https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62603010T10C20A8MM0000/
戦後生まれの人口が戦前生まれの人口を上回ったのは76年だった。この年、ロッキード事件で東京地検が田中角栄元首相を逮捕した。戦後、米軍政下に置かれた沖縄が本土復帰したのは4年前の72年。75年に皇太子夫妻時代の上皇ご夫妻が沖縄国際海洋博覧会に出席するため初めて沖縄を訪問し、戦没者慰霊碑「ひめゆりの塔」(糸満市)で過激派から火炎瓶を投げつけられる事件もあった。当時はまだ社会に戦争の影が色濃く残っていた。
(8月15日日経新聞から一部引用)
私の両親も後期高齢者で戦争末期に生まれた「戦中世代」ということになるのかもしれませんが、当然のことながら、戦争そのものについての記憶はなく、直接戦争のことについて聞いたということはありません。
ただ、祖父母は当然戦争に直接巻き込まれた世代であり、祖父はいずれも召集令状で徴兵されていますが、いずれも当時の戸主であったということが影響したのか(いずれの祖父も兄弟は南方戦線で戦死しています)、どちらの祖父も日本国内で配属されたまま終戦を迎えたため幸いのことに命を長らえることができました。
多くの戦争体験者と同様、祖父母から戦争のことを直接聞いたということはなく、晩年になって戦中期の苦労したことなどを耳にしたことはありますが、戦中世代を祖父母に持つ昭和生まれの私ですらこのような状態なので(それでも私が子どものころは戦争体験世代が社会で大きな比重を占めていたこともあり,教育現場や社会のさまざまな場面で戦争を再び繰り返してはならないという無言の社会的な雰囲気が深く醸成されており,現役の国会議員が「戦争」という言葉を口にすることすら許されないという状況であったと思います)、昭和後期や平成に生まれた人たちが戦争のことを実感を持って聞くという体験はなおさら少ないものといえ、また、令和に生まれた人たちにとっては皆無といってよいことになるので,今後の戦争の悲惨さの記憶の継承というものはより一層深刻で重大な問題であるものと思われます。