ギモンをおぼえる正しいのは正しいの? | 44G 走りながら考える

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「いい人」を育てたいといつも思っていました。
「いい人」というのはどういうひとなのでしょう。
今の流れ・45年の小学校教員から得たものを通して書いていきます。

急激に時代が変わってきている気がする

年をとったからか

 

なんか社会全体が厳しくなってきている

悪いことは悪い

それは当たり前のことなんだけど

わかってるんだけど

社会が健全になるっていいことだと思うんだけど

なんか釈然としないな

 

なんていうか

悪いものは悪いんだって

白黒はっきりつけるようになったよね

学校の先生の体罰とか

いろいろあるハラスメントだとか

 

若い人が

「髪の毛のこと言っちゃだめなんですよ」

と言ったから

「なんで?」と聞いた

正当な理由は聞けなかった

しっかりジェンダーの勉強をしなくちゃいけないようだ

正しいことをよしとするのは当たり前だろうけど

それが過ぎていないか?

息苦しくないか

まわりまわって自分もいつ責められるかもかもしれないと思って

言動を慎むようになってないか

若者が自己肯定感が低いと言っているのも

そのあたありが原因じゃないか

とても生きづらい世の中になってきていることだけは確かだ

ぼく的には

 

何か都合のよくないことが起こる

そうするとそれを禁止するようになる

そういうことがずっとずっと続いてきた結果

今の世の中ができてきた

学校はいろいろなことに対処しなくてはならず

年々忙しさが増してきた

結果、若者で先生になりたいと思う人が少なくなった

いい先生というか力のない先生というか

子どもをのばせる先生が少なくなってきていることだけはたしかだ

日本の未来は今時点で暗い

 

よくみんな、年寄りが言う

ちょっと年取った人でさえ

「昔はよかったなあ、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」とかあったからねえ

というのはほとんどの場合

昔は今よりゆるかったってことが多い

 

司馬遼太郎を信じていいかどうかしらないけど

明治の元勲はよかった

昭和になって軍部が独走して戦争に

なんて言われている

戦後も

田中角栄を頂点にして

親分の政治家が徐々に減り

今ではみんな小粒の政治家になってきたような

同じことを繰り返しているよね

そして日本は弱くなった

政治家のせいかどうかわからないけれど

 

だめだめ中学校則も何か問題があってそれを基に細かくなってきた歴史がある

そんで今、それでは都合が悪くなってきたのだろう

時代は生徒・保護者側に流れ 主体的な校則を作ろうという動きになってきた

昔の教育関係者が作った校則は悪になり

善としての自由な校則ができあがりつつある

 

ぼくは50年前京都の高校生だった

学生運動のせいで校則がゆるくなり

ものすごく自由な学校になった

先生が休めばその時間は自由時間

昼ご飯は2時間目の後

食堂があった

掃除の後はみんなでお菓子を食べてた

授業をさぼるのも自由

よく授業中に喫茶店に行ってた

服装ももちろん自由

その結果

目的をもたない奴らは勉強なんてしない

遊びたいだけ遊ぶ

ぼくたちの成績は下がり

浪人あたりまえ

浪人してもいい大学にも合格せず

ということになってしまった

かつて京大合格者が数十人いたという学校が

数人にまで落ちた

 

そういうふうになってもいいか?

だめだよね

そうしたらどこかで線引きが必要になってくる

どこまでが正しくてどこからが正しくないんだ?

だれが決めるんだ?

自由ってなんだ?

ということになる

 

自由が進めばかえって生きづらくなる

どこまでいっても

いい悪いの境界線は引かれる

 

だからあいまいな部分が必要じゃないかなって

グレーな部分をよしとしないと苦しい

そこに登場してくるのが「自分」になってくる

他の子と比べる、比べたくない

みんなやってるから

というような子はあやうい

テキトーにかわしながら自分で自分のことを考え

自分つくりをなんとかやりぬいていく

 

苦しい時代、世の中になったもんだ

何が成功かなんてわからないし、わからなくていい

自分の物差しで進むこと

というのが求められているのかな

正解なんてないから

あるとすれば自分の中だろうね

そういう子を先生たちは育てる必要があるけど

相当難しいでしょ

 

何か問題を起こした人が「申し訳ありませんでした」といい

頭をさげる

頭をさげる時間が短いとか○○秒でしたとか言ってるテレビの人

おかしくないか?

反省の度合いというのは何ではかるの?

そのモラルが危うくなってきている今

やっぱり自分でいいと思うことをやっていくしかないと

ぼくは思うな

 

 

 

暗くなった街を歩く普段とはちがった眺めですね