自分大好きな人は、人に謝れる | 自分大好きな人の頭の中

自分大好きな人の頭の中

私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

自分が大好きな人は、

 

自分だけが正しいと思っていて、

 

他人に素直に謝れないっていう

 

イメージがあるかもしれないけど、

 

そんな人本当に自分大好きな人なんかじゃないよ。

 

 

 

私は上下関係のある人間関係が理解できない。

 

私の感覚では、すべての人は同じ平面上に生きている、

 

イメージでいうと『平面の国』の住人。

 

何かの目的のためにその場だけ集まった集団において、

 

その目的のための役割としての役職がつくことは

 

理解できる。

 

でも、それは人としての上下とは何ら関係がないのに、

 

そのあたりをごっちゃにしている人が多くて、

 

そういうピラミッド型の人間関係の国の人のことを

 

「大変そうだなー」って思って見ている。

 

 

人間関係に上下があると思っている

 

ピラミッド型の国の人は、

 

「子どもに謝れない」

 

「部下に謝れない」という。

 

そういう人たちに向けて、

 

育児本は「子どもに謝れるようにしよう」と書くし、

 

ビジネス本は「部下にもちゃんと謝ろう」と書く。

 

そして、ピラミッド型の人たちは、

 

努力してそうあろうとして、

 

それができる人を人間的に優れていると評価する。

 

立場が上の人は、下の人に対して、

 

「怒りを表現していい。謝らなくていい」というのが

 

ベースにあるから、怒りの表現は簡単だけど、

 

一方で、謝罪にはものすごい努力を要するらしい。

 

 

 

平面の国の人にとっては、

 

立場の上下が理解できないから、

 

子どもに謝るのは簡単だし、

 

上司に自分の怒りの感情を伝えるのも別に難しくない。

 

(境界線を越えて踏み込まれた場合は誰にも遠慮しない)

 

ピラミッド型の国の人からは、

 

「立場が下の人間にも謝れてエライ」と褒められ、

 

一方で

 

「立場が上の人間に立てつくなんて生意気だ」と言われる。

 

私にしてみればどちらも同じことなのに、

 

評価がまるで逆なんだよね。

 

そう言われたところで私の感想は、

 

「そっちの世界って大変そうだね」だけかな。

 

 


自分大好きな人が謝れないんじゃない。謝れるよ。

 

本当に自分大好きなら、

 

人に謝ったところで別に

 

自分の立場が危うくなるなんて思わないし、

 

プライドとやらも何ひとつ目減りしたりしない。

 

謝罪することそのものに、

 

自分がしがみついている何かを

 

脅かされるような不安や恐怖は覚えない。

 

 

 

もし、不安や恐怖があるとしたら、

 

許してもらえるかどうかについてだけど、

 

それも、自分が他人を許さないことがあるように、

 

相手が自分を許さなくても仕方ないと思っているから、

 

許されなかったところで、悲しいけど仕方ない。

 

傷つけられた相手の方が許してもらえなかった人よりも

 

当然ずっとずっと悲しいだろうし、仕方ない。

 

 

 

どこまでも他人と自分は違う生き物だって、

 

明るくあったかく諦めているからね。

 

どこまでも他人は私を変えられないし、

 

どこまでも私は他人を変えられない。

 

それは間違いなく希望だと思っている。

 

 

 

ピラミッド型の国の人が

 

「立場が上の人は、下の人を従わせられる」

 

「相手を変えることができる」と思っているとしたら、

 

それは平面の国の人間には通用しないよ。

 

たとえその本人が

 

「立場が上の人には従わなくては」

 

「立場が上の人に言われたら変わらなくては」と

 

思ってストレスをためていたところで、

 

それは自分でその国を選んだ結果だしね。

 

そんなに嫌なら、

 

早くこっち(平面の国)に来ればいい。

 

その国で生きることを

 

毎瞬間自分で選んでいることに気付くと

 

何かが変わるかも。