風のマーサ、鋳物師戻峠を行く | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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当ブログでは主に
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また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


今回は鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)

について。

かつて城崎温泉のある城崎町と

竹野町とを結んでいた峠になります。

それにしても印象深い峠名です。


(注)調査記録は

2年くらい前になりますので

幾分か記憶違いがあるかもしれません。

ご容赦ください😓


2022年8月

城崎温泉にやって来ました(下写真)


さっそく温泉街を離れ

兵庫県道9号豊岡竹野線を竹野方面へと歩いています。

車の交通量は少なめでした。

わざわざ温泉街までやって来て

温泉にも入らずに古道に行く人は

あまりいないだろう😅

温泉街から離れると、すぐに

ひっそりとしていたのが印象的でした。


竹野市街地まで6km(下写真)

県道9号は鋳物師戻トンネルを通って

竹野に至ります。

一方で昔の道は

トンネルの上にある鋳物師戻峠を越えて

竹野へと降りてきていました。

またほどなくすると

「志賀直哉 城の崎にて」

ゆかりの桑の木と書かれる

看板表示があった(下写真)

城崎温泉から、このあたりくらいまでは

志賀直哉の散策コースだったらしい。

さらに、先へと進んでいくと

左側に分岐路があります(下写真)

車などに注意しながら、そちらへと向かいます。

その分岐点あたりには

古い道標が立っていました(下写真)

左 あし谷道

右 竹のはま道?だろうか

もし芦谷と竹野浜の分岐道標だとしたら
違う場所から、ここへ移されてきた
可能性が高い。

この道標の脇あたりから
谷へと進みました(下写真)
ちなみに県道からの分岐路自体は
近畿自然歩道として来日山などに登るルート。
そちらへは向かいません


沢を渡る丸太があった(下写真)

丸太はかなり朽ちているが、

大丈夫そうな部分を踏んで

慎重に渡りました。

直接、沢を渡っても良いかもしれない。

渡った先には古道が通っていて

右側に谷を出る方向に進むとよい。

ちなみに谷に入る方向にも道が続いていて

ほどなくダムによって行き止まりに

なります(下写真)

推測されるのは、昔のルートは

本谷から、一度支谷に入り

今回以上に大きくUターンして

本谷沿いに出たということです。


さて竹野町へと向かいます。

鋳物師戻峠から発する谷に沿って

ずっと山腹の高い所を歩いています。

道自体は、幅が広く

馬車も通ったのだろうか。

遥か下に

先程の県道9号が並走している様子が

確認出来ます(下写真)

鋳物師戻峠の道は、明らかに

明治になってからの道の特徴が

感じられます。


続いての丸太橋(下写真)

普通に地面を歩けば良いだろう。

さらに進む(下写真)

本音を言うと

もう少し古道らしい、

細い道が好きなのだが。

記憶が曖昧になってきますが

下写真が道の分岐点だろうか。

左へと尾根を登り始めるのが

芦谷へと続く道。

そのまま直進するのが

竹野浜への道。

先程の道標が置かれていたのは

この地点だと思うのだが(下写真)

まずは左に尾根をつづら折れるように

して登りました。

芦谷への道筋となります。

歩いていて、明治の道と

それ以前の道が併存しているように

思われました。


峠に着きました(下写真)

名前がわからないので

芦谷峠(仮)としておきます。標高約220m。


峠を見ると、しっかりと馬車道用として
拡張されている感はあります。
また峠の芦谷側には
お地蔵さんが2体。

小さいほうは寛政年間のものでした。

芦谷へと降りていく道は

明治新道のようでした(下写真)

実際に竹野町芦谷まで行けるかは

未確認です。

さて先程の分岐点にまで戻り

今度はそのまま山腹を巻くようにして

鋳物師戻峠を目指します。

広い道ですが

かなり荒れているので歩くのに

一苦労します。


峠までは

ずっと山腹を巻いていて

緩やかな登りになっています。

そして鋳物師戻峠に到着しました(下写真)

標高約240m。


さて峠では

お地蔵さんが地面に埋もれるように

割れて横たわっていた(汗)

何とも痛々しい(下写真)

年号は寛政4年と書かれている。

そして竹野町側へと降りていきます。

こちら側も山腹を巻いていきます(下写真)

ほどなく鋳物師戻峠の大岩の看板です(下写真)

ここから山側を見上げたところに

峠名の由来にもなった大岩があります。

実際に近くまで登ってきました(下写真)

岩の上に岩が乗っている構図です。

昔、鋳物師がここを通ったとき

大地震にあって頭上にある大岩が

揺れるのを見て後戻りしたという。

それが鋳物師戻峠の由来だという。

これは想像ですが、

明治時代以前の道は

この岩の近くを通っていたのだろう。

江戸時代の道は明治時代の道よりも

ずっと高度の高い所を通っていたように

思います。


さて元に戻って

明治道を歩きます(下写真)

山腹を巻いていく道が続いています。

そうして分岐点。

山頂あずまや、愛宕さんに行くルートと

峠道ルートが分岐しています(下写真)


上写真、右の鞍部を通りぬけて 

引き続き山腹を巻いていくのが

峠道ルート。

そちらへと進みます(下写真)


日本海の景色が見えてきました(下写真)

この先、

明治新道と、それ以前の道?が混ざりあった

区間があります。

一度、江戸時代の道??を辿って鋳物師戻峠へと

試しに登ってみました。

最後までは行くことは出来ませんでしたが

やはり昔は、より高度の高い位置に尾根道として

通っていたんだと思う。

(上写真、尾根筋に堀状の道)

(上写真、尾根筋の古道に昔の電柱が倒れていた)


やがて、終始一貫して
明治の道を進みました。

広めの山道を大回りするようにして

降りていくのです(下写真)

そして畦道のようなところに

降りてきました(下写真)

そう、竹野町側まで降りてきました。

その後、松本地区を経て竹野浜へと

向かいます。


竹野浜は
かつて北前船の寄港地として
栄えたようです。



その後、竹野駅まで

歩いていきました。

現在の城崎町と竹野町とを繋ぐメインルートは

県道9号線、そして山陰本線。

そんな感じです。

(2022年8月)