判例タイムズ1533号で紹介された事案です(東京高裁令和6年3月13日判決)。
本件は伊藤詩織さん事件に関し、衆院議員がツイートした以下のような投稿が名誉毀損なとなるかが問題とされました。
(投稿1)
「元テレビ記者で卜安部総理の御用、X氏。伊藤さんに対して計画的な強姦をおこなった。
そのX氏側の敗訴不服の記者会見に、伊藤さんが出席している。
強くて真っすぐな人だ。たくさんの絶望を支援者と乗り越えてきたんだろうな。」
(投稿2)
「1億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けた、とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎。」
投稿1の名誉毀損性・違法性阻却等に関して
裁判所は、つぎのとおり説示して、投稿1のうち「伊藤さんに対して計画的な強姦をおこなった。」との記載部分は、「一審原告が強姦罪という犯罪行為を計画的に行った」との事実を摘示するものではなく、意見ないし論評を表明したものであるとしました。
・本件記載部分には「計画的」という表現が用いられているところ、この「計画的」という用語は、一般に、ある特定の具体的な行為を指すものではなく、行為者があらかじめ準備・計画した上で行為に臨むさまを全体として評価するものとして用いられるものである。また、この「計画的」という用語は、犯罪行為ないしこれに類する行為に付加して用いられる場合、かかる犯罪行為等が用意周到に準備・計画されたものであって悪質である旨の意味合いを含むこともある。
・さらに、本件記載部分1には「強姦」という表現も用いられているが、これもある特定の具体的な行為を指すものではなく、暴行又は脅迫を用いたり、人の心神喪失又は抗拒不能に乗じたりして、その意に反して強いて姦淫すること全般を評価的に指す用語であるものと解される。
・したがって、このように「計画的」及び「強姦」という用語がいずれも評価的なものであり、このうち「計画的」という用語は批判的意味合いを含むものでもある。
その上で、当該記載部分が一審原告の社会的評価を低下させるか否かについては、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すると、本件記載部分1による意見ないし論評の内容は、一般の読者に対し、一審原告が計画的な強姦と評価されるような行為をした人物であるとの印象を与えるものであって、一審原告の社会的評価を低下させるものと認められるとしました。
意見・論評が名誉毀損となるかについては、
「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠く」とする判例の基準に従い、本件においてはつぎのとおり説示しています。
当該記載部分の公共性及び公益目的について
・前記のとおり、本件ツイートは、伊藤さんが一審原告に対し、意識を失っているのに乗じて一審原告から性行為をされたなどとして提起した前件本訴及び一審原告が提起した前件反訴につき、東京地方裁判所が前件第一審判決を言い渡し、これに対して一審原告が記者会見を開き、同判決への不満を述べたことを受けて投稿されたものである。
・そして、伊藤さんと一審原告との間の紛争は、著名な報道機関であるテレビ局の海外支局長の地位にあった者(一審原告)が、就職の相談を持ち掛けてきた女性に対して性的加害行為を行ったというものであり、社会的な注目を集めた事件であって、現に、前件第一審判決は全国紙で報道され、また一審原告自身も記者会見を開いていたところである。
・したがって、前件第一審判決及びその後の一審原告の記者会見を受けて投稿された本件ツイートの本件記載部分は、公共の利害に関する事実に係るものと認められる。
・そして、以上の点に加え、一審被告作成の陳述書には、一審原告の行った性的加害行為及び支局長という地位に乗じた加害行為を批判する目的で本件記載部分を投稿した旨の記載があり、この点につき特段不自然、不合理な点も見当たらないことを併せ考慮すると、一審被告による本件記載部分の投稿については、その目的が専ら公益を図ることにあったものと認めるのが相当である。
本件記載部分1の真実相当性について
・一審被告は、本件記載部分の前提となる事実として、①伊藤さんは、一審原告との会食直後の時点で千鳥足であり、強度の酩酊状態にあったこと、②このような伊藤さんが帰る意思を示していたにもかかわらず、一審原告は伊藤さんをタクシーで自身が宿泊するホテルに連れて行ったこと、③一審原告は、ホテルの居室内において、酩酊状態にあって意識のない伊藤さんに対し、その合意のないまま性行為に及んだことを挙げているところ、これらの各事実はいずれも前件第一審判決で認定されている。
・そして、一審被告は、令和元年12月18日当時は大阪にいたが、前件第一審判決の内容をインターネットのニュースで知り、次いでテレビのニュースを見て、更に新聞報道で詳しい内容を把握した旨説明しているところ、証拠によれば、当時の各日刊紙の大阪本社版では、前件第一審判決が上記①ないし③の各事実を認定した旨を報じていたものと認められる。
・したがって、一審被告は、上記報道等を通じて、前件第一審判決が上記①ないし③の各事実を認定した旨を認識していたことが認められる。
・そして、これらの事実からすれば、一審原告は伊藤さんに対してその意に反する性行為をしたものであり、しかも、一審原告は突発的にかかる行為に及んだものではなく、酩酊した伊藤さんと共にタクシーに乗車した上、タクシー内で伊藤さんが帰る意思を示していたにもかかわらず、その意に反してタクシーでホテルまで行き、ホテルの居室内に連れて行ったのであって、これらの各行為を踏まえた上で最終的に意識のないAに対して性行為に及んだことにつき、これを「計画的」な「強姦」と評価することが不合理であるとはいえない。
・したがって、一審被告は、前件第一審判決が上記①ないし③の各事実を認定した旨を上記各報道を通じて認識し、これらを前提として本件記載部分を投稿したものであって、上記各報道に係る前件第一審判決による事実認定に対して疑いを差し挟むべき特段の事情もない(証拠(乙4)によれば、前件第一審判決が、性行為について合意があった旨主張する一審原告の供述について、不合理な変遷や客観的な事情と整合しない点が複数あるなど信用性には疑念が残ると判断したと報じたことも認められる。)以上、本件記載部分については、意見ないし論評の前提としている事実につき、その重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があったものというべきである。
