子どもを公園に連れて行ったことがない母親 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

私は公園遊びより、絵本を読む方が得意。

 

だから、子ども達と公園へ行くのは

 

もっぱら夫。

 

子どものリクエストに応えて、

 

いつも三人で楽しそうに出かけていく。

 

子ども達と一緒に公園へは行かないけど、

 

私も同じく子どものリクエストに応えて、

 

週に1回図書館か本屋さんへ行くよ。

 

歩いて行くからお散歩にもなる。

 


 

私は以前、

 

長男と一緒に公園に行っていないことに

 

引け目みたいなものがあった。

 

長男の園生活はすでに始まっていたから、

 

外遊びは園でしていることで

 

長男への申し訳なさはなかった。

 

だから、罪悪感もなかったけれど、

 

引け目みたいな感情は確かにあった。

 

あと、かわいい我が子との公園遊びを

 

体験していない分、

 

子育ての醍醐味を味わい尽くせていないような

 

なんだか損しているような感覚っていうのかな?

 

そういうのも確かにあった。

 

 

 

でも、今はそういう気持ちは無くなった。

 

たくさんお散歩はしているし、

 

絵本もすごく読んでいるし、

 

できることはいっぱいやったと思えたからね。

 

 

 

やるだけやったというのもあるけれど、

 

楽になった最大の理由は

 

理想の母像を捨てたこと。

 

子どもにとって必要なことは

 

全部自分が用意しなきゃって

 

思わなくなったこと。

 

夫もいるんだし、おじいちゃんおばあちゃんだって、

 

園や学校の先生、友達だっているんだし。

 

子ども本人だって、

 

自分の好きなことややりたいことを

 

言葉で主張できるようになってきたし。

 

私以外の我が子を育てている存在(子ども本人も含む)を

 

信頼できたからだと思う。

 

 

 

世の中に押し付けられた理想の母像なんて、

 

滅私の精神が強すぎて、

 

そばにいたら重荷過ぎる。

 

もし私が

 

理想の母像を体現しようと必死な人の子どもだったら、

 

「私のことは私に任せて、

 

あなたはもう自分の人生を生きて!」って

 

全力で叫びたくなりそう。

 

滅私状態を

 

幸せだと思うべきだなんて、

 

ただの奴隷教育だからね。

 

 

 

あと、仕事をしながら育児をしていると

 

あまり子どもたちと時間を共有していない気がして

 

大丈夫かな?と不安になることがあった。

 

でも、今はそういう気持ちも無くなった。

 

お風呂の時間や寝る前の時間に、

 

子どもとたくさん話すようにしているし、

 

何かあっても何もなくても、

 

話せるような関係性を作りたいと

 

私が願っていることは

 

少なくとも子どもに伝わっていると思うから。

 

 

 

たとえ子どもが私には話せない内容があっても、

 

話すのは夫でも他の誰かでもいい。

 

子ども自身の問題を解決する力でもいい。

 

私の外側にある力を

 

信頼しようと思ってる。

 

 

 

間違いなく子どもたちは成長しているから、

 

子ども自身の力も確実に大きくなっているもんね。

 

お世話から手助け、

 

手助けから見守りに

 

シフトチェンジしていこう。

 

 

 

本当に、子ども達の成長は早いから、

 

きっとすぐに部活だの友達と遊ぶだので

 

家族で一緒に出掛けない年齢に

 

なっていくんだろうね。

 

そのとき、私はどう思うのかな。

 

成長を喜びつつも少し寂しかったりするのかな。

 

そんな自分を勝手なものだなって思って笑うのかな。

 

 

 

テーマパークやそのほかのお出かけでも、

 

今しか一緒にできないことや

 

今しか作れない思い出は確実にあると思う。

 

誰も無理や我慢をしないままで、

 

私や夫や子ども達、

 

みんなの『好き』『やりたい』を尊重しながら、

 

色んなことを体験してたくさん楽しめたらいいな。

 

 

 

子どもと一緒に過ごせる時間は、

 

想像よりきっとずっと短い。

 

その貴重な時間を、

 

私とも子どもとも無関係な

 

他人が作った理想の母像を目指して過ごすより、

 

目の前の子どもの表情や言葉を受け止めて、

 

我が子仕様の母でいればいいはずだよね。

 

本来、

 

人間関係はオーダーメード。

 

自分と相手で合作するもの。

 

万人に共通する理想の母像なんて、

 

そもそも存在しないの。

 

それぞれの個性やら好みやら持ち味やらで、

 

世界に一つの親子関係が、今この瞬間も

 

そこらじゅうで生まれていると思うと、

 

なんだかこの世界全体まで愛おしくなるから不思議だね。