平成の終わりに思うこと | 名前のない虎 【2015/6/5から運転中】

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ビビリのモコ、アイラインのマム、凜々しいカズネ、お転婆ナナヒメと
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と人間のブログ

 

 自宅警備員になりました 虎 です。

今日はつまらない話を長々と書きました。

 

昭和37年頃の私と父母妹です。大きくなったら、

カウボーイか(ローハイド)、忍者か(隠密剣士)、医者か(ベンケーシー)

理論物理学者(湯川秀樹)になるつもりでした。

どんだけテレビっ子でお調子者やという感じです。

 

 

お話ししたかったのは、そんなことではありませんでした。

今上陛下と皇室ご一家のことです。

自分は天皇制に特に賛成でも反対でもありません。

それがなんでまた、皇室のお話かというと、

きっとウチの理想だったと思うからです。

 

 

 

小さい頃のことを思い出すと、

 

小ぎれいな格好をさせられ、

ピアノやお習字、英会話などの習い事。

 

海で父から水泳指導、

キャッチボールやテニス卓球などのスポーツ。

 

 

一人で乗り換えのある路線に乗って、

一週間、小学校1年生お一人様で里帰り。

失敗しても、こけても、泣いても、

自分でリカバーできるまで放置プレー。

 

大人になって考えてみると、

これってモデルがあったんですね。

 

 
令和の天皇になられる今の皇太子様です。
うちの父母は、今上天皇のご一家をモデルにしていたようです。
まあ、できあがった人間は比べるべくもありませんが。(^_^;)
こんなことですよ!
 
 
父方の祖父母は見たことがありません。
父が小3のときに結核で亡くなったそうです。
その後、祖父の姉たちと曾祖父が育ててくれたそうです。
 
妹が手を引かれて養女に行く話を時々していました。
まだ小さい女の子が都城の姫城町の坂を登っていく様子です。
 
 
母方の祖父も見たことがありません。
母が3歳の頃、ノモンハン事変で戦死しているからです。
自分が泣いているのが分からなかったと話したことがあります。
自分は戦争には絶対反対なのですが、
祖父のように死にたいと思っていました。
 
戦争に美談はつきもので、
ノモンハン美談録という本に祖父の美談があります。
まとめてくださっている方がおられて驚きました → こちら
 
お調子者なので、鉄腕アトムのように
他人のために生きて、他人のために死にたいと思いました。
今でも、そう思っていますので根は深そうです。(>_<)
 
 
家族や家庭をよく知らなかった父母がモデルにしたのが、
当時の皇太子ご一家だったのだと思います。
そして、私が次の陛下、当時の浩宮様。(相当無理があります)
 
天皇が象徴、というのはウチにとっては理想の家庭と言うことでした。
アメリカで言うたら「パパはなんでも知っている」みたいな。
 
しかし、理想は理想でしかなく、今ではこんなこと。
 
ただ、モデルがあるというのは楽な気がします。
合わないところだけ修正すれば良いからですね。
 
逆に、モデルになる方は大変です。
批判されるだけされることになりますよね。
60年以上モデルをされた今上天皇ご一家に感謝です。
 
浩宮様が即位されるということで、こんなくだらない長文になりました。
 
今日は、こそっと吉っちゃんにお尻をくっつけた小っぺでお別れです。
顔が大きいのは、デフォルメでも特殊レンズでもありません。
小っぺのチャームポイントですから笑ってはいけません。(*^ω^*)
誰、リアル ツムツムとか言うのは。

 

 

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