気持ちも新たに

 

ブログをスタート出来るといいなぁ。

 

私がなかなかこの場所に来れなかった訳は

 

 

以前にも書いていたと思いますが

大好きな友人が亡くなった事がとてもとてもショックだったからです

 

所中連絡を取り合ったり会えるわけではないのですが苦しい事や辛い事があったりすると

心の中を訴えられる数少ない友人だったのです。

 

去年の3月にも家に遊びに来てくれたんですが・・・

その時点で乳癌からの転移があり皮膚がんになっていて服をパッと上げて

私に患部を見せてくれました。

 

その時に・・・・

私はビックリしたんです

話には聞いていたけれど・・ここまで酷い状態になっていたとは。

 

 

そして、何故か急に友人の主治医に対して怒りがわいてしまったんです。

 

何で???????

こんなに酷い状態になるまで気がつかなかったなんて!!

信じられない、友人が何度もその医者に訴えていたというのに。

 

前にも書きましたが

私は、ステージ2Bで術中にリンパ管20本のうち5本が浸潤していることがわかり

急きょ、リンパ節(レベル2)を郭清した事によって

術前に予定していた予後治療が変わってしまいまいました。

放射線治療25回やった後にホルモン療法(5年~10年)

 

全身にリンパ管をつたって癌細胞が広がっているかも知れないという事で

術後直ぐに抗がん剤治療(8クール)半年間しなければいけませんでした。

 

 

でも、友人は乳癌が分かった時にはステージは0期でした。

なので・・放射線治療しかしていなかったと聞いていました。

多分・・・トリプルネガティブだったのでホルモン治療はやっても意味がなかったのでしなかったんでしょう。

 

それから~~~

まず、左胸に転移してることがわかり再度手術したそうです

 

その時にも

私はその医者に対して不信感がありました。

 

ここでは説明しずらいのですが

友人の行っていた病院は、診察はそこでやるけれど手術は違う病院でやったり

詳細な検査に関してはその検査が専門の所で検査をさせる・・とか。

 

何で大きな病院だと思うのに一つの病院で全部やらないのか全然分かりませんでした。

 

私がずーーっとお世話になっている病院のやり方と違うので不思議でなりませんでした。

 

おせっかいだけど、何度か病院を変えてはどうかな?って話しましたがそのまま

そこの病院に通院していたと思います。

 

そんな経過を辿っていたのですが

友人は・・私と3月に会った時点で主治医から余命を告げられていたんだと。

 

私・・・その時に何でそういった事に気付いてやれなかったのか本当に悔しくてなりません。

 

周りの人にいつも気を遣い過ぎるくらいの人だったので転移の辛さを話しつつも笑顔だったり。

 

同じ職場で10年間過ごしてきた色々な思いで話をして泣き笑いの3時間でした。

 

 

 

それから・・

私自身も急に白内障が酷くなって見えなくなってきて

メガネも度も合ってなくて

眼球の奥行が短くて町の眼科では手術は出来ないと言われて大学病院を紹介されたりと

一気に目の事で頭がいっぱいになってしまい

それは、手術のリスクがとても高くてもしかして術中に途中で終わる可能性もあるという話も聞いていたからです。

大学病院の眼科でもこんなに眼球が短い人の手術は経験がないとも言われたのですから。

 

そんな事情でその友人の体調の事も気にはなりながらも連絡してなかったんです。

 

友人からも連絡はなかったんですが、6月に久し振りLineすると写真付きで直ぐに返信がありました。

 

今、入院中です

抗がん剤治療をしてるけど、この抗がん剤は全然効いてないからほかの分子標的薬に替えると言われたよ。

ベッドからその点滴が見えてる角度の写真が添付してあったのです。

そして、〇〇の眼の手術が上手くいきますように・・って私の事を思いやる言葉でした。

 

今、思えばLineを打つのも相当キツカッタと思います。

 

それから

 

何か月も経ち

 

眼の手術を9月に終えて

定期検査も終わり

やっと落ち着いた12月のクリスマスイブの日に

 

クリスマスカード付ラインを送りました

でも、既読にならず

何日も未読のまま

 

もしかして入院していてそんなスマホなどを見れる状態ではないのでは?っていう

不安が押し寄せてきました。

 

私は、友人と同じ職場を辞めてから15年経ちます

なのでその職場にいた方の電話番号はスマホに入っているのですが全く連絡とかしてなかったし

友人もその職場を辞めていたし病気の事を知らないかも知れないと思ったので

どこにも聞けずにモヤモヤしながら過ごしていました。

 

そして年賀状を出したら

いつも遅めですが必ず返事をくれていたのに

今年はそれもありませんでした。

 

不安は募り

その友人と一番親しくしていた方に勇気を出して

ショートメールを送りました。

 

「〇〇さんにLineを送っても既読にならないのですがどんなご様子かご存じでしょうか?」

 

15年も経っているのでその方もお元気なのかどうかも分からないし

 

返信来ないかも知れないし・・。

 

待ちました

そして

返信がきました

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「〇〇さんは去年の12月にお亡くなりになりました

自分も2年間位会ってなかったんですが知人に教えてもらい

その事を知りました。

あぁ、今でも会ったりしていたんだったら連絡すればよかったですね。

自分自身も余りにも突然でビックリしたんです

お通夜の時にお母さんから聞いたら本当に急逝したとの事です」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私、もうショック過ぎて

体が震えてきました

もう人の死で

こんなにショックでどうしようもない気持ちになったことはありません

実の父親が亡くなった時もこんなに心乱れる事はなかったのに。

それからは

号泣となり

嗚咽

 

傍にいた旦那が私の様子が尋常がないので〇〇さんが

亡くなった事に気付いたようです

 

 

私は

友人と最期のお別れが出来なかった事が悔しくてなりません

 

眼の事をLineしなければ

もっと辛い状態であることを私に伝えてくれていたんではないかとおもいます。

そういう優しくて思いやりのある人だったから

 

 

二日後にショートメールで会話した方とお会いして色々と

様子をお聞きして二人して抱き合って泣きました。

この方は、まだ私が働いていたころに体調不良が続いていたら栄養剤(飲料)とかを

さっと下さったとても気さくで私の使う関西弁が大好きなのよ!って

言ってくれていた方で現在は職場の役員をするくらいの位置におられるようです。

今でも話しやすくて素敵な方でした!

 

 

こんな感じでなかなか友人が亡くなった事が現実として受け止められずに

何か月も経ってしまったのです。

 

私にとってどれだけ大切な方だったか

いなくなって解るなんて・・・・・(涙)

 

けど、もう苦しくて辛い治療をしなくてよくなったのですね

 

〇〇子ちゃん、いままでほんとうにありがとう