投稿2による名誉毀損性・違法性阻却等について
(名誉毀損性について)
前記投稿2のうち「1億円超のスラップ訴訟をAさんに仕掛けた、とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎。」との記載部分については、その記載内容に照らすと、一審原告の提起した訴訟(前件反訴)がいわゆるスラップ訴訟(批判的な言論等を抑圧する目的や脅迫・恫喝目的で高額な賠償額を求めて訴えを提起すること。)に当たり、そういう訴訟を提起した一審原告はとことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がった人物であって、クソ野郎と評価されるべきであるとの意見ないし論評を表明したものとみるのが相当である。
・そして、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すると、本件記載部分2の内容は、一般の読者に対し、一審原告が上記のような評価をされる人物であるとの印象を与えるものであって、一審原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
(真実性ないし真実相当性の抗弁について)
・一審被告は、本件記載部分2の前提となる事実として、①一審原告による前件反訴は、伊藤さんが著書や記者会見で一審原告から性被害を受けた旨を公表したことにつき、これを名誉毀損ないしプライバシー侵害の不法行為として訴えるものであること、②前件反訴で一審原告が賠償を請求している金額は1億円を超えること、③前件反訴は東京地方裁判所の前件第一審判決で全部棄却されたことを挙げている。
・この点について、上記①及び②の事実は前記のとおり認められ、上記③の事実も認められるのであって、これらはいずれも真実と認められる。
・そして、これら一連の事実に照らすと、一審被告において、一審原告による前件反訴の提起は伊藤さんの言論等を抑圧する目的で高額な賠償を求めるものであり、いわゆる「スラップ訴訟」に当たると評価することにつき、合理性がないとはいえない。
・したがって、本件記載部分については、その意見ないし論評の前提としている事実につき、重要な部分について真実であることの証明があったものというべきである。
(「スラップ訴訟」との表現の逸脱性について)
・一審原告は、「スラップ訴訟」との表現は、意見ないし論評として許容される範囲を大きく逸脱したものである旨主張する。
・確かに、「スラップ訴訟」という表現には否定的・非難的な意味合いが含まれていると解されるものの、、一審原告による前件反訴の提起が「スラップ訴訟」に当たると評価すること自体については合理性がないとはいえないし、この「スラップ訴訟」という表現そのものが人身攻撃に及ぶなど、意見ないし論評としての域を逸脱したものとはいえない。
(「とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がった」との表現の逸脱性について)
・一審原告は、本件記載部分2のうち「とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がった」との表現は、前件反訴をスラップ訴訟とする点と一体となったものであって、人身攻撃の域に達した表現である旨主張する。
・しかし、前記のとおり、前件第一審判決は、一審原告は意識のない伊藤さんに対してその同意がないまま性行為をしたものと認定している上、伊藤さんが一審原告から性被害を受けた旨を公表し、また前件本訴を提起すると、今度は請求額が1億円を超える額の前件反訴を提起したものであって、このような一審原告に対し、性的暴力に加え、更にスラップ訴訟という暴力を加えていることを非難する趣旨で「とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がった」人物であると評価して表現すること自体、意見ないし論評の域を逸脱しているとまではいえない。
(「クソ野郎」との表現の逸脱性について)
・一審原告は、「クソ野郎」との表現は、他人に対する最大限の侮蔑表現であって、意見ないし論評として許容される範囲を大きく逸脱している旨主張する。
・しかし、確かに「クソ野郎」という表現は、いささか品性に欠けるきらいがあるものの、これが果たして「他人に対する最大限の侮蔑表現」であるのかについては、疑問を差し挟まざるを得ない。
この点につき、一審原告は、「クソ」というのは糞、すなわち人糞を意味する言葉であり、これが「野郎」という他人を侮蔑する言葉と合体すると、最大限の侮蔑表現となるとも主張する。しかし、一般に、「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず、むしろ、他の語に付けて使用される場合には、「クソじじい」、「クソまじめ」、「クソ忙しい」などとして、ののしりや強調の意味で用いられているのであって、一審原告の上記主張はその前提を欠くものというべきである。
・したがって、「クソ野郎」という表現は、他人に対する否定的・批判的意味合いを含む用語とはいえるものの、他人に対する最大限の侮蔑表現であるとまではいえないし、少なくとも、この表現を用いたからといって、直ちにその表現行為が主題から離れた人身攻撃となり、意見ないし論評の域を逸脱したことになるものと断ずることはできない。
・そして、前記のとおり、前件第一審判決は、一審原告は意識のない伊藤さんに対してその同意がないまま性行為をしたものと認定している上、伊藤さんが一審原告から性被害を受けた旨を公表し、また前件本訴を提起すると、今度は請求額が1億円を超える額の前件反訴を提起したものであって、一審被告において、このような一審原告の行動に対し、「とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がった」という「クソ野郎」との意見ないし論評を表現することは、政治家を目指して政治活動をしていた者の表現行為としてふさわしいか否かは措くとしても、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものであるとまではいえない。
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