判例時報2522号など紹介された事例です(名古屋地裁令和4年1月26日判決)。

 

 

本件は暴行罪で逮捕勾留,起訴されたが無罪となった原告が,違法捜査を理由として国家賠償を求めるとともに,本件暴行事件に係る捜査の際に取得された原告の指紋,DNA型,顔写真及び原告所有の携帯電話の各データを無罪判決確定後も保有し続けることは原告のプライバシー権を侵害するものであると主張して,人格権に基づき原告の指紋,DNA型,顔写真及び原告所有の携帯電話の各データの抹消を求める事案です。

 

 

結論として,裁判所は,国家賠償請求は棄却した上で,指紋,DNA型及び顔写真の各データの抹消については認めました。判決の理由の要旨は次の通りです。

 

 

判決によると,警察が定めている指掌紋規則及び写真規則は次のとおりです。

・警察署長等は,所属の警察官が被疑者を逮捕したとき又は被疑者の引渡しを受けたときは,指掌紋記録及び被疑者写真記録を作成しなければならず(指掌紋規則3条1項,写真規則2条1項),また,身体の拘束を受けていない被疑者についても,必要があると認めるときは,その承諾を得て指掌紋記録及び被疑者写真記録を作成するものとされている(指掌紋規則3条2項,写真規則2条2項)。

・そして,警察署長等は,指掌紋記録及び被疑者写真記録を作成したときは,指掌紋記録については警察庁犯罪鑑識官及び警視庁,道府県警察本部又は方面本部の鑑識課長に電磁的方法により送らなければならず(指掌紋規則4条1項),被疑者写真記録については,府県鑑識課長に電磁的方法により送信し(写真規則3条1項),府県鑑識課長は,これを警察庁犯罪鑑識官に電磁的記録により送信しなければならない(同条2項)。

・警察庁犯罪鑑識官(指掌紋記録については府県鑑識課長を含む。)は,上記のとおり,指掌紋記録及び被疑者写真記録の送信又は送付を受けたときは,これを整理保管しなければならない(指掌紋規則4条4項,写真規則4条)。さらに,警察庁犯罪鑑識官(指掌紋記録については府県鑑識課長を含む。)は,その保管する指掌紋記録及び被疑者写真記録が,①同記録に係る者が死亡したとき,②これらの記録を保管する必要がなくなったときには,これらを抹消又は廃棄しなければならない(指掌紋規則5条3項,写真規則5条)。
 

 

また,DNA型規則は次の通りです。

・犯罪鑑識官は,警察署長等から嘱託を受けて被疑者の身体から採取された資料のDNA型鑑定を行い,その特定DNA型が判明したときは,被疑者DNA型記録を作成しなければならない(DNA型規則3条1項)。

・また,警視庁又は都道府県警察の科学捜査研究所長は,当該科学捜査研究所が警察署長等から嘱託を受けて同資料のDNA型鑑定を行い,その特定DNA型が判明したときは,被疑者DNA型記録を作成し,これを犯罪鑑識官に電磁的方法により送信しなければならない(同条2項)。

・そして,犯罪鑑識官は,上記のとおり,被疑者DNA型記録を作成したとき又はその送信を受けたときは,これを整理保管しなければならない(DNA型規則16条1項)。

・さらに,犯罪鑑識官は,その保管する被疑者DNA型記録が,①同記録に係る者が死亡したとき,②これらの記録を保管する必要がなくなったときには,これらを抹消しなければならない(DNA型規則7条1項)。

 

 

