判例タイムズ1470号などで紹介された事例です(東京高裁平成30年7月11日判決)。

 

 

本件の経緯の概要は次のようなものです。

・夫(昭和13年生まれ)も妻(昭和14年生まれ)も日本で生まれ育った日本人

・日本で婚姻して子どもを設けた後,昭和51年にアメリカに移住した。

・夫はカリフォルニアで企業を経営

・平成10年から11年にかけて夫婦はアメリカ国籍を取得したため,法的には日本国籍を喪失したが,その届出をしていなかったため,日本の戸籍はそのままとなっていた。

・夫は平成10年に客室乗務員の女性(当時日本国籍を持つ日本人)と知り合い交際を始めた。

・そのころから,夫は同居していた妻らに暴力を振るい,離婚を求めるようになり,現地の保安官に通報がされたこともあった(妻は身内の恥であると考えて告発等は望まなかった)。

・夫は妻に対して「離婚届に署名しないと殺す」といって銃口を向けたりしたため妻は怖くなって署名したが押印はしなかった(妻は押印がなければ日本の役所では受理されないと考えていた)。

・平成11年,妻は約2か月間の滞在目的で来日した。

・妻の来日中に,夫は前記の離婚届に調達した印鑑を押印して,日本領事館に提出し,届出は法務局に送付され戸籍上協議離婚として記録された(この離婚手続きは,当時夫婦に適用されるべきカリフォルニア州法によっても無効であり,仮に日本法が適用されるとして無効である)。

・夫は離婚届けの提出後,妻にこれを連絡し,アメリカの自宅内の妻の荷物をほとんど全部まとめて妻の日本での滞在先に送り付けた。

・平成12年,夫は,前記客室乗務員の女性とカリフォルニア州法に定める方式により婚姻し,その際,前婚の終結形態を離婚であると宣言した(婚姻した女性はその後アメリカ国籍を取得して日本国籍を喪失した)。

・妻は,日本にいる二女のもとで生活するようになったが,夫からの生活費等の援助は一切なかった。また,夫からは離婚に伴う経済的給付も一切されなかった。

・平成29年夫は死亡した。

 

 

このような状況の下で,日本に居住する妻が,検察官を被告として離婚無効確認を日本の裁判所に提起したというのが本件です(当事者である夫が死亡していたため検察官が被告となる。 人事訴訟法12条3項)。なお,夫が再婚した前記女性についても補助参加人となっています。

 

 

死亡した夫も含めて関係者全員がアメリカ国籍であり,被告となるべき夫が居住し,夫婦の最後の共通の住所地もアメリカであったことなどから,日本の裁判所が裁判管轄権を有するかということ(国際裁判管轄)が問題となりました。

 

 

本件は改正人事訴訟法の成立前に提起された事案ですが,最高裁では従来から,離婚事件の国際裁判管轄について(本件のような離婚無効確認についても含まれるものと解されます),被告の住所地が日本にあることを原則としつつ,例外的に,原告が被告の住所地国の裁判所に離婚訴訟を提起することの法律上,事実上の障害の有無や当事者間の衡平等を考慮して条理に従い日本に裁判管轄権を認めることが相当な場合もあるとし,該当するケースとして相手方配偶者に遺棄された原告の住所が日本に存する場合などが挙げられていました。

このような最高裁の従来の考え方については改正された人事訴訟法3条の2の7号に取り入れられています。

 

 

【離婚事件の国際裁判管轄】

https://ameblo.jp/egidaisuke/entry-12429173107.html

 

 

人事訴訟法3条の2

七 日本国内に住所がある身分関係の当事者の一方からの訴えであって、他の一方が行方不明であるとき、他の一方の住所がある国においてされた当該訴えに係る身分関係と同一の身分関係についての訴えに係る確定した判決が日本国で効力を有しないときその他の日本の裁判所が審理及び裁判をすることが当事者間の衡平を図り、又は適正かつ迅速な審理の実現を確保することとなる特別の事情があると認められるとき。

 

本件では,一審の家庭裁判所は日本に国際裁判管轄がないとして訴えを却下しましたが,控訴審においては,日本の国際裁判管轄権が認められています。

理由の概要は次のとおりです。

・前記した経緯からすれば,妻は夫から遺棄されて日本に居住するようになったというべきである。

・夫婦は戦前に日本で生まれ育ち日本での生活をしていた日本国籍を有していた者であって,妻が身内の恥と考えて保安官に告発等を望まなかったことや押印がされなければ日本の役所が受理しないと考えたことなどは日本の文化や慣習を知らない者にとっては理解が困難である(アメリカの裁判所では理解がされない)。

・身体に支障のある妻がアメリカの裁判所に出頭することは困難である一方,補助参加人の女性が日本の裁判所に出頭することは困難ではない。