小沢さんの陸山会の刑事裁判は控訴ということでとりあえずの結論が出ましたね。

 

 

 

この裁判では「共謀」というキーワードが何度も出てきました。

 

 

 

収支報告書に虚偽記入した秘書との「共謀」が認められれば有罪,認められなければ無罪ということで,一審では後者ということになったわけです。

 

 

 

ところで,当然のように「共謀」したら刑事責任が発生するかのように捉えられがちですが,犯罪をすることについて「共謀」しただけで刑事責任が発生する共謀罪(コンスピラシー)は現在わが国では採用されていません。何年か前に共謀罪創設のための政府案があったと思いますが,廃案となっていたと思います。

 

 

 

わが国では,「共謀」して,実際に犯罪が「実行」された場合にのみ,「共謀」だけに加わっていた者も処罰されることになっています。共謀共同正犯といいますが,「共謀」したことのみの責任を問われるのではなく,あくまでも犯罪を「実行」した者と同等か場合によってはそれ以上の責任を問われます。

 

 

 

今回の陸山会事件も,仮に,虚偽記入の「共謀」がされていたとしても,その後,秘書たちが「やばいから止めておこう」ということでストップしていれば,犯罪にすらなっていなかったということになります(秘書らも控訴していますので,虚偽記入が犯罪として成立していたらという前提です)

 

 

 

しかし,そもそも共謀共同正犯というものが認められるかということについては,実は刑法学の一つの争点となっていました。

 

 

 

刑法60条では「共同して犯罪を実行した」場合に共同正犯になると規定しており,犯罪を実行してはおらず「共謀」だけした者に刑事責任を負わせられるのかという問題意識です。

 

 

 

 

裁判所は,一貫して,共謀共同正犯というものを認めており,犯罪が実行された以上は,「共謀」のみに加わっていた者についても刑事責任があるという立場です。

 

 

 

確かに,こう考えないと,オウム事件の教祖など「共謀」のみに加わって(「リムジン謀議」などと言われています),サリンを撒くなどの実行行為を実行していない者の責任を問うことはできなくなってしまい,「本当の黒幕を処罰してほしい」という国民の理解を得られないということになってしまいます。

 

 

 

そして,ひとたび犯罪が起こってしまうと,被害者や社会からの処罰感情が強くなりますので,「共謀」した者の刑事責任を問うべく,この「共謀」の概念はどんどん弛緩してきます。つまり,ちょっとしたことであっても「共謀」があったということで,責任を問う範囲が広がりやすくなるという側面があります。

 

 

 

「暗黙の意思連絡」とか「黙示の共謀」(いわゆる「あ・うんの呼吸」)とかなんとなくその場の雰囲気で「共謀」があっただろうということになったりします。

 

 

 

すでに評釈もされていますが,今回の小沢さんの事件では,判決要旨の前段を読む限りまるで有罪であるかのような書きぶりですが,最後の「共謀」があったかどうかのところで,そこまでは言えないとしているものと理解しています。

 

 

ちなみに,「共謀」の要件からは外れますが,過失の共同正犯とか予備・ほう助の共同正犯,承継的共同正犯など,共謀共同正犯の成立範囲はどんどん拡大解釈されているというところがあります。

 

 

 

共謀共同正犯の概念は認めつつも,その適用範囲を絞るべきだというのが,刑法学のおおまかな流れではなかったかと思うのですが,今回の陸山会事件の判決はその中に位置づけられるのかもしれませんね。