指掌紋規則等を見ると,主として警察当局における指掌紋記録等の取扱いについての規程となっており,データベースの運用に関する要件,対象犯罪,保存期間,抹消請求権について規定がなく,被疑者の指掌紋記録等の抹消については,①指掌紋記録等に係る者が死亡したとき,②指掌紋記録等を保管する必要がなくなったときに抹消しなければならないとされているのみである。
 指紋,DNA型及び被疑者写真がみだりに使用されてはならないという保護法益を有することからすれば,その保護の観点からは脆弱な規定に留まっているといわざるを得ず,諸外国の立法例も参照すれば尚更顕著である。
 この抹消を義務づける場合の「必要がなくなったとき」について,令和3年5月11日参議院内閣委員会議事録(甲39)によれば,政府参考人は,要旨,保管する必要がなくなったときに該当するか否かについては,個別具体の事案に即して判断する必要があり,通達等で一概に定められておらず,警察が保有する被疑者写真,指紋,DNA型の中には,無罪判決が確定した者や不起訴処分となった者のものも含まれるところ,誤認逮捕といった場合には,その者の被疑者写真,指紋,DNA型を抹消することとしているが,抹消を指示する文書はない,と答弁している。
 この答弁では,結局,「必要がなくなったとき」は個別の判断とされ,いかなる場合に抹消されるのかが甚だ曖昧であるといわざるを得ないものである。また,指掌紋規則等が目的としている「犯罪捜査に資すること」について,これを広く解釈し,データベースを拡充するという一般論をもって,犯罪捜査に資すると解釈するのであれば,「必要がなくなったとき」はほとんど想定できなくなり,運用次第では,抹消されるべき場合がほぼ存在し得なくなる可能性もある。

 

 

しかしながら,指紋,DNA型及び被疑者写真にはみだりに使用されない一定の保護法益が認められるべきであるから,無制限にこれらの保護法益を侵害しうるような解釈をとることは相当ではなく,これらの保護法益を制約することが,犯罪捜査のための必要性があるといった公共の福祉の観点から容認できるかとの観点から比較衡量して検討する必要があり,その趣旨に沿って指掌紋規則等も解釈されるべきである。
 この点,刑事訴訟法218条3項や被疑者等の承諾により指紋及びDNA型を採取し,被疑者写真を撮影する場合,第一義的には,当該被疑事実の捜査に使用するために行われるものであると考えられるが,データベース化を前提とした捜査の有用性や,適正な管理下における国民の不利益の程度が著しいとまではいえないことに鑑みると,当該被疑事実の捜査に限定してのみ使用が許されると解するのは,データベース化自体を容認できないとの帰結になりかねず,狭きに失するものであり,当該被疑事実以外の余罪の捜査や(少なくとも一定の範囲内の)有罪判決が確定した場合に再犯の捜査に使用するために保管することは許容できると解される。
 しかし,当該被疑事実について公訴提起がなされ,刑事裁判において犯罪の証明がなかったことが確定した場合にまで,なお制約を許容できるかは慎重に検討すべきである。指紋,DNA型及び被疑者写真を取得する前提となった被疑事実について,公判による審理を経て,犯罪の証明がないと確定した場合については,継続的保管を認めるに際して,データベース化の拡充の有用性という抽象的な理由をもって,犯罪捜査に資するとするには不十分であり,余罪の存在や再犯のおそれ等があるなど,少なくとも,当該被疑者との関係でより具体的な必要性が示されることを要するというべきであって,これが示されなければ,「保管する必要がなくなった」と解すべきである。なぜなら,犯罪の証明がないとして無罪となった場合には,有罪判決が確定した場合のように,被疑者がその指紋,DNA型及び被疑者写真を取得され,保管,利用がされてもやむを得ない原因を作り出したと評価しうる事情が認められない上,被疑者等から承諾を得る際に,指紋,DNA型及び被疑者写真をデータベース化して半永久的に保管して使用することを明示的に説明しているとの捜査実務が確立しているとの証拠はなく,被疑者等が自身に嫌疑をかけられた被疑事実に関して指紋,DNA型及び被疑者写真を提供することを承諾したとしても,当該被疑事実に係る犯罪の証明がないとの刑事裁判が確定した場合をも含めて承諾していたとその意思を解釈するのは無理があるといわざるを得ないし,刑事訴訟法218条3項に基づいて採取した場合においても,身柄拘束の根拠となっていた被疑事実が,審理の結果,犯罪の証明がないとして否定され,確定した以上は,それ以降の継続的な保管の根拠が薄弱になるといわざるを得ないからである。

 

 

そして,指掌紋規則等がいう「保管する必要がなくなった」の要件に該当する場合には,指紋,DNA型及び被疑者写真をみだりに使用されない利益を制約する正当性が失われること,指掌紋規則等には抹消請求権やその手続は設けられていないものの,指掌紋規則等自体も必要がなくなったときは抹消しなければならないと命じていること,さらに,保管権限者自らが要件該当性を判断するのでは恣意的な解釈,運用がなされるおそれを否定できないことなどを勘案すれば,指紋,DNA型及び被疑者写真をみだりに使用されない利益を,より射程の広いプライバシー権や情報コントロール権等の一部として位置づける理解をするかはともかく,当該利益自体が人格権を基礎に置いているものと解することは可能であるから,指紋,DNA型及び被疑者写真を取得された被疑者であった者は,訴訟において,人格権に基づく妨害排除請求として抹消を請求できるものと解するのが相当である(なお,東京高等裁判所平成26年6月12日・判例時報2236号63頁は,任意捜査を行った時点では被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があった場合であっても,その後の捜査の進展,公訴提起後の公判での審理の結果,犯罪の証明がなかったことに帰するときは,当該事件の捜査及び公判での審理に採取した指紋等及び撮影した写真を使用したことは適法であるとはいえ,犯罪の証明がなかったことが確定した後にまで,本人の明示的な意思に反して,指紋等及び撮影した写真を保管して別の目的に使用することが直ちに許されるものと解するのは相当ではなく,本人の同意がある場合のほか,指紋等及び撮影した写真を保管して別の目的に使用することについて高度の必要性が認められ,かつ,社会通念上やむを得ないものとして是認される場合に限られるものと解するのが相当であると説示した上,このように,犯罪の証明がなかったことが確定した後にまで,本人の明示的な意思に反して,指紋等及び撮影した写真を保管して別の目的に使用することは,上記の要件を満たさない限り,許されないものと解するのが相当であるから,任意捜査として指紋等を採取され,写真を撮影された者は,人格権に基づく妨害排除請求として,当該指掌紋記録及び写真記録(いずれも電子データを含む。)の抹消を請求することができるものと解するのが相当であると説示している。)。

 

 

原告が,身柄を拘束される根拠となった本件暴行事件における暴行の事実については,犯罪の証明がないとの本件無罪判決(甲8)が確定しているところ,原告は,本件現行犯人逮捕当時60歳で(乙A1),前科・前歴がないこと(これを認めるべき証拠はない。),本件暴行事件は,本件マンションの建設工事をめぐる原告ら近隣住民と被告会社側の紛争を背景とするものであるが,本件暴行事件それ自体は,被告Y1が原告の動きを制止しようとした際に突発的に生じたものであること,本件マンションの建設工事が終了し,既に本件マンションの建設工事をめぐる原告と被告会社間の紛争が終結していること(弁論の全趣旨),本件暴行事件における検察官の求刑は罰金15万円であること(甲18),本件現行犯人逮捕から本件口頭弁論終結時まで約5年が経過していることなどからすれば,原告の余罪や再犯の可能性を認めるのは困難であり,その他,原告との関係で本件3データを保管すべき具体的な必要性は示されていないから,本件3データについて,「保管する必要がなくなった」というべきである。

 

 

なお,携帯電話のデータについては,その中には個人の私生活上の営みに関する情報が多数含まれていると考えられることに照らし,何人もみだりに携帯電話のデータを取得されない自由を有すると解するのが相当であるものの,名古屋地方検察庁が本件無罪判決確定後も本件携帯電話のデータを保管し続けていることは,専ら刑事確定訴訟記録法及び記録事務規定の定めるところによるものであって,新たな犯罪の捜査のために積極的にこれらの記録を用いることを予定しているものではなく,過去に行われた刑事裁判や捜査の記録を一定期間保管しておくことを目的とするものであると解されるところ,本件暴行事件の捜査のために本件携帯電話のデータを提供したことについての原告の承諾の範囲を超えて,これらのデータの保管がなされているとはいい難いとして原告の請求を退けています。