何もしなくても楽しめばいいのに、
何かをしなければ楽しめないと思う。
何もない時間を楽しめばいいのに、何かがある時間でないと楽しめないと思う。
一人の時間を楽しめばいいのに、誰かといる時間でないと楽しめないと思う。
する事のない時間を楽しめばいいのに、する事のある時間の方が楽しいと思う。
お家にいる事を楽しめばいいのに、外にでなければ楽しくないと思う。
あれが無いから、これが無いから、これも無いから、私は楽しめない。
どれだけ得ても、どれだけ成功するようなシステムを組んでも、
得れない限り楽しめないと思っている以上、心の底から不安が消える事は無い。
自分に何かを付け加えないと、自分である事に満たされない、
自分の人生は満たされない…と思うのは、深い部分からみれば、自分を否定しているという事につながる。
何もない状態の自分を愛せる時、本当の意味で自分の人生を受け入れる事につながる。
それが一番でっかい包容力。
愛は全てを包み肯定する。
どれだけ自分が自分の人生や、己自身を否定しても、自分の不幸に嘆いても、
愛はアナタの全てを受け入れ、アナタの幸せを願う事をやめない。
人は皆愛されている、その対象を神と呼ぶか宇宙と呼ぶかはどうでもいい。
ただ、想像も出来ないほどの大きなものに守られ、愛されている。
その愛が願う事はただ一つ、アナタの幸せ。
アナタがどれだけ自分の人生を呪おうと、愛はアナタの人生を幸せにしようとする。
どれだけ自分が満たされない方向性を築こうとも、愛は満たされる方向に導こうとする。
愛の力は絶対的。愛の力はとんでもなく強い。
どれだけアナタが、「私は不幸だ」と思い、それが絶対的な真実だと自分に言い聞かせようが、
愛はアナタの思いとは真反対に働く。「私は幸せだ」と思わせるように働く。
その働きがアナタの中にしかない真実に反している時、アナタは苦しみを感じる。
アナタは”自分の中にある真実”が、正しいと言われる事を願う。
アナタは間違っていない。
アナタのしている事はただしい。
アナタはそれで良い…そのセリフを願う。
だが、アナタの中にある”真実”がアナタを苦しめているような時、
愛はアナタに真正面からその真実は嘘だと告げる。
アナタは自分が信じているものを否定されたと思い、とても苦しい思いをする。
時には人を羨む、時には自分を駄目と決め付ける、時には愛を疑う。
けど愛はやめない。アナタに幸せになって欲しいから、それは嘘だと言い続ける。
愛は、アナタの幸せを永遠に求める。
アナタがどれだけ拒絶をしても、愛はアナタに働きかける事をやめない。
アナタに向かって「愛している」と告げる存在を受け入れる事だけが愛の受容では無い。
産まれた時から、いや、産まれる前から「幸」を望まれている働きそのものを受け入れる事。
それも愛の受容。
アナタの背中は押されている。「幸せになりなさい」と押されている。
それが愛の力。それが神の力。それが宇宙の力。それが最も大きな力。
これと、あれと、これがある人生が幸せだとアナタが思っていても、
その思想が「幸せ」から遠のいているような場合は、愛はアナタに伝える。
アナタは何も得る必要はない。
アナタの中にある常識は嘘だ。
アナタは飾る必要はない。
アナタは他者から奪う必要はない。
アナタは他者に受け渡す必要はない。
愛は知っている。愛は、アナタの幸福なる道しるべを知っている。
愛は諦めない。たとえどれだけ拒絶されようとも、愛はアナタから出ていかない。
人の世は”恐怖”を中心に動いている。だから、愛を渇望する。
自分を満たしてくれる何かを切望する。
自分である事に安心するために、自分が出来る事を常に願う。
その根本にあるのは、愛されない、持っていない、何もない事への恐怖心。
愛は他からもらうものだと思っている。
違う、アナタの存在がある以上、アナタはすでに愛の中にいる。
愛は与えられるものではない、愛はすでにあるもの。
愛が望んでいるのはアナタの幸福。アナタの幸せ、アナタの満足、アナタの笑顔。
幸せになりたいのなら、愛に心を開き、愛に全てを委ねる事。
何か不思議な感覚に見舞われたから、適当に書いていたらでっかい話になった。
- - - - - - - - - - - - 全ての命に愛を… - - - - - - - - - - - - - - -
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