒の一人が山田コーチでした。
生徒に対し子供扱いせずアスリートとしてびしばし教えていたようで、山田コーチにはちょっと退屈だったそう(笑)
でも愛知スケート連盟と競技人口の底辺拡大に、とても大きな影響を与えた存在だったのは確かなようです。

今回、初めて見る貴重な映像がたくさんあったのですが、これもその一つ。
昔のコンパルソリー競技の様子。
ジャッジがじ~っと見つめる中、音楽もなく慎重に円を描いていく。
これは地味ですね

しかも選手の緊張も相当なものになりそう。
今では無くなってしまった競技の様子をかいま見ることができ、今の選手でお遊びでいいからやってみて欲しいなぁ、なんて思ってしまいました。
私の希望はともかく、このコンパルソリーこそが小塚家のスケートには欠かせないもの。
山田コーチと同じ頃スケートを始めた(やらされた)嗣彦先生も徹底的に叩き込まれました。
しかも教え方は超スパルタ!
すぐに鉄拳が飛んできた(by嗣彦先生)うえ、上手く出来ない嗣彦先生を見た光彦さんが悔しさのあまり歯を噛みしめ顔を腫らしてしまうという怖ろしい光景まで

嗣彦先生がスケートやりたくなくなるの分かりますね~(^^;)
それでも才能があった嗣彦先生は国体3連覇!
さらに全日本王者にまで上り詰めます。

全日本の6分間練習かな?
こういうのは今と雰囲気変わらないですね~。

アクセルの入り方が小塚くんと同じだ!面白い!!
これは小塚家の教え+佐藤家の教えですよね。
確かグルノーブルの時は嗣彦先生は信夫先生がコーチでしたし。
う~ん、何か佐藤家のファミヒスも見てみたいなぁ。
全日本を制し、光彦さんが嗣彦先生に託したオリンピック出場の夢がかないます。
が、結果は21位。
やはり世界の壁は厚かった。

オリンピックが今よりもっと「国の代表」として厳しく見られていた時代ですものね。
帰ってくるのが怖かったとしても不思議じゃない。
この息子の惨敗を経験し、またもや落ち込む光彦さん。
ただ今回は自力でそこから一念発起、当時世界トップを走っていたソビエトに目をつけます。

先手先手を打つ男
かっこいいですね。数年後、光彦さんは日本選手団の引率としてソビエトに行く機会を得ます。
これを逃す光彦さんではありません。
まずは町のリンクを見学。
そこにいる子供たちのあまりのレベルの高さに驚き、いつか日本もこのレベルにしてやる、と誓います。
そしてソビエトの関係者との晩さん会。
ここでロシア語でスピーチをし、ロシアンのハートをつかみます。

3年後、とうとう大須のリンクで日ソフィギュアエキシビションが開催。
初めて世界レベルの演技を見た人たちは嬉しかったでしょうね~。
今のようにJスポも無いし(笑)外国のスケートを見る機会なんてそれこそオリンピックぐらいだったのでは。
(この大会は後のNHK杯になったはず。そう考えると無謀とも言えるソビエトとの交流に成功した光彦さんの存在は、日本フィギュア史という目線で見ても大きいものなんですね。)

そんな時代でもすでに投げ込みは存在してたのにビックリ!
マダムっぽい方がお花投げてる~(^o^)

大須のリンク、激混み(^^;)
地道な活動が実を結んだ結果ですね。
このリンクでは番組でも紹介された伊藤みどりさんや美姫ちゃん、真央ちゃんも滑っています。
やっぱりリンクが近くにありいつでも滑れれば、それだけたくさんの子供が集まり、ひいては才能のある子供を見出す率も高くなります。
底辺の拡大は競技を強くしていくのに遠いようで一番の近道なのかもしれませんね~。

小塚家に起こった嬉しい出来事。嗣彦先生の結婚♪
幸子ママ、綺麗ですよね~


そして小塚くんの誕生。
スケートやりたい、と自分で言い出し始まった練習の日々。
もちろんまずはコンパルから(^^)
チビ彦くんがバックに進めなくておしりフリフリしてるのを微笑ましく見つめる現在の崇彦くん。
何か面白い♪

これが出来たら次はこれ!と先を見ている人だったと小塚くんも言ってました。
限界を決めず止まらないところも似てますね。



バンクーバーでの小塚くん、完璧では無かったしメダルにも届かなかったけど、本当に素晴らしい演技でした。
会場が一体になったのが画面から伝わってきたのは初めてだったかも。
たくさんの想いを背負いながらも、そういう演技が出来るのが小塚くんの強さだと思います。
ここでVは大体終わりですが、その合間に小塚くんの感想がちょこちょこ入り、
彼ならではの名(迷)言がたくさんありました

「基本的に小塚家は・・・単純で負けず嫌い」(ははは
ちょっと分かるかも)「サラブレッドサラブレッドって・・馬じゃねーし」(やっぱり思うよね~。でもこれからも言われそう)

馬じゃねーし、の発言に受けるパパ彦さん(^o^)
「小塚家にしか伝えられないものもあると思う」(うんうん!)
「フィギュアスケートは観るスポーツってなってるけど、やっても楽しいんだってことを伝えたい」
(分かる!小塚くんを見てると自分も滑りたくなる)
泣けるVの後に小塚くんが珍発言をするので涙が引っ込んだりもしましたが、
小塚くんの話し方は独特でストレートなところがいいなぁと思います。
ウケを狙ったりもするけど、それは相手を楽しませたいという気持ちから出ることがほとんど。
いつも基本的に
自分の気持ちを真っ直ぐ表す語り口が好きですね。(あれ?要するに単純てことかな?)
番組はここで終わりかと思いきやおまけが。
小塚くんの活躍を見て、もしやと光彦さんに連絡をくれた人がいました。
満州で会ったあの初子さんです。
70年ぶりに初恋の人と話が出来るなんて、光彦さんは想像もしてなかったでしょう。
残念ながら再会できずに光彦さんは亡くなられてしまいましたが、何と今年のザアイス日光公演に初子さんが見にきていたのだそうです。

終演後、小塚くんと対面。
よく頑張ったね~、と感極まった様子。
ありがとうございます、ほんとに・・・と小塚くん。
初子さん、テンション高いですね~。91とは思えない若々しさ


初子さん&お友達と記念撮影。
光彦さんだけでなく、光彦さんに関わった人にまで暖かいものを残すことが出来るって素晴らしいですね。

文春に寄せた光彦さんの手記から。
「私が満州時代に描いた夢は、いつしか子孫という枠を超えて実現されているのかもしれない」
日本がここまでのフィギュア大国になるなんて、昔の光彦さんには想像もつかなかったでしょうね。
損得ではなく、ただ夢のために動いたことが、これだけ大きなものを生み出す結果になった。
真っ直ぐな情熱の勝利だったのだと思います。
最後は小塚くんの言葉で締め。

「スケートが好き、っていう気持ちを忘れないように、みんなに伝えられるようにやっていきたい」
今シーズン一貫して言っているこの言葉。
多分小塚くんの根っこにある大切な気持ちなのだと思います。
選手である以上成績も重要ですが、小塚くんのスケートを形作っているこの気持ちを胸に、
これからも優しく力強く美しい小塚くんらしい演技を見せていって欲しいです。
彼のスケート道、人生を応援しています。