風のマーサ、羽州浜街道を行く11 平沢〜出戸〜本荘 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


羽州浜街道の旅、

前回は平沢の仁賀保家陣屋跡まで

紹介しました。

平沢(秋田県にかほ市)は

かつての陣屋町であり、また北前船の

寄港地でもあります。


さて、かつて陣屋があったという

仁賀保公園の外周をなぞるように

して進路を東にとります。

ほどなくして大きな交差点。

ここを左折するのが浜街道です。

一方、右折すると仁賀保駅に至ります。

また交差点付近には

雰囲気のある洋館が建っていました。

さて左折して進みます(下写真)

この道の先は、すぐに日本海です。

浜街道は、それよりも手前、

斉藤宇一郎記念館のところで右折します(下写真)

(ここを右折、正面は日本海)


その先、角で右に折れるように進み

つづいて左に折れます。

つまりクランク状に進みます。

その後、道なりに進み

琴浦川、両前寺川、阿部堂川と渡ります。

平沢→琴浦→両前寺の順に各地区を

浜街道は進むことになります。

(両前寺地区を進む浜街道)

左に海岸、右に羽越本線と

並走する形で北上していきます。

しばらくすると高架があるので

その下を通ります(下写真)

さらに道なりに進むと

羽越本線の踏切を渡ります(下写真)

渡ってからも

羽越本線と並走する形をとり

ほどなくして国道7号線に吸収されていきