冷えもなくぽかぽかとすら感じていた金曜日。
遅番だったし、母の晩御飯用意して、
昼から勤務。
冷え込んできたので需要も戻りほどよく忙しく、
無事閉店時間。
在庫表や売り上げ表の記入時に、今日の日付を確認した。
1月22日!!!!
うわっ、
ばたばたな中で1日勘違いしてたあ~。
22日は長男の誕生日!
握っていたメーカーからのガラケーを、
マイスマホに変えて、
慌てて職場から誕生日おめでとうラインを!
よくよく見たら前夜、
明日車使えるか、
晩御飯いらない…
と、日付かわってから何度かやりとりしてるし…
21時過ぎてからおめでとう!なんて、
忘れてたのばればれかもな(^^;
主人が朝、お祝いラインをしたらしいからよかった(^^;
誕生日に、車使って、晩御飯いらなくて。
誕生日を一緒に過ごす人がいて、
嬉しく安心する母でした。
弟が急に亡くなり4か月後にきた16才の誕生日、
20才の誕生日は、
私の長男への感謝の想いと長男へのエールをこめて長いメールやラインを送った。
22才は…。
長男もある意味安心したかもな(^^;
クリスマスサンタではジースターロウのトップス一枚(着てくれてます(^^))と下着パンツでしたが、
今回の誕生日プレゼントはお祝い袋にいれたお小遣い。
私は一人っ子で、今思えばやはり小さい頃からその年齢なりに、
常に親の将来を考えていました。
中学生あたりまでは、
この家を離れたくないとか、
結婚して両親と離れたくない!なんて真剣に思っていた。
家と両親が大好きだった。
それが、高3で関西の大学を受ける!とさっさと決めて、
3つとも落ちて地元大学に入学金まで払ってもらっていたのに、
やはり関西に出たくて3月に二次試験がある大学を調べて…合格。
神戸に行く!!と断言し。
両親もよく許してくれたものです。
大好きな両親の下で、
わがままで甘えては泣いてばかりだった幼少期から、
だんだんと自立心も育ち、
健全に?成長できました。
でも大学生になっても結婚しても、
やはり常に両親には私しかいないんだという、
親の心配を勝手にする私がいた。
父が亡くなった時に、初めて思った。
『兄弟姉妹がいてくれたらなあ』
悲しみを共有もできるし、
残った母のいろいろも分けあいたかった。
今、母が老いていき、
またそんなことを思うことがよくあります。
ないことを望んでも仕方ないけれど。
どっかの国には、
親は10人の子供を育てられるが、
10人の子供は一人の親の面倒をみることもできない
そんな諺があると聞いたことがあります。
確かに、
母は兄弟姉妹6人の2番目ですが、
祖母が亡くなり、
一人になった祖父の所に通いつめ面倒をみて、
一緒に暮らそうとしたのは母だけでした。
うちの母がいなかったら、
父が、我が家が、なかったらたぶんおじいちゃんは施設だった。
私が高校生の時に我が家に来たので、
私は二年だけ、大好きなおじいちゃんと小ボケワールドを楽しめた(^^;
18才で家を出ちゃったんだから、
好き勝手自由に楽しませてもらったんだから、
みんなより早く母の世話が始まったんだと思えばね。
たくさんの思い出や愛情をくれた母だから、
めんどくさいなあと思うことがあっても、
腹がたつ事があっても、
平和に時間も過ぎています。
って話が逸れてきた。
何を思っているかというと、
急に一人になった長男には私みたいに
自分しかいない、というプレッシャーを背負わしたくないんです。
なんていう話を以前、高校同級生くんに話したら、
無理無理!親の事はどんな環境でも心配するもんよ。
と。
なんかあの時楽になったな~。
と同時に優しいんやなあって我が友人を見直した。
まあ、子供の気持ちは任せるとしても、
とりあえず今はやはり楽しんでるお母さん、
笑顔の私をたくさん見せたい。
執着と想いは違う…
日付勘違いしていたことの言い訳ではないですが(^^;
改めて長男の誕生日に感じた私でした。
土曜は早番だったし、
ジョトォの誕生日ケーキを地下で買って帰りました。
前にブログで書いたように、
小学校低学年の時に
「○ちゃん、いろんなケーキの中でスシ○ーのチョコケーキが一番美味しいと思う」
と言われ、
ずっこけた日々からは大人になってることを祈って(笑)
「○○ちゃんも将来結婚しなきゃならないの?お母さん達とずっと一緒にいたらだめなの?」
長男もそうまも同じようなことをお風呂で言ってきたことがある。
私と一緒だ(^^;
きっと将来素敵な人とあったかい家庭を作るね。
私みたいに(≧∇≦)
たくましく成長してくれてありがとう!
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