子どもの才能・能力・努力 ぼくの心配していること | 45G ジタバタのんびり行くさ

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京都に引っ越してきて、なんかバタバタしてます。歳をとって新しい場所でなんだかぶつかりながら毎日を送っています。

今日は孫のヴァイオリンの発表会を観てきた

孫は10月から始めているので

そんなにうまくはない

よくがんばっているけど

まだこれからという感じ

 

他の子は

すごくうまくて

モーツアルトのヴァイオリンコンチェルトの5番の第一楽章とか

ブラームスのハンガリア舞曲第5番の合奏とか

演奏して

すごいなあと思った

ぼくはクラシック音楽の愛好家でもあるので

まあ、すごいと思った

それから派生して思ったことを

書いてみる

 

このごろは

何かお稽古事?をしている子は

すごくうまくなってる

それは昨今の指導技術の進歩があると思われる

たとえば水泳なら50m自由形は

昔は30秒がチャンピオンになれたが

今はどうだろう

ぼくが教えていた時は

28秒台だった

今はもう

27秒台にはいってると思う

それと同じように

 

野球

サッカー

などのみんなで遊べるスポーツで

クラブチームに入っている子は

ものすごくうまくて

体育の時間

他の子と一緒にできない

特に女の子をその中にいれると

危険を感じる

 

テニス

柔道

空手

レスリング

体操

バレエ

ダンス

ピアノ

ヴァイオリン

そろばん

書道

 

そして

勉強

 

普通の子とは

まるで

レベルが違う

相手にならない

普通の子では

 

昔は

みんなでワイワイやれていたものが

今はできない

 

やっている子は

めちゃくちゃできる

それってどうなのかなあって思う

 

まず

すばらしい能力をもっていても

学校で見られないのなら

すごいことがわからないし

わかったらわかったで

みんなと一緒にできないこともある

 

みんなでワイワイできた方が楽しいのに

最近そういうことが少なくなっているような

 

それに

野球がうまい子は

他のものがうまいか?と聞かれて

そうでもない

当たり前だけど

鉄棒とか

マットのような

器械運動系はできないことも多い

 

技術・能力のアンバランスさを感じて仕方ない

一芸主義ってやつでもいいんだけど

AO入試で入れるぐらいならそれはそれでいいけど

 

勉強はどうなのかといえば

クラスで多くの子が受験する学校はいいけど

クラスの1割ぐらいしか受験しない場合は

二つのタイプがある

一つはあまりわからない場合

そうか受験するのかっていう場合

もう一つは

えらそうになるタイプ

勉強してるってことは

当然受験しない子と次元の違う能力をもっているので

そういう子の中に

こんなこともわかんねえのかって

えらそうにする子がいる場合がある

先生の教え方に文句をつけたりすることもある

受験している子は次元が違うのだから

特殊なもっといい解き方をマスターしている場合が多い

そういう子にクラスの舵をとられると

困ることになる

もちろんとてもいい子もいる

こういう解き方もあると教室の前に出て

説明してくれる子もいる

 

だけど

進学塾で心が病んでしまう子もいる

そういう子が

クラスで毒を巻き散らかすことがある

そういう子もいるってことだ

 

何が一番いいって言って

勉強ができることが一番いいとぼくも思ってる

だけどそれで

人格がゆがむのは困りものだ

本人にとっても

クラスにとっても

 

「いい人」になることが

教育の仕事だと

ぼくは思っている

 

夢みたいなことばかり言っていても

現実はよくならないと言わればそれだけだけど

みんなで楽しく過ごせることが

今の世は求められているのでは?

でも一人一人の力ものばしたいし

 

結局

両親

指導者が

そのあたりをきちんと教えること

人としての価値を大切にすること

に尽きる

 

現実はきびしいけれど

みんなが過ごしやすいように

考えるべきだ

 

 

なんてことを

ヴァイオリンのすごくうまい子たちを観て

考えたわけです

 

受験される子のご両親

失礼があったらごめんなさい