司法にとって,司法判断を無視された場合にどうするのか(執行力の問題)が泣き所だと書きました。
ところで,維新の会のこととか政治勢力がとか書きましたが,実は,荒唐無稽な政治論をしたかったわけではなくて,実は,単にこのこと(司法の執行力の問題)が書きたかっただけというところがあります(*゚ー゚)ゞ
私は,基本的にノンポリなのです。
実は,司法判断をどう実行するかという問題については,今もいろいろと問題になっています。
金融機関に対する預金の差押に関して,通常,債務者(裁判に負けた人)が保有しているであろう金融機関とその支店までは特定して差し押さえるのですが,債権者(裁判で勝った人)はそんなことは分らないことも多いです。
そこで,金融機関は名寄せシステムにより,債権者の住所・氏名などが分っていればどこの支店に預金があるかわかるはずだということで,全支店にある預金ということで差し押さえたところ,最高裁は「特定を欠く」という理由で,そのような差し押さえを違法としました。
また,手間暇かけて裁判に勝ったとしても,そもそも,回収できないかもしれない,裁判に負けた人が支払わなかったとしても大した制裁もないということを知って,最初から裁判すること自体をあきらめてしまうという人がたくさんいることは,弁護士であれば山のように見てきています(泣き寝入り)。
そこで,そもそも裁判所から執行に関する権限を奪ってしまったらどうなるかなと妄想したのが,この一連の記事のきっかけです(*^.^*)
そもそも,「執行」というくらいですから,その作用自体は本来的には行政作用に属する又は馴染むものであるはずです。
そのためには,法改正しなければなりませんが,「今後の執行はすべて行政が行う。債務者の情報を国税などとも連携して共有して,根こそぎ取り立てる。回収した費用の何パーセントかは手数料として入れてもらい,年金財源にする」とか「財産が乏しく,支払いをしない債務者に対しては,例え破産したとしても,相当割合に達するまで労役場に留置する」などとアピールすれば,よさそうです。
権力を握った側が左派の革新勢力でない限り,このような考え方に馴染みやすそうです。
はっきり言って,こちらの制度の方がありがたいくらいです。
また,後でメディアのところでも触れたいと思いますが,「裁判に勝ったのに執行ができずに餓死した夫婦」などの世論の同情を引くような事例をたくさん集めてアピールすれば,世論もなびくかもしれません。
一方でこうしたキャンペーンを張れば,弱者保護もアピールできそうです。
そして,改正した法律(執行法)には,次のような1項を入れておきます。
「執行に関してはこの法律に定めるところによる。但し,国,公共団体,この法律に定める特別な団体(天下り法人)に対する執行については,別に定める。」
そして,いつまでも特別法は制定せずにほったらかしておく,制定しても事実上,権利行使できないような複雑怪奇な制度にするなどしておけば,権力側としては,薬害で目の玉が飛び出るような賠償金の支払いを命じられようが,年金制度を改正した結果年金を奪われた人々に対する天文学的な金額の支払いを命じられようとも,その執行から自分の身を守れそうです。
当然,権力側に執行できないと知った人たちは怒り,そのこと自体が違法であるとしてまた裁判を起こすでしょう。しかし,勝ったとしてもまた執行できないというディレンマに陥るのです。
もちろん,現実にはこんなことはありえませんが。
なぜかと言えば,こうした事態が起こったならば,困った人たちが次に駆け込むのはメディア(表現の自由)ということになり,メディアが大騒ぎするからです。
そうすると,司法を殺すためには,同時期かそれよりも少し前にメディア(表現の自由)もつぶしておく必要がありそうです。

にほんブログ村