皆さまこんばんは

 

本日がこの章の最後のお話になります。

まず、高校バスケットボールを引退して、将来なにをするか、なにを学びたいかで目指す大学が変わっています。

その時までは、バスケットボールの指導者になりたいと考えていました。そしてバスケットボールを続けていきたいと思いました。

その中で親や先生とも話し合い、親元を離れて一人暮らしをしながら大学に行くことを決意しました。

 

卒業し入学前から練習に参加するということで、一人暮らしが始まりそこで感じたのは洗濯、炊事など身の回りのことをすべて自分でやらなければならないのが大変でしたし、バスケットボール面ではいままでのカテゴリーでは順調にプレイタイムを得ていたことから、周りの同級生は試合に出ているけど、自分は出れない現実や上手くいかない日々が多くつらい時期でしたが、その中で私生活で親の有難みを改めて感じることはできましたし、バスケットボールでは様々な考え方やレベルの高い先輩を見て吸収できることができて成長につながったと思います。

2年目からは本当にたくさんのことがありすぎて、、、少しずつ試合に絡めましたが、最終的にはベンチを温めることが多かったです。

監督が毎年かわって、求めるプレイレベルやチーム内での内部分裂、上に立つものが周りへの対応の違いなど、

私自身も、その中で対応できた部分もありましたし、上のものに意見や主張などをして、良い顔をされなかったりと反省する部分や控える部分はあったと思いますが、その中でも自分の信念は貫けたというとできていないこともありました。

それは言い訳をしない。

簡単そうで難しいと私は思います。

これはどんな状況・環境に立っても絡んでくると考えています。

この4年間、上手くいかないことばかり、教員免許は取得しましたがサラリーマンになったりと波乱万丈でしたが、

それでも自分で考え行動する力、言い訳をしないことを完璧ではないが少しは身に付けることができたと思います。

社会人では今まで上手くいかないことばかりですが、

自ら考える。

言い訳をしない。

環境に対応する。

以上のことを貫いて生きたいと考えます。

バスケットボールの話から脱線しましたが、バスケットボールを13年間続けてきて、スポーツは素晴らしいと思いました。

バスケットボールの技術だけではなく、知識や教養、友の大切さを得ることができました。

今はこんなご時世でバスケットボールはできませんが、落ち着いたらまたどこかでバスケットボールを

楽しめたらいいなと思います。

では、、、、

 

これからは私が普段使っていて便利だと思う物を記載して共有できたらと思います!

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは

 

本日は私のバスケットボール人生の高校時についてお話させて頂きたいと思います。

中学校のバスケットボール部を引退して、、、

やはり、高校でもバスケットボールをして全国に行きたいと思っていました。夏休みは塾の夏期講習に通いながらいくつかの県内の練習に行ったりして過ごしていました。

その中でも行きたいと思った高校はバスケットボールのレベルは県でベスト16くらいですが、

指導者がすごくバスケットボールが好きで選手としても評価されている選手でした。それ以上に礼儀や挨拶を大事にしていたので、この先生のもとでなら成長できると思い、その高校を選びました。

ただし、バスケが好き、バスケがしたいだけではその高校には入れませんし、バスケットボールをする前に受験があります。誰もが受験は通る道で避けては通れません。当時の私の学力は、学年200人中80位くらいとまずまずでした。このまま勉強も続けていれば問題なかったのですが、親には勉強はしっかりやるように言われ続けられたので、そのあたりが少し大変でした。

その後は順調に勉強していき、その高校に合格することができました。

入学してからの1年目はとにかく走ってばかり、練習の時間は日によってバラバラなのですが、3時間あったらボール使わない時間が半分以上でした。長距離選手か!笑っていうくらい。本当にバスケットボールは上手くなるのか半信半疑の中、練習していました。

でもそのおかげで忍耐力は鍛えれたと思います。

2年生の時になると、プレイタイムをたくさんもらい上級生より試合に出ていたので、そこまで私の印象は良くなかったかもしれませんが、それでも3年生はチームのために頑張ってくれて、、、さすがだと思いました。3年生を全国へと望んだ最後の大会はベスト8。

悔しい以上に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そしてむかえた高校最後の年、キャプテンとしてどんなことに耐えてきたし、やるべきことをやって、、、

時には答えが出なくて、苦しい時期もありましたが50人以上の仲間が私を支え、ついてきてくれたからだと思います。

でも壁は高かった。本当にこの3年間は苦しいことばかりでしたが、

先生をはじめ、仲間、両親、保護者の方にはバスケットボールが上手くなる以上に学校を卒業し、一人の人間としてとして社会に出たときにどう過ごしていくか、生きていくかを教わることができた3年間でバスケットボール以上に大事なことを学ぶことができました。

今でもこの3年間がなかったらここまで来ることはできなかったと考えていますし、宝物です。

話は変わりますが、現在、新型コロナの影響で高校バスケットボールの夏の総体が中止となっています。

多くのプレイヤーが夏で引退し、それぞれの進路に向かう中、中止程つらいものはありません。

だれが悪いとかはありませんが、、、

本当にこの先どうなるかわかりませんが、一日でも早く日常を取り戻し何かしらの形で

不完全燃焼で終わっていくプレイヤーの拠り所があれば見つかることを願っています。

それでは、、

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは

 

本日は天気がよく、こんなときに外出自粛はつらいものですが、私は夕方などに15分くらいランニングをするようにしています。

気分転換に散歩やランニングはいかがでしょうか。より充実した日々を送れるのではないでしょうか?

さあ、前置きはさておき本日は、私のバスケットボール人生中学生編をお話していきたいと思います。

小学校を卒業して、中学校に入学して迷いもなくバスケットボール部に入学しました。

理由はバスケットボールが好きだからです。これ以外の理由はなにもありません。

中学生にもなると、ある程度の上下関係がついてきて、先輩も厳しいのかと思っていましたが、そんなことはなく優しい人ばかりで

丁寧に教えてくれますし、接してくれます。でもあるときの練習の紅白戦1年生VS3年生。

結果は1年生が勝ちました。

あまり言いたくはありませんが、1年生で試合にでているメンバーは皆ミニバス経験者、3年生は皆、中学校からでしたので、

正直、勝てると思っていました。でもそれが現実にもなると、、少しきまずくなることはありましたが、

次の日にはそんなことはなく、いつも通り接してくれました。本当にやさしい先輩にであえたと思います。

3年生が引退して、一つ上の上級生は2人だったので自然と試合に出れるようになりました。

迎えた最初の大会2回戦負け、負け方も30点差以上。点差も内容もすべてが駄目でした。おまけ骨折もしましたし、汗

負けてからも練習時間が短い、先生もバスケットボールの経験もない、なにかあるとすべて周りのせいかすぐさぼる。

私は夜に近くの広場でドリブルの練習や走り込みなどに努めていましたが、チームの意識を変えることが、まず第一と。

そのために先生には選手たちでどこどこのチームと練習試合をしたいので練習試合を組んでくださいなど、今考えればすごく無理を言ったと

思いますし、プレイ面に関しては自由にやらせてもらったのですごくのびのびとやらせてもらって先生には感謝しています。

時は流れ、むかえる3年生の総体。県で準優勝し、関東大会出場することができました。関東大会は1回戦負けでしたが、、、笑

それでもここまでこれるとは思っていなかったし、最後まで楽しくできました。

中学生時代はけっして環境は良くないけど自分たちで考えて取り組むことができたと思います。できそうでできないことが多いですが、基になっているのがなによりも何とか勝ちたいという気持ちが人を変えることができると感じています。目標に向かって情熱をもって楽しむことに尽きると思います。これはスポーツだけではなく、会社に入っても同じだと考えています。

まだまだ、社会人始まったばかりですが、この自分で考えて行動することを実践していこうと思います。

 

続く、、

 

私は毎日飲んでいますウインク

 

 

 

 

こんばんは

 

今夜は、私のバスケットボールの人生についてお話させていただきます。

私は小学校4年生からバスケットボールをはじめました。はじめた理由は仲の良い友達がバスケットボール部にはいるということで

それに流れるままバスケットボールをしていました。必ず毎日練習があり、夏にもなると朝7時半から16時半までひたすら走りボールを追いかけていました。小学生なら友達とゲームやプールに行くなど楽しいことは山ほどありましたし、ほんとにバスケットボールが好きなのかというとそうではなかったと思います。笑 それでも友達がやめなかったから私もなんとなく続けてきたと思います。

5年生では一つ上の学年の先輩が少なく、当時は身長も高かったため自然と試合に出ていました。しかし、練習試合を繰り返しては負けばかり、ひたすら走らされましたが、保護者の方にはバスケットボール経験者もいたため、熱心にアドバイスをもらい答えを見つけられました。

むかえる県大会、結果は全敗。1勝はここまで遠いとはこのことかと思いました。なによりも6年生に勝利をプレゼントしてあげたい気持ちでいっぱいで悔しかった。

いよいよ、最終学年。ことしこそはまず一勝。でもその前に監督が、「キャプテンは誰にする?」という話になりました。こういうのは去年からの主力がやるのが暗黙のルールで、一応、私も主力でしたが、コミュニケーションを取るのは苦手。先頭きってやるタイプではない。このことから自分のなかでは、まず自分は適任ではないと思っていました。そして、発表の時、名前を呼ばれたのは私でした。なぜ、私?と思いましたが、やるしかないということで、新チームが正式に始まりました。

キャプテンのやらなくてはいけないことはわかっていましたが、それを実践するのが大変で、、

練習の雰囲気が悪いと怒られるし、チームメイトに指示を出すにも上手くいかずもめたり、プレイも中途半端で自分でもなにがなんだかわからないままいる状態が長く、すべての責任を背負うことはこんなにも大変なのかと。ほんとに僕がキャプテンでいいのかとも思いましたし、辞めたいとも思いました。

でも、そんなときにささえてくれたのチームメイトや家族の存在でした。「ひとりで抱え込まず、話してくれよ」といわれたときには、涙を流しました。その時、ほんとに良い仲間を持ったと実感できました。家族には特にこれといって言われることはありませんでしたが、ただ一緒にいるだけで落ち着くことができました。とにかく、思いっきりやろうとがむしゃらに練習してきました。そのあたりからバスケットボールが楽しいと思えてきました。

そして、最後の県大会。目標は全国へ。すべてをぶつけましたが結果はベスト8。

本当に悔しかった。

勝負の世界では勝たなくては意味がないとは言いますが、でもバスケットボールの楽しさを小学生の頃に感じることができたからこそ、

その次も続けたいという気持ちになれました。

以上が小学生編になります。

中学生編はまた、お話できたらと思います。

それでは、、、