中華思想と柵封体制の副産物・「小中華思想と朝鮮の事大主義」 |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ

こんなアホな思想と主義について自分でテキスト興して説明するのも面倒なので、ウイキペディアからコピペしてチョチョイと編集して紹介する形にしよう。というか理解できないので自分の言葉で説明する自信がない。

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小中華思想
小中華思想(しょうちゅうかしそう)とは朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり、自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。

朝鮮では中国王朝に従い、積極的に中華文明つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受容し、中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択した。朝鮮は本来の華夷秩序においては夷狄に相当するものであったが、自らを「中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとしたのである。

自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として他者化することも意味していた。この自らを華、周辺諸国を夷とする姿勢は、文化的優越主義に止まらず政治的地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ「朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させている」と解釈しようと志向した。

朝鮮のこうした積極的な中華文明受容の姿勢は、中華に同化することを目指したものであることから、同時に朝鮮独自の文化の発展を阻害することになる。

一例を挙げると、李朝前期の世宗が朝鮮独自の文字、ハングルを制定しようとしたとき、官僚を含む知識人階級から「捨中国自同扵夷狄」(中国を捨て夷狄に同化する)行為だと反発を受け、ハングルは李朝末期に至るまで諺文と呼ばれて蔑まれ正規の文字になることはなかった。

しかしこういう考えは朝鮮のみで、古代中国での朝鮮の位置づけは日本や琉球王国よりもはるかに下とされており、国家としての認知すらされていなかった。これは、倭には金印が、琉球王国には銀印が贈られたが、朝鮮には贈られていないことからも伺い知る事が出来る。

(読んでるだけで頭がおかしくなる。)詳しくは→ wikipedia.org/wiki/小中華思想

事大主義


事大主義(じだいしゅぎ)は、大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策のひとつでもある。中国で儒教が国教化されると華夷思想に基づく世界観が定着し、またその具現化として冊封体制、周辺諸国にとっての事大朝貢体制が築かれることになる。

東アジアの歴史に於いて中国への事大主義と小中華思想は複雑な緊張・影響関係を保った。

冊封体制による外交を「事大外交」と呼ぶ場合があり、この意味では新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、中国大陸の中原を制した国家に対して事大してきたことになる。しかし中国王朝への朝貢しつつも、新羅や高麗は中国王朝との対決や独自の皇帝号の使用なども行い、硬軟織り交ぜた対中政策を取った。

李朝の場合は、その政策は『事大交隣』といわれ、事大主義が外交方針として強いものだったとされる。李朝を開いた李成桂は、「小をもって大に事(つか)ふるは保国の道」と唱えて、明との開戦を決定した当時の高麗政権を倒し、明王朝を開いた朱元璋もこれに応えて李朝建国直後の1392年に「声教自ら由らしむ」ことを条件に独立を保証する事を約した。

李朝の事大主義は伝統的な華夷秩序で合理化された。李朝における華夷秩序は、自らを中華に並ぶ文明国とする一方で、政治的には明に事大する臣下と位置づけていた。

17世紀、女真族の清朝が漢族の明朝に取って代わり中原支配を確立させると、李朝はそれまで夷狄、禽獣と蔑んできた女真族に中華を継承する資格を認めず、李朝こそが唯一の中華文明の継承者だと自負する。 (なんでこうなる??)

しかし、現実には清朝に抗い難く、李氏朝鮮王は三跪九叩頭の礼をもって、女真族の清への臣従を誓わされることになる。李朝末期には政変が起きるたびに、清、露、日、米などさまざまな国に事大先を変え、国内の統一が取れなくなり、ついには日本との併合を余儀なくされることとなった。


(こんなだから未だに半島統一ができてない。)  詳しくは→ wikipedia.org/wiki/事大主義
(朝鮮半島の独立は1943年11月のカイロ会談で、蒋介石・ルーズベルト・チャーチルにより声明されていた。)
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カテゴリーは「歴史教科書より」に分類いたしましたが、これを日本の歴史教科書に記載してほしいとは思わないです。朝鮮半島史なんて世界史の中では全く重要ではないから。

参考過去記事 ↓

 朝鮮半島に関する知識は受験に必要なかった
http://ameblo.jp/egiihson/entry-11052136999.html


日本の学校教育で「柵封体制」を教えないのは教育問題
http://ameblo.jp/egiihson/entry-11132808855.html


ただ当該国では、自分たちの国の歴史は正しく教えてほしいものである。今の国家は絶対教えてないね。これからも絶対教えないよね。国民は用語さえも知らないんじゃないの?





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銅板:清朝皇帝(ホンタイジ・太宗)に三跪九叩頭する李氏朝鮮王(仁祖)。銅板はソウル市内のどこぞに屈辱の記録として残してあったらしいが2008年に撤去された。・写真は後代の別の人物のものです。たぶん19世紀後半



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迎恩門(げいおんもん)とは、朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門。日清戦争後、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。 こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し1897年、新たに独立門を同じ場所に建てた。

詳しくは →  wikipedia.org/wiki/迎恩門 

現代の韓国人はこの門を日本からの独立記念と本気で思ってるらしい。年月を見ればすぐ論破できるが、韓国人は思考停止してしまうらしい。

もうアタマ悪すぎ。やりたくないけどウイキペディアのタイトルをハングル翻訳しとく。









「소중화사상・사대주의」 だぞ!!
検索して正しく内容も学習しとけ!!




日本人のみなさまへ

このような民族性の国ですので、この国の方々およびこの国出身の方々と日本人の方が接する場合は、よほどの警戒心が必要です。疑心暗鬼になりすぎくらいで丁度いいか、まだ足りないくらいです。じゃないと後ろから凸されますよ。