共感するということ | 44G 走りながら考える

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44年間の教員生活を終えました。昔のこと、今のこと、くだらない話、教育の話、まじめな話、毎日のフツーの日々、本、音楽、映像など、その日の気分で書いていきます。

今日は阪神・淡路大震災の日でした

朝からテレビで震災関連の番組が続いています。

能登の震災についても話がつながっていきます


どんなことも一番よくわかっているのは

直接経験した人です

それ以外の人は、そのことについて学んで、初めてわかるのではないでしょうか

テキトーにしていれば

理解は深まりません


ぼく自身は阪神淡路、東日本大震災のことは名古屋で揺れを感じたにすぎません

その後の報道、画像でその悲惨な姿を見て学んだように思っています


前の戦争で原爆のことを知らない若者がいることに驚きを覚えている人がいたように思いますが

例えば、東京大空襲でどれだけの人が亡くなったのか知っている人は少ないと思います(約十万人)


そこに必要なのは学習ということでしょう

でも、学習にも限度があります

さてさて

それより必要なのは想像力でしょうか

共感する力とでもいうのでしょうか


それならできるかな


じゃあどうやって?


いいクラスを作ることでしょう


困っている子をいなくする

困っていることをみんなに言える

助けを求められたら

精一杯努力する


そういったことができるクラスなら

たくさんのことに気づき

なんとかいい方向に進めるようになれるでしょう


なんか硬いこと書いてますが


授業中わからないことがあれば

周りの子に聞いてみる

わからなそうにしていれば

声をかけてみる

カラオケ大会をしていて

みんなと一緒に大声で歌う

そんなことができれば

大丈夫かなと、思います 


そういうことがふつうにできる環境が作れているのならサイコーだと

そういうところで育ったのなら

共感する力が十分育つのではと思います



よく、昔の経験がいきていない

とか

学んでいななんて報道されていますが

そりゃ仕方ないでしょ

人間なんて忘れる動物

いい加減なんだよ

大事なのは目の前のことなんだ

みんなみんなみ〜んな

だから専門家が必要なんだ

研究が必要なんだって言うけど

どこまて行っても完全はないでしょう


学ぶのは大事

ある程度の準備は必要

3日間だれの世話にもならずに過ごせる準備をと言われているけど

実際、それをしている人は

ごくわずか


ぼくもテント2張とか

アウトドア用品をたくさん捨てました


そんなことを考えていたら

なんかいやになってきました

しずかに過ごしていると

余計なことを考えてしまいます


でもでも

少しずつ良くなってきていることは確かですね

日本だから支えられているとぼくは思ってますけど



寺田寅彦の言う通りです


天災は忘れた頃にやってくる