風のマーサ、搦谷越えと小原谷越えを行く1 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


今回は朽木(滋賀県高島市)から熊川(福井県若狭町)

への古道ルートについて書いていきます。

現在なら国道367号線、303号線を辿るのが

一般的だろう。

昔の主要路である

若狭街道(鯖街道)も、そのルートに準じていました。


一方で、昔は別ルートとして

朽木から椋川地域を通って熊川へと抜ける

搦谷(からみだに)越え、小原谷越えの

ルートがありました。


具体的には

朽木市場〜朽木麻生〜下自在坊〜笹ヶ谷(椋川)〜

小原谷〜熊川。

若狭街道の間道の役割、

また地域間を繋ぐ生活道の役割を担っていたと

思われます。


相変わらず前振りが長くなりましたが

今回は搦谷越え、小原谷越えを

出来る範囲内で探索したいと思います。


さて朝一番に(バスで)朽木市場に

やって来ました。

朽木市場は

若狭街道の宿場町で

旧道を歩くと

宿場町特有のクランク状に進む区間が

いくらかあります。

(上写真、朽木市場と言えば丸八百貨店)


朽木市場の旧道を抜けると

国道367号線に合流します(下写真)
宿場町、朽木宿の出口になります。

続いて国道367号線を北に歩きます(下写真)

車の交通量が意外と多く

また結構なスピードで走ってくるので

怖いです。

それでも、しばらくすると

左に滋賀県道23号線が分かれるので

そちらに進みます。

昔で言えば、若狭街道(鯖街道)から

離れていくことになります。

(一方で、そのまま国道を進むと保坂へと至ります)


さて県道に入ると交通量は

減ってきます。


そうして、また道が二つに分かれます(下写真)

直進すると県道781号線、右折すると

引き続き県道23号線。

ここは右折します。


このあたりからは

麻生川沿いに進むことになりますが

ほどなくすると右側に搦谷が合流してきます。

さらに直進すると朽木麻生の上野集落に

至ります。


さて、どのようにして

搦谷に入ろうか?

結論としては

すこし戻り県道から

やまね館への分岐路に入ります(下写真)

舗装道路を歩いていくと、ほどなく

右手にやまね館があって

また近くには

セラピーロードの案内看板が立っていました。


今から向かう搦谷越えのルートは

一部区間、セラピーロードと重複する

ようです。

さて車はこれより先

入れなくなっています(下写真)

この先、歩いていくと

いよいよ搦谷に入っていきます。

また、ほどなく巨大な杉の木が見られ

その傍らには、地蔵様が祀られていました(下写真)

よこがけ地蔵と呼ぶらしい。


このあたりが
村の境界といったところか。

よこがけ地蔵から先は
人の気配が一切なくなります。

道のほうも、舗装路から未舗装に

変わります。


そして、道の分岐点では

直進します(右は通行止になっている)(下写真)

どうもセラピーロードは、ここで右折するようですが

現在、通れないようです。

肝心の搦谷越えは直進でして

そのまま進みます。


やがて道が、また

二手に分かれます(下写真)

ここは右に進みます。

林道は続きます(下写真)

そして林道終点になりました(下写真)

このあたりが朽木麻生と今津町椋川の

境界になります。

ここからが本番。

林道終点から、まっすぐに下に降りて

沢を渡ります(下写真)

この後、引き続き

搦谷を上流に進みます。

道は右岸についていました(下写真)

かつての古道でしょうか?

道は全体的に残っていますが

一部崩れていたりします。

また倒木が多くて歩きにくいです(汗)

うまく迂回しながらも

道を歩き続けます。

その後、道は

なくなります。

少し手前から沢に

降りれそうな獣道?があったので

そちらから降りて対岸に渡りました。

今までは、ずっと右岸でしたが

ここからは左岸になります。


そして少し上流に進むと
本来、沢を渡ったであろうと思われる
地点がありました。
沢からは堀状の道跡が続いています(下写真)

(上写真、朽木側から進んだ場合、オレンジ矢印の

ように進んだのたろうか?

現在、向こう岸の斜面は崩落していて歩けません)


さて、この堀状の道を辿るように

先へと進みます。

薄っすらとした

道跡が続いていました(下写真)

ほどなく、右側少し高いところを

進みます(下写真)

すると、はっきりとした

道が続いていました(下写真)

川からは少し離れた位置にあります。


相変わらず、倒木は多いですが

はっきりとした古道です。

そして、向こうに広場のようなものが

見えてきました(下写真)

また、左側も集落跡?のようです。

そして沢を渡って(搦谷の支谷からの川)

広場に出ました(下写真)

昔の地図で確認すると

このあたり一帯が椋川の

下自在坊(現在は廃村)に

なるようです。


少しあたりを探索しました。

石積みが見られました(下写真)

下自在坊集落跡の様子(下写真)

昔の道筋は、このあたり

搦谷の川に対して左岸側についていたようで

この草原の広場の所を進んでいたようです。

また国土地理院地図と実際の川の流れが

少し異なっていたような(汗)

また搦谷の川の対岸にも

石積みが見られ、神社か何かが

建っていたのだろうか?(下写真)

さて草原の広場を抜けると

はっきりとした道になります(下写真)

左には車?あるいはトラクター?が分解されて

放置されていました。

ということは、

かつてここまで乗り物は通れたと

いうことになります。


しかし現状、

通過出来る状態に

ありません(下写真)


道は、所々ぬかるんでいたり

します。

また場所によっては

あたりが草で覆われてしまい

道と広場の境界がわかりにくくなっています。

すこし、補足として(下写真で)

オレンジ線で道を示してみました。

このあたりは結構道幅は広いです。

昔の地図によると

そのまま搦谷を進むと

さらに深く谷に入り

上自在坊集落(廃村)、あるいは

東に、なだらかな丘を越えて

笹ヶ谷に至ります。

このように

搦谷越えは朽木麻生と

椋川の各地域を繋いでいました。


この先、やがて古道は行き止まりになります。

ここで川を渡って対岸に渡ります(下写真)

対岸には広い道が通っていました。

林道か何かでしょうか(下写真)

まあ、昔の地図でも対岸に

渡っているみたいですから

このルートで良いのだろう。

ここで、一旦

搦谷越えの古道確認を終了します。

この先も道は続いていますが

何かの工場?(跡)の敷地内に入ってしまうので

立ち入らないほうが良いだろう。


ちなみに敷地の反対側から様子を見ると

工場施設跡?の敷地入り口には

柵がされていて立ち入り禁止に

なっています。

(廃道を通って下自在坊経由で来ることまでは

想定されていないようだ(汗))


さて搦谷越え自体は

完全ではないものの

残っています。

しかし、廃道化が進み

思った以上に体力を奪われて

しまいました。


その工場施設?の向こう側は

別荘地になっています。

途中、上自在坊へと行く道が分かれています。

今回、そちらへは進まずに

椋川の中心集落である

笹ヶ谷へと向かいます。

つまり、別荘地やソーラーパネルなどを

見ながら舗装道路を進み、

国道367号、途中谷手前から

椋川方面へと分岐する道路と

合流します。

そうして椋川の笹ヶ谷に

やってきました(下写真)

次回は、もう一つの古道

小原谷越えについて

紹介します。

続く。

(2023年5月)