スピリチュアルなお話:その10 人生がうまく行かなくなる姿勢 | こめじるしるーむ

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私として生きる

 

私たちにはそれぞれに役割があります。

各々を生かしている生命は、その役割を機能させるために私たちを生かしています。

全ての人には共通する仕事が1つあり、それは「己として生きる事」です。

それぞれの人が持っている役割の部分はバラバラですが、

「己として生きる」という姿勢は全ての人にとって同じだけ重要です。

 

 

 

人生がうまく行かなくなる姿勢 

 

自分の役割を受け入れ、自分を受け入れ、自分にできる事をやっている限り

生命は自分として生きていくために必要となる全てを満たし続けてくれます。

しかし、それを阻害する考えを心に抱いた時、生命の支えを受け取る事ができなくなり、

必要なものが十分に無いなどの、人生がうまく行かなくなる状態が起こります。

 

 

1:自分や自分の人生を受け入れていない

自己憐憫や自己否定があり、自分の人生を嘆いている場合、

自らの役割を果たす事はかなり困難になるため、様々なものが枯渇しやすくなります。

自分を可哀想だと思う原因や、自分を否定してしまう原因を癒す必要があります。

幼い頃に人格否定をされ続けたり、性的暴行にあったり、イジメられた経験があるのなら

自らの心の傷を素直に認め、癒しに対して心を開くようにして下さい。

時々、自己憐憫に酔いしれている人もいますが、それはここには該当しません。

それは他者や世間を利用するために「可哀想な立ち位置」を利用しているだけなので、

潜在的には自らを偏愛しており、そこに自己否定感はありません。

 

2:自分を受け入れてはいるが、他人の役割を羨んでいる

自分よりも他の人達の方がうまく生きているように見える時、

私たちは「あんな風になりたい」「あんな風に生きられたらよかったのに」と感じます。

この思いが、自らの役割を生きる事を妨害します。

このような思いを持つ時は「人生がうまく行くにはこうでなければ」という

制限に基づいた信念(固定概念)を保有している可能性がとても高いです。

この信念はあらゆるものに適応されています。

好かれる性格はこう、この経験はこの年齢まで、こういう仕事じゃないと安心できない、

休みの日はこんな風に過ごすのがベスト、見た目はこうじゃないと好かれない…など

様々な条件で自分や他人を縛り付け、それ以外の状態を無意識のうちに否定しています。

この場合「人生がうまく行くにはこうでなければ」と考えている、

思い込みを全て捨てる必要があります。

思い込みを保有している時には、それは「現実的で正しい事」だと認識していますが、

それはただの思い込みなので、実際には現実的で正しい事ではありません。

自分の考えが偏っている事を認める勇気が大切になります。

 

3:自分を受け入れてはいるが、自分の役割に不満を抱いている

これの原因は欲です。十分にあるにもかかわらず、欲に溺れて「足りない」と感じます。

そうやって、自分よりも多く持っている人達を羨み、自分の人生に不満を持ちます。

欲の役割は求める事です。欲が満足に転じる事は決してありません。

「もっと、もっと」と言っている限り、永遠に満足する事はないのです。

この場合、欲を抑制する必要があります。

寄付をしたり、人助けをして、与える喜びをしっかり体感するようにしていきます。

このパターンは、自分から何かを出す事を非常に嫌がります。

お金、時間、愛、このような要素で1ミリも損をしたくないと感じているのであれば、

自らの欲によって何かがうまく行かなくなっている事を認める勇気が大切になります。

 

4:自分の人生を受け入れてそれを行っているが、受け取っていない

清貧の誓いと言うもので、心の深い所で自分を罰し続けています。

宗教的な修行の立場にある人、信仰心の深い人、自己犠牲の精神を持つ人が陥ります。

これは全く持って良いものではないので、すぐに心を入れ替える必要があります。

生命(神)に自らを捧げる決断をした魂たちは、自分自身の事をないがしろにします。

しかし、生命は自分自身の事も生かしています。これを忘れてはいけません。

真に生命の為に働くためには、生命が受け入れている自分の事も受け入れる必要があります。

命が生かしている自分を尊重し、それの幸福や喜びを許可しなければなりません。

 

 

 

何をしているかよりも、心の見ている方向が重要 

 

例えば結婚は世間的に見ても祝い事として認識されていますが、

その結婚を行う動機が「将来に対する不安」なのであれば、

心は「恐怖」を見ているので、その結婚生活の中で恐怖(不安)を味わいやすくなります。

特定の出来事が自分に幸せや安心を与えてくれるわけではなく、

自分の心が見ている方向のものを自分が味わうので、

何をしているかよりも、心がどのような方向に向いているかの方が重要です。

 

安心するためには○○が必要だ、という訳ではなく、

安心して生きていくためには「安心」を心で捉えておく必要があり、

その心の状態から日々の活動を行う時、日常生活が安心に満ちたものになります。

自分を生きている時には、これがスムーズに行われています。

しかし、上記に挙げたようなパターンに心が陥った時には、

この意識の持ち方に弊害が起き、辛さを感じやすくなります。

 

 

心の傷は自分として生きる事を困難にさせます。

自己否定は、自分自身が癒しを必要としている事を教える心のサインです。

自己否定に甘んじてはいけません。否定は正しい事ではなく、間違った姿勢です。

自分を間違った状態にとどめておく限り、自分の人生をのびのびと生きる事は出来ません。

自分を生きるために、自分の幸福を受け取るために、癒しを受け入れて下さい。

 

固定概念は、特定の生き方だけを良しとして、それ以外の生き方を否定してしまいます。

自分の役割を無視して、固定概念になっている思い込みの方が重要だと誤認しているため、

これを強く持つ心は、自分が本来持っている生命の自由を取り戻そうとします。

だから、もっと自由で在りたいと思います。

自由になるためには○○しなければ、というのも固定概念である事に気付いてください。

自由は、そのような制限を持ちません。

どのような選択をとっても、そこに幸運の可能性がある事を知っています。

特定の方向や経験にしか幸福や安心が無いと思い込む心から自分を解放しましょう。

 

欲は満足を隠します。与える事を嫌悪して、自分だけの利益を追求する姿勢は、

自らの人生の満足をひた隠しにしてしまうので、結果として自分が苦しむ事になります。

生命の力は太陽のように、常に外側に放出されるような感じで流れています。

与えれば与える程、自分が出している命の輝きを感じやすくなる特徴をもっているので、

損をしないように与える行為に制限をかける姿勢が、結果として損になってしまうのです。

これを認めるには勇気がいりますが、認めようとする勇気自体が癒しに繋がります。

 

自己犠牲的な意識が強い人は、自分を含めて世界である事を理解する必要があります。

愛そのものである生命は、自らが生かすものたちの犠牲を求めていません。

自己犠牲は自我の幻覚に向けた言葉で、生命が生かす存在への言葉ではありません。

 

 

 

”良くなる”為の姿勢は人それぞれ 

 

スピリチュアルや自己啓発の話しで良く「与える方が先」と言われます。

しかし、自己犠牲的な意識を持つ人がこれをしてしまうと、枯渇するだけになります。

欲は全ての人が持っているので、その欲を抑制する「与える」という行為が

心に一定の影響を与えるのは確かな事ですが、その効果も人によって様々です。

与えるよりも受け取る方が大切な人もいますし、

与えたり受け取ったりするための自分をもっと元気にする事が大切な人もいます。

また一人の人でも、人間関係では与える姿勢が大切になるが、

仕事面では受け取る姿勢が大切になるなど、その人が持つ意識の形に応じて

癒しとなる姿勢をシーン別に持っている事も珍しくありません。

 

自分に起きている課題が何なのかを見つめる事もまた、

ありのままに生きていく上でとても大切な要素です。

 

生命が支える自分自身を生きて下さい。

自分は、とても大切な存在です。

自分の人生の中に、アナタの幸福や愛や喜びがあります。

 

 

 

 

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