https://dot.asahi.com/dot/2020031700023.html

 

 

今年の大学受験もひと区切り、という時期となったが、21年前、男子受験生の気持ちを浮わつかせたのが広末涼子だ。98年11月、早稲田大学教育学部国語国文科に自己推薦入試で合格。これは大ニュースとなり、早大志願者を激増させた。

(3月19日AERA.dotから一部引用)

 

随分昔のことになりますが,この当時は私は既に早稲田大学は卒業して司法浪人の傍ら,大学の中央図書館で清掃のバイトをしていました。

ヒロスエが初めて大学に現れるという当日は図書館の外の道路で掃き掃除をしていましたが,多くの人が集まっていてざわざわしていたことは,はっきりと覚えています。

 

 

時期の前後の記憶ははっきりしないのですが,ヒロスエはタマノイ酢という早稲田通にある会社の広告をしていたこともあったのではないかという記憶で,それほど知名度があるわけでもない会社だと思うのですが,早稲田とのつながりで広告に出たのかなと話をしたりしたことが思い出されます。

 

 

個人的には,せっかく早稲田に入ったのに外野からもみくちゃにされて中退ということになってしまって可哀そうにと思うとともに,早稲田にもあまりいい印象を持っていないのかなとか感じて残念な気持ちになったですね。