10歳の山小屋デビュー | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

小学生の頃、街に住む山男である父は、

 

休みのたびに私たち家族を山へ連れて行った。

 

夏休みには、登山をした。

 

日帰りのこともあれば山小屋に宿泊することもあった。

 

山小屋に泊まると必ず、

 

翌朝はご来光(日の出)を見るために、

 

夜明け前のまだ暗いうちに小屋を出るのだ。

 

そういえば、山で知ったのは、

 

「夜明け前が一番暗い」わけじゃなく、

 

「夜明け前が一番寒い」ということ。

 

私たちはころころの雪だるまみたいに防寒して、

 

薄明の登山道を歩いて山頂をめざした。

 

 

 

そうやって、はじめてみた日の出の光景は、

 

まさに世界に光がさす瞬間の目撃者に

 

自分は今なったんだと思うような

 

とにかく鮮烈な記憶を私に残した。

 

 

 

お正月の初日の出でもなんでもない、

 

ただ夏の普通の日の、

 

ただ普通の夜明けなのに、

 

こんなにも特別でいいのだろうかと思えるような

 

光だった。

 

毎日、私の知らないところで

 

このくらい特別な太陽が昇っていて、

 

毎日、私の知らないところで

 

このくらい特別な今日が始まっていたのだと

 

10歳の私が知った瞬間だった。

 

 

 

その日から、私にとって

 

お正月は特別なものじゃなくなり、

 

毎日、特別な一日が始まるんだと

 

思うようになった。

 

 

 

地球の自転スピードは意外と速いから、

 

夜明けの太陽はすぐに高度を増して、

 

やがてすみずみまで下界を照らしていく。

 

その日の出は、

 

山で見たから特別なわけでも、

 

家族で見たから特別なわけでもなく、

 

雲海の隙間から見える山裾の街も、

 

遠い自分の街も

 

同じように照らしている

 

いつもと同じ光だった。

 

私はきっと、いつも通りの一日が

 

いつも特別に美しく始まっていることが

 

嬉しかったのだと思う。

 

 

 

毎日が新しい特別な日だというのは

 

すっかり言い古されている言葉で

 

当時10歳の私でも聞いたことがあったけれど、

 

私の中で感覚的にその通りだ!と思ったのは

 

間違いなくこの日だった。

 

 

 

こんなに美しく始まる毎日が

 

今日も繰り返されていることを

 

ときどきは思い出したい。

 

だから、夜明け前のベランダで

 

あたたかいお茶を飲むのが好きなんだよね。

 

あの時みたいにパジャマの上に

 

ダウンコートをころころに着込んで、

 

空の色の変化がうつる耐熱グラスを両手で握る。

 

寒すぎて、お茶、すぐに冷めちゃうんだけどね。

 

でも、やっぱりとっても幸せな時間だ。

 

 

 

 

大人になると、一日が過ぎるのが早い。

 

だから1年が過ぎるのもすごく早い。

 

だけど、一日の始まりをこうやってゆっくり過ごすと、

 

時間が過ぎるのが早過ぎると感じる自分の

 

そのスピード感覚を、一旦リセットできる。

 

夜8時には子どもと一緒に寝ちゃうけど、

 

このリセットのおかげで、

 

一日が長く感じられるから不思議。

 

 

 

お茶を最後まで飲んでから、

 

朝食とお弁当作りと

 

子ども達の登園&登校準備、

 

それから自分の出勤の準備。

 

私は自分が大好きだから、

 

自分が好きな一日の始め方を大切にしたい。