法整備の焦点は、マインドコントロール下に置かれた人による高額献金について、本人に代わって家族らが返金を請求できる仕組みづくりだ。立憲民主党と日本維新の会は、配偶者や「宗教2世」と呼ばれる子どもへの被害拡大防止を重視し、先に共同提出した議員立法の柱の一つに据えた。

(11月9日東京新聞から一部引用)

 

 

心の底からこのような組織団体がこれまで何をしてきたのかについての真相が解明され,政治の中枢に食い込んでいたのであれば除去し,被害にあった人々の物心両面での救済が速やかになされてほしいものだと思います。

 

 

それはそれとして,被害の救済のための仕組みとして,本人に代わって家族が返金を請求したりするということが構想されているようです。

 

 

似たような制度として,かつて(2000年の現行後見制度の開始以前),「浪費者」に対しても保佐の範囲であったことがあり,保佐が開始すると,保佐人の同意無くしてお金を動かせなくなったりするということになっていました。

「浪費者」を保佐制度の対象に含めることは,「家産」の保護をしようとしているもので,個人の権利利益を保護するという制度の趣旨にそぐわないとして対象から外されたという経緯があります。

本人が行った異常とはいえ献金の返還を家族が求められるというのは,現在の法体系を前提とすれば,何となく違和感はあります。

 

 

もっとも,いまでも「浪費」を理由として何とか後見制度の利用ができないかという相談はちょくちょくありますし,浪費というのが単なる性格傾向や生活態度というものではなく,精神障害に起因していることも多々あるとされるところです。

「マインドコントロール」というのが精神に深く食い込んだ障害であると捉えれば,上記を逸した高額献金について精神障害と捉えることもできそうです。

 

 

ただ,「マインドコントロール」や「精神障害」といったものは外部からは客観的に見えにくいものですし,本人が拒否的であると手続きに乗せにくいというも難題があります。

こうした本人の状態を基準として制度設計(現行の後見制度など)を図ろうとすると,本人の行動によって迷惑を被っている家族などが置き去りにされてしまうことになるからこそ,現在,視点を変えた仕組みの構築が求められているものと思います。

単純に言えば,「信教の自由といえども他者に迷惑をかけてはならない」ということ,ここでいう「他者」には家族も含まれるのであり,本人基準ではなく,家族基準での仕組みの構築が図られるべきなのでしょう。年収のほとんどすべてを注ぎ込んで子どもが進学できないとか満足な食事もとれないといったことは最たるものであって,家族目線であればある程度客観的な基準も設定して仕組みを作ることができそうな気がします。