スピリチュアルなお話:その6 自我のお話ー4つ目 | こめじるしるーむ

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誰しもが自分として在る事が一番大事。そう信じています。

 

自我は意識そのものではなく、道具のような、プログラムのような、

私たちを構成する仕組みの一部として機能している何かです。

二元的なものの見方をしていて、「私とあなた」や「こっちからあっち」のような、

自分がいて、それ以外がある、という感覚を創り出しています。

 

自我はただ機能しているだけの時には何の問題も生じさせないのですが、

自我を「自分自身だ(それは私だ)」という思い込みをもってしまうと、

自我は苦しみの根源となり、数多くの問題を生じさせる要因となります。

 

一番の問題は、本当に自分を生かしている生命の力を隠してしまうところにあります。

私やアナタを生かして支えている生命の力は同一のものですが、

自我はこれを別々のものだと錯覚しています。

自分には自分専用の命が宿っていて、他者には他者専用の命が宿っていると思っています。

 

 

 

他人に与えるものを自分にも与える、逆も然り 

 

自分とアナタは別物で、自分を生かす命とアナタを生かす命は違う。

と言う風に自我は信じているため、目に映るそれぞれに対して別々の判断を下します。

その判断は、自分自身に刻まれている価値基準を元に行われます。

 

しかし、私たちを生かしている生命は、先述したように同一のものなので、

他人に対して下す判断は、自分を生かしている生命に対する判断となります。

誰かに対して「お前は無価値だ」と言ったとしたら、

自分自身を生かしている生命に対して「無価値」のレッテルを貼る事になり、

その分だけ、自分自身が生命の力を感じる事ができなくなって、苦しみます。

許す事ができないもの、批判的に捉えてしまうもの、価値を認められないもの、

そういったものが増えれば増える程、自らを生かす生命の力を感じにくくなっていきます。

 

他者に与えるものは自分に与えているのと同じで、

これは逆に見ると、自分に与えているものは他者に与えているのと同じとなります。

自分自身を否定し、価値を認められず、愛せないというのであれば、

自分を支える生命と同じもので支えられる他者を、認めて愛する事も困難になります。

自我の内に居る時、この事は極めて認識しずらいのですが、

認識しずらいからといって、無効化されているわけではありません。

自分が放ったものは全てを支える生命に対する態度となり、

その態度に応じて、生命から受け取れる力の量が変動します。

否定的な思考に囚われれば囚われるほど、生命力が減ってしまうという事です。

 

 

 

 

心に宿る固有の判断基準 

 

「良い(OK)」「悪い(NO)」を決める判断基準はそれぞれの心に宿ります。

これは育ってきた習慣や、考え癖、教えられた教育などによって変化するため、

誰しもが同じ判断を下すわけではありません。

ですが自我は、自らを中心と見ているので、これを世界の真理と考える事があります。

自分の嫌いなものは、誰しもが嫌いだと考えますし、

自分が許せないものは、決して許されるべきではないと本気で思っています。

そうやって、自分の感じた事の正当性を主張したり、

自分の正当性を守るために戦い、対立しているものを否定し続ける事で、

自らを生かす生命に対する態度を、更に酷いものへと深めていっています。

 

自我の行う否定は、肯定の拒絶です。

生命は常に肯定のみを行っているので、その流れを拒む事が、否定となります。

受け入れる事ができない、というのは、そこに流れている生命も受け入れないという事です。

自我の持つ思想やそこにある判断基準は自我特有のもので、生命のものではありません。

ですからこの基準は個々人によって変動します。

全てが共通して持っている生命の力には、判断基準がありません。

だからこそ、これだけ様々なものがこの世界には存在しているのです。

 

生命に対して否定的な態度をとる要因となっている「判断基準」は、

生きていく上で全くと言っていいほど役に立っていないのですが、

自我はこれを自分のために必要なものだと判断して、執着しています。

ですから、この思い込みを放棄する事は、簡単な事ではありません。

 

この基準への拘りを浄化する代表的な方法が2つあり、

この方法はどちらもすぐにでも始められるものです。

1つは、自分自身を愛し受け入れる、自己愛や自己肯定感を高める方法です。

2つ目は、他者や自分を許す事です。

自己受容と許しは、様々な癒しをもたらすと何度も書いていますが、

この2つは私たちを生かしている生命に対する否定的な態度を改めさせるので、

自分を生かす生命を肯定し、それで満たされる状態にしてくれます。

癒しは自我が拘る正しさの中ではなく、生命の中によって起こるのです。

 

 

 

 

自我の拘りは、自我の内に在る時には、ものすごく重要なものに感じます。

自我の疑問に答え、自我が納得する事をしていれば、幸せになれると感じます。

しかし、これは自我が張り巡らした罠です。

自我の言うとおりにしていても、生きやすくなる事も無ければ、幸福になる事もありません。

生きやすさとは易々と生命を体感出来ている状態で、幸福は生命の中に在ります。

 

他者から否定されるのは辛い事ですが、

本当の辛さは否定する心の方に宿ります。

否定される人よりも、否定する人の方が、ダメージが大きいという事です。

否定された人が苦しむのは、

その否定を生じさせている判断基準や価値観を信じてしまっているからです。

その人自身もまた、同じように否定してしまっているという事です。

苦しみを産み出す基準や価値観を信じる必要はありません。

それを信じる事を辞めれば、相手の苦しみが自分の苦しみになる事はなくなるでしょう。

 

繰り返しますが、幸福は生命の中に宿ります。

「幸福」というゴールがこの世界に存在しているわけではなく、

幸福は、自分を生かす生命の中に既にあるのです。

誰かと「幸福」を競いあう必要もなく、幸福の為に何かになる必要もありません。

 

自分の幸福は、自分として生きる中で生じます。そこに、生命が流れているからです。

自我ではなく、本当に自分を生かしている力を感じ、それに身を委ねてみて下さい。

それを感じるために、ここに書いた否定的な態度を改める方法を試してみて下さい。

アナタの幸福は、アナタの為に在ります。

 

 

 

 

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