いつもそれを気にしてきたはずなのに、仕事が忙しくなったりして、心に余裕がなくなり、自分のことしか考えられなかったことに気付いた。

 相手のバックヤードはきっと未来予想図とは違って、思い通りにいかなくて、目を背けたくなる現実だったんだと思う。

 目を背けてしまうことに、相手には言っていないけど、私は否定をしていた。


 相手の立場に立ったら、そう考えたら、きっとすごくつらくて、そうするのが唯一の自分を保っていられる方法だったんだと思う。

 わからなくてごめんなさい。

 いつでも相手の立場になって考えられる、そんな人でありたい。

 


 ある出来事があり、私は私にとっての表の立場の問題を解決するために動いていた


 世の中理不尽なことばっかり
 頑張って真面目な方ばかり損をする
 断れなくて逃げられなくて


 
 でも、原因だと思うことにも関わっている方がいて、その方にも生活があり、守るべきものがあり、その方なりに一生懸命だったんだと気付いた



 私にとって裏の方の出来事も、その方には表の出来事で、表の立場になる


 そしてこちらは裏の立場なんだ


 みんなみんなつらいんだ


 みんなみんな悪くないのかな


 みんなみんな悪いのかな


 そんなことを考えてしまった


 表の立場だけにいて、裏の人の気持ちに気付かなければ、楽だったようにも思える


 でも現実は、表には裏が、裏には表がある


 結局は想像力豊かに相手の立場にもなって…に繋がってしまう



 でも、そんなの知らない
 自分にとっての表が良ければそれでいい


 そんな考えで生きていけたら良いのにな、と、たまに思う


 でも私にはきっと無理だな


 だから、毎日考える
       悩む


 それが私だから仕方ない



      うん









 


 久しぶりです。
見に来てくださるみなさん、今年もよろしくお願いします。

 不登校だった娘は、朝から毎日高校に通ってます。

 約一年半前のあの日、あのきっかけで不登校になった。
 あのせいで、あんなことがあったから、あれがなければ、不登校にはならなかったかもしれない。

 行き場のない不安、怒りをそこにぶつけ、そんなことあったから行けなくなっても仕方ない、と理由づけていた。

 本当にそうだったのだろうか?



 違う。

 きっかけはあくまでもきっかけにすぎない。
 そこに逃げていたら、本質を見逃して、真実を見抜けなくて、あがき続けてしまう気がした。

 話し合い、考え、娘自身もきっかけに向き合い、話し合い、考え、毎日毎日。

 娘は原因を見つけた。そこから一歩ずつ進めるようになった。

 不登校が悪いとは思わない。
 かわいそうとも思わない。
 悩みがある分、大変だな、とは思う。

 最低だった時期を知っているから少しでも前向きになったら安心して、これで良かったと思ってしまった。

 最高だった時期から比べたら、とても小さなことなのに、それすら、奇跡、とも思えてしまうくらい、ちょっとの前進がうれしかった。

 行けなくなってからの学校を嫌いになってしまうのはしかたない。
 でも行けてた時の思い出まで、嫌いにはなってほしくなかった。

 原因は酷だけど、自分の中にもあると思う。
 それを受け止められたら、全てを嫌いにはならないと思った。
 きれいごとかもしれないけれど。

 〇〇のせいで不登校になった
と話す時点で責任転嫁してしまっていた気がする。

 責任転嫁は楽だけど。


 すごくつらい時は、何かのせいにしても良いと思う。
 逃げるのも大切だから。

 でも、ちょっとでも、少しずつでも考えることを始められるくらい、気持ちが安定したら、きっかけはきっかけにすぎないことを受け止め、つらいかも、だけど、原因と向き合っていけたら、と思います。

 これからいろんな壁にまだまだぶち当たる我が子にも、未来の自分にも伝えたい。

 そう思った。