私はガイドを信頼しています。
ですが時に、ガイドは私が理解に困る事を教えてくれることもあります。
それがこちら…
愛したいのなら愛されなさい
「相手から愛されたいのなら、先ずは自分が相手を愛するようにして下さい」
という言葉はとても多くの方が耳にしているのではないかと感じています。
これは確かに正しい事で、「私を満たして!私を愛して!」だけでは、
どうしても相手に負担がかかるので、愛の交換を行うためには
自分から愛を提供すると言うのはとても理にかなっています。
それは愛情の面だけでは無く、ビジネスシーンにおいても同じことかもしれません。
自分が相手に何を提供できるのかを考え、その提供物を相手に見せた後に、
自分の元にお金が入ってくるようになっています。
それ故に「お金を得る方法」では無く「自分が提供できるもの」に意識を向けて、
自分が情熱を注いで継続出来る事を探そうと言う言葉が溢れています。
出会いに関しても、とにかく自分から赴く事が先決です。
新しいものを得たいと思う時もそう。
とにかく、自分から出す事が受け取る事よりも先にきています。
何に関しても「自分から動く」「自分から発信する」事が先であると言う事が
とても重要な事であると伝えられています。
社会や人生を観察していたら、確かにそうだと思える出来事が沢山あるので、
この言葉に納得されている方は多いと思います。私もそうです。
ガイドは上記の流れを否定はしていません。
ただ「本当のスタートは受け取る事だ」と繰り返し伝えてくれています。
ずっと、このメッセージの意味をキチンと受け取る事が出来なかったのですが
最近になって、ようやっと彼の伝えたい事が分かるようになりました。
彼が伝えている「初めに起こる受け取り」は、他人と自分の間に派生するものでは無く、
自分と自分の間で起こる物の事を指しています。
言葉を変えれば自己受容です。当たり前じゃん!と言いたくなりますが、
彼のメッセージを様々な分野に当てはめると、以下のようになります。
【愛に関して】
スタート:「自分は愛されていて、必要とされている存在だ」を受容
【ビジネスに関して】
スタート:「自分には人の為になる才能が有り、人々はそれを必要としている」を受容
【健康に関して】
スタート:「私は元気に暮らしていける、私の体はちゃんと機能している」を受容
【勉強に関して】
スタート:「私なら覚えられる、私の能力が発揮できる分野がある」を受容
【出会いに関して】
スタート:「私にも出会いはある、何をしていても出会いはある」を受容
【お金に関して】
スタート:「私も豊かになれる、多くのお金を受け取りそれで楽しんでも良い」を受容
上に書いたことのような感覚を得る為に、何かを提供しなければいけないと
思っている人は意外と多いのではないかと感じています。
上記のような感覚を得たいがために、何をすればいいのかを探している人もいると思います。
ガイドが言いたいのは、何かを成したいのなら、自分の重要性を受け容れなさいと言う事のようです。
ただ、どうしても「自分がとても重要である」と思えない事もあります。
何か証明が無ければ、それを信じる事が出来ないと考える事もありますし、
無条件に自分を受け入れて喜びを許可する事は、甘えだと捉える事もあります。
過去を思い返すと、どうしても「自分が必要とされていると思えない」と言う事もあります。
でも、それらの感覚は全て”他人と自分”の間で起こっている事です。
自分と自分の間で起こっているやり取りでは無いんです。
本当の自分と言う言葉があります。
それがどういうものかと言う議論よりも、本当の自分の感覚は
どのように働いているのかを、理解しようとする事の方が大切だと思っています。
私は、本当の自分は無条件に自分を愛していると感じています。
自分以外にはなれないので、自分である事を受け容れ、
自分として生きていく方法を模索し、様々な経験をつもうとしていると思います。
率先して、自分が一番に受け入れるべきが、この感覚だと思います。
「私は私を誇りに思っているし、私である事に喜んでいる」という
自分の中心にある感覚を受容する事が、全てのスタートだと思います。
ガイドの話を持ち込むと、彼は天(神)は本当にアナタを愛していると伝えてくれています。
全ての物事のスタートは天(神)で、その原点に愛され、受け容れられていると
理解する事が最初に行わなければいけないと、彼は言います。
スピリチュアル的な話になると、拒絶反応を見せる人もいると思います。
また、宗教的な事を信じている人でも、そこには神に愛されるための誓約が
多く存在しているので「何かをしなければ」という思いが最初にあると思います。
「何かをしなければ受け取る事はできない、愛されない」と自分に教え込んでいるのは、
そうでなければいけないと教え込まれてきた人たちです。
自分に対して「何かをしなければ受け取る事は出来ない、愛されない」と教え込んだ人たちが、
心から自分の人生に満足して、自分である事に誇りを持っているでしょうか。
自分と他人の違いを受け容れ、多面的なこの世界を楽しんでいるでしょうか。
他人の目を気にせずに、自分に出来る事を情熱をもって行っているでしょうか。
そのような傾向がみられないというのなら「何かをしなければ」という価値観は
幸せになる為に必要なものとは言えないと感じてしまいます。
どんな成功論でも、テクニックでも、その前にまず「自己受容」があります。
それがすんでからでないと、自分から自分の力を出すと言う事もかなり困難になります。
自分に出来る事が分から無くなることが多いですし、自分から愛する勇気も出てきません。
自分が抱く愛に自信が持てなくなったり、自分がしている事に価値を見出せなくなります。
何よりも「受け容れられている、私はこのままでいい」という満足感が少ないので、
「これをして何を受け取る事ができるのか?」「これをして受け入れて貰えるだろうか」
という部分に意識が集中してしまい、自分を表現するという行為に身が入らなくなります。
これだと、自己アピールは「私を幸せにして!私を愛して!」と言ったものになり、
商品アピールは「私にお金を頂戴!安心を頂戴!」と言ったものになってしまいます。
そのような傾向が強い表現方法をとればとるほど、他者は自分から離れていきます。
面妖な事に「自分を受け容れる事が出来ない」という感覚が強ければ強いほど、
他者が向けてくれる愛情を疑う傾向が強くなります。
自分が受け容れる事が出来ない自分を、他人が受け入れられるとは思えないからです。
「受け容れられていない自分」を証明する為に、そういった人たちから隠れる事もあります。
愛される事が怖くなれば、愛する事も怖くなります。
自己受容の為に必要な成すべきことはありません。
唯一あるとすれば、自分に誇りを感じている中心にある感覚と、同調すると心がける事です。
その方法で真っ先に述べられるのが瞑想や内観です。
普段、不安や心配を考えている働きを休息させる事で、
元々持っている「無条件の愛(強い肯定感)」に身を委ねることが出来るようになります。
自分の中にある無条件の愛(強い肯定感)に身を委ねる事は、
自分から愛される勇気を持つことかもしれません。
物凄く変な言葉ですが、中央にいる自分の視点に立つと、こんな風になります。
自分の中に二つの人格がある事はありませんが、
自分が二つの感覚の間で板挟みになっている事はあります。
「自分を愛している」という感覚と「自分を愛してはいけない」という感覚です。
殆どの場合、前者に理由はありませんが、後者にはすごい量の理由が付いています。
理由がある。だから後者が正しいんだ!と、明確に断言する事もまた難しい事です。
人は自分が信じている事を証明する為に、それが正しい理由を探し求める傾向があるからです。
もしかしたら「自分を愛してはいけない」と言うような感覚に付着している理由は、
それを証明する為に無理矢理かき集めてきた価値観達かもしれません。
愛される勇気は、愛する勇気と同じくらいに大切なものだと思います。
「受け容れる」という感覚がどれだけ大切な事なのか…と言う事を、
ガイドが繰り返し与えてくれていたような気がします。
おまけ
誰かから放たれる自分への愛を受け容れる事は、その人に喜びを与える事に繋がります。
受け取る事がそのまま、相手に与えている事になる場合は多々あります。
愛を受け容れるには、自分が愛に相応しい存在だと理解する事から始まります。
大切だと思ってくれる人たちに心からのお礼がしたいときは、
その人たちが喜んでくれる、その人たちの愛を疑わずに受け入れると言う行為に専念する事は
とても大切な事だと感じています。
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