http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140115-00000011-mai-pol




猪瀬直樹氏の辞職に伴う東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)をめぐり、細川護熙(もりひろ)元首相(76)が14日、脱原発を掲げ「立候補する決断をした」と表明した。細川氏は同日、脱原発の方針で一致する小泉純一郎元首相(72)と会談し、支援を取り付けた。舛添要一元厚生労働相(65)も同日、立候補を正式に表明し、選挙戦の構図がほぼ固まった。(本日配信の毎日新聞より一部引用)



細川元首相と聞いて,新鮮さよりも青春時代の懐かしさの想いの方を強く抱きました。



細川政権ができたのが1993年(平成5年)で,私が大学に入学した年のことです。入学当初はまだ宮澤内閣であり,大学構内には,宮澤内閣を糾弾する立て看板が立っていて物騒な雰囲気でした。

もう20年も前のことで,新しく選挙権をもった新成人はもちろんのこと,現在30歳前後の人でさえ,当時はまだ小学生だったのですから,政治のことなどに詳しく興味をもっている年頃でもないでしょうから,よく知らないという人の方が多いということになります。

知らない世代にとっては単なる引退したおじいさん元政治家というところでしょうか。



私の記憶に残っている最初の首相というと,バーコード頭が印象的だった中曽根さんですが,小学校4,5年ころのことで,単に記憶しているというにすぎません。

中学生になった頃に少しは社会のことに興味が向くようになったり,ちょうどリクルート事件が起こったり,また,当時ビートたけしが好きで政治のことなどにも興味を持つようになって,竹下首相辺りからは,社会の動きとリンクする形で首相の氏名も記憶するようになったという感じでしょうか。




細川さんが首相になった頃には大学生でしたので,非自民政権が成立したという当初の清潔なイメージの高揚感と老練な自民党に佐川急便問題を突かれた上に深夜の国民福祉税構想が崩壊して敢え無く退陣したというイメージが残っています。「腰だめの数字」という言葉を使った会見が印象的でしたね。




今回民主党は細川支持ということですが,細川さんは,砕け散ってしまった民主党の原点のようなものだと思いますから,当然のことですよね。

細川さん自体にはあまり悪い印象はないのですが,輿に乗せられた人の良いお殿様なんだろうなというイメージで,あの時は小沢さんで,今度は小泉さんに担がれているんだなというところでしょうか。

小泉さんも,脱原発を訴えるならもう一度首相にでもなってくれればよいものを,と思います。






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