特別な思い入れ
2ndバイオリンの加藤です。
ついに本番まであと1週間となりました!
個人的な話になってしまいますが、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」には、
ある種の特別な思い入れがあります。
学生時代に、近しい人を亡くした時。
所属していた大学オケで、丁度そのシーズンにやっていたのが悲愴でした。
当時は悲しみに暮れる一方で、
(少し不謹慎ですが)「死」が大きなテーマとなっている曲を演奏するにあたっては、
今この気持ちを味わえたのはまたとない絶好のタイミングなのでは、とも思いました。
チャイコフスキーに今の自分を重ね、曲の真髄に迫れるのではないかと。
結論から言うとこの目論見はあまり上手くいきませんでしたが…。
というのも、思うにチャイコフスキーが恐れていたのは、"自分自身の死"。
対して、当時の私が何よりも悲しんでいたのは"他人の死"。
重ねるのには少し無理があったようです。
しかし、一部の解釈には少し変化がありました。
例えば死の気配が特に濃厚な終楽章では、悲痛な叫びを思わせるメロディが多数あります。
この叫びは、チャイコフスキー自身のものだけではなく、
遺された人々の嘆きでもあるのではないかと思うようになりました。
そしてその嘆きの声は、次第に大いなる安らぎへと変わっていきます。
きっとチャイコフスキーにも、自分の死を嘆いてくれるであろう人がいたのでしょう。
その幸福が、孤独な死の恐怖をほんの少し和らげてくれます。
また、死は救済でもあります。
生きることの苦しみからの救済です。
嗚呼、でもやはり死は未知で怖い!あの人生の栄光、生の喜びは手放したくない!と嘆くチャイコフスキー。
葛藤をよそに、容赦なく迫る死の運命。次第に弱まっていく心臓の鼓動…。
…あくまで個人的な悲愴のイメージですが。
人生であれほど「死」と向き合った日々はありませんでした。
その日々の中で、名演と呼ばれる演奏を手当たり次第に聴き漁った「悲愴」もまた、
私にとっては特別な思い入れのある曲なのです。
少し重い話になってしまいましたが、今回のプログラムの曲柄に免じてご容赦いただければ幸いです。
そして、是非とも10/13は渋谷区文化センターへお越しください。
我々の思いの丈のこもった演奏をお届けいたしますので、共にチャイコフスキーの最期の傑作に浸りましょう。