金融・商事判例1566号で紹介された事例です(東京高裁平成30年7月18日判決)。
本件は、信用金庫に長年勤務していた職員が勤務先の信用金庫から職員融資制度を利用して融資を受けていたが、他の借金もあって返済ができなくなり、弁護士にも相談して、破産の申し立て前に、上司に実情と破産申し立て予定であることなどを話したところ、退職金との相殺を行うということになり、実際の手続きとしてはいったん退職金を当該職員の口座に送金したのち、融資金の返済という決済の手続きが行われ、その後に破産手続きが開始されたところ、破産管財人が、このような処理について否認権を行使したというものです。
否認権の根拠としては、破産法162条に、支払いの不能があった後に債務の消滅に関する行為をした場合には、そのような行為について否認することができると規定がされていて、本件では、債権者である信用金庫は、当該職員は破産予定であることなども告げた上で、退職金を融資金の返済に充てているので、これに該当するようにも思われます。
(特定の債権者に対する担保の供与等の否認)破産法第162条 次に掲げる行為(既存の債務についてされた担保の供与又は債務の消滅に関する行為に限る。)は、破産手続開始後、破産財団のために否認することができる。一 破産者が支払不能になった後又は破産手続開始の申立てがあった後にした行為。ただし、債権者が、その行為の当時、次のイ又はロに掲げる区分に応じ、それぞれ当該イ又はロに定める事実を知っていた場合に限る。イ 当該行為が支払不能になった後にされたものである場合 支払不能であったこと又は支払の停止があったこと。ロ 当該行為が破産手続開始の申立てがあった後にされたものである場合 破産手続開始の申立てがあったこと。二 破産者の義務に属せず、又はその時期が破産者の義務に属しない行為であって、支払不能になる前三十日以内にされたもの。ただし、債権者がその行為の当時他の破産債権者を害する事実を知らなかったときは、この限りでない。2 前項第一号の規定の適用については、次に掲げる場合には、債権者は、同号に掲げる行為の当時、同号イ又はロに掲げる場合の区分に応じ、それぞれ当該イ又はロに定める事実(同号イに掲げる場合にあっては、支払不能であったこと及び支払の停止があったこと)を知っていたものと推定する。一 債権者が前条第二項各号に掲げる者のいずれかである場合二 前項第一号に掲げる行為が破産者の義務に属せず、又はその方法若しくは時期が破産者の義務に属しないものである場合3 第一項各号の規定の適用については、支払の停止(破産手続開始の申立て前一年以内のものに限る。)があった後は、支払不能であったものと推定する。
裁判所は、本件で管財人による否認権の行使は認めませんでしたが、その理由として、そもそも融資を受ける時点でその規定には退職時には一括返済しなければならず支給される退職金で返済することという条項があり、この時点で、信用金庫との間で相殺の合意がされていたものと評価されました。
その後、実際に退職時点でなされた退職金の支給→融資金の返済という決済の手続きは、すでになされた相殺合意に従って行われたものであり、改めて弁済(破産法162条1項の「債務の消滅に関する行為」)がされたわけではないという理解になります。
なお、賃金や退職金を相殺の処理のために利用する合意については、賃金の現実払いの原則(労基法24条1項)から、労働者の自由な意思によることが必要とされていますが、本件では融資の時点でそのような規定があったことや職員の側から退職金による処理の話を出していることなどから、自由な意思によりなされた処理であるとして、この点を争った管財人側の主張を退けています。