ネット上の評価と自己肯定感 | 自分のままでのびのび楽に 性質を知って自分を知る 相手を知り寄り添う関わりを ケアする人凸凹さんを楽にしたい

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社会福祉士で知的障害者生活支援施設→現在発達凸凹さんゆっくりさんの児童デイ勤務。性質を知って、心に寄り添う関わり方で、セルフケアで。支援する人、子育て・家族のケアをする人が楽に、ゆっくりさん凸凹さんが自分のままでのびのび。

最近はネット上で自分をアピールして評価されることが当たり前になってきている。
自分を表現できる場が広がるのはいいことだと思う反面、ネットでの評価=現実の自分の評価だと感じてしまう人が増えてくると、自己肯定感の揺らぎを感じる。
直接顔を合わせていない、架空ですらあるネット上でも気を遣わないといけない現状に、自己を解放できる場所はあるのか心配になってしまう。

先日、私がフリマアプリで商品を購入した時のこと。
パンツがロールアップされたままでぐちゃぐちゃに梱包されており、少し不快な思いをした。
良いか普通か悪いかで言えば、それ以外の対応は悪くなかったので「普通」評価にした。「良い」わけではなかったので。
私は少し不快な思いをしたので、本来なら悪いでもいいはずのことだが、フリマアプリで悪い評価をつけようとするといろいろ面倒なのでやめた(そこがまた気を遣わせるように操作されている気がするが)。
相手は評価を普通にされたことが気に入らなかったらしく、自己を正当化し、私の悪かった点を挙げて攻撃するメッセージを送ってきた。
私は私の気持ちを正直に伝えただけだし、正直、フリマアプリで普通評価になることがそんなに深刻なことだとは思っていなかった。普通は普通であって、良くはないが悪いわけではない。
しかし、フリマアプリの世界では、基本「良い」をもらうものらしい。
プロフィールにも、普通評価をつけられたことに対して、相手に問題があったことを書いている人がいる。
もしこれが会社のネットショップだったら、即座にクレームだろう。しかし、個人対個人という点が気を遣わせる要素になっていると思う。
また、現実だったらその場で話をしてお互いが納得する落とし所を見つけられるが、一方的に評価して終わりなので、やりとりの機会がないことも問題なのではないか。

現代では、ネット上でいいねをどれだけもらえるかで自己価値を高めている人がいる。
しかし、あなたの価値は、ネット上のいいねや良い評価の数だけで決まるわけではない。
あなたが作った物、撮った物、売った物ではなく、もちろんそれもあなたの評価の材料になることもあるけれど、現実のあなた自身は?
周りの評価を気にして生きるのは、自己肯定感が低い人が増えているからなのではと危惧している。