友達と連絡がとれず、ずっと気にしていたのですが、キネシオロジーの講座のセッションで、気づきがありました。
私はその友達のことをずっと気にしていました。
私は、彼女の友達のつもりでいたし、彼女の役に立ちたかったし、頼ってほしいと思っていました。
だからこそ、頼ってくれない彼女に苛立ちもありました。
「もっと話して。困ったら頼って」と直接言ったこともあります。
でも、彼女はどうだったんだろう?
最近彼女と会う時は、私が彼女の話を聞く姿勢をとることが多かったです。
だけど、彼女の気持ちを聞いているつもりで、実は全然聞いていなかった気がします。
特に私に対する気持ちは聞いたことなかった。
私の気持ちが押しつけになっていたかもしれない。
きっと彼女に対して、結果的に、上から、「してあげて」いた。
私は私の奉仕精神を満足させていただけ。
彼女は気を使う人だったし、逆にしんどい思いをさせていたのかもしれない。
遊んでてもきっと楽しくもなかった。
だから、今彼女とは連絡がとれないけど、彼女が連絡をしたいと思うまでは、信じて待ちます。
彼女のことは彼女のこと。
それでどんな結果になっても、それは彼女が決めたこと。
違う人間の私がどうこうできることではない。
私は私で楽しもうと思います。
とりあえずおいしいごはんを食べに行く![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
私は、昔から無意識に人をコントロールしようとしていました。
私が思ったようにしてほしい。
私が思うように感じてほしい。
思い返すと、子どもの頃は割とジャイアンでした笑
人に認めてほしい気持ちが強かった。
人が同調してくれると、安心だし、認められたと思っていたのでしょう。
少し前にそのことに気づいて、自分と人をだいぶ離せるようになったつもりだったけど、まだまだなんだなぁ![ショック](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/053.png)
![ショック](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/053.png)
そういえば、先日も、職場で。
職員と違う意見の話し合いをした時。
私がその職員に違う案を提案をした途端、相手がつっけんどんな口調で、不機嫌な様子になりました。
瞬間、私は固まってしまいました。
私の何が悪かったんだろうとか、拒否された怖さとか、なんで認めてくれないんだろうという怒りとか。
心がザワザワしたのは、自分が認められなかったからだと今ならわかります。
だけどそれも、相手が機嫌が悪くなったのは相手の気持ち。
人と私は違う。
感じ方も価値観も違う。
私が嬉しいように思ってくれるとは限らない。
そういうもの。
相手の態度に対して腹が立ったり不安になったりするのは私の気持ち。
それを押しつけて、変えることはできない。
認められなかった私が悪いわけでもない。
幼い頃、母親が感情的な人で、私の言動に不機嫌になることが多く、怖かったですが、それも、
母親のことは母親のこと
ただ本人の琴線に触れただけ
母親と私は違う人間だから母親が怒ることもある
私が悪いわけでも、責任を負うことではない
と思い直せました。
自分と相手を切り離すこと。
私はまだ苦手ですが、少しずつ。
相手に影響されず、相手のことは相手のこととして、自分は自分のことを考えて、自分軸を持って、生きていきたいです。
講座は楽しいです![ルンルン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/087.png)
![ルンルン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/087.png)
キネシオロジーってすごい![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)