薬物の密輸事件で裁判員裁判での無罪判決が相次いでいるということを受けて,検察が立証見直し検討しているという記事がありました。
そもそも,「市民生活と縁遠い」というこんな種類の事件を裁判員裁判で裁くというのに無理があるのではないかと思います。
密輸事件に限らず,薬物事件では,いろいろな弁解がなされることが多いものです。
私自身は経験がありませんが,むかし,「キムチの抗弁」というのがあって,キムチを大量に食べると,鑑定した結果覚せい剤とよく似た成分反応を示すことがあるというような都市伝説まがいの流説があって,実際に裁判でも争われたことがあったようです。
また,薬物所持や使用などの事案で,「見知らない路上で外国人から買った」というのは,日常茶飯事に出てくる弁解です。
裁判官のように多くの似たような事件をたくさん取り扱っていると,事案のおおよその筋が読めるようになる半面,思考が定式化して,弁解に理由があるはずの件での取りこぼしが出かねないのに対して,1件のみに全力投入する裁判員による判断では細かなことについてまですみずみを見てくれる反面,細かなことに拘りをもってしまいその思考から離れなれなくなるという欠点があり,なかなか難しいところです。一つの考え方に取りつかれてしまって,考えが煮詰まってしまった場合,少し時間をおいて冷静に考えるというのが良いと思うのですが,時間制限がある裁判員裁判ではそれもままなりません。
別に妙案があるというわけではありませんが,薬物の密輸事件に限って言えば,忙しい税関などの現場に有罪判決を獲得するための証拠集めに奔走させるというのは大変であり,そのエネルギーは水際阻止に向けられるべきであるとして,刑事裁判で有罪を獲得するかどうかは優先順位を下げるというのも仕方ないのかもしれません。
或いは,一旦入国させてその後の受け渡しの現場での逮捕を狙う泳がせ捜査や持ち込もうとしている人間についてその場ですぐに電話等の盗聴をできるようにするなど,捜査機関側に武器を持たせるべきだという議論も,検討の過程では出てくるのかもしれません。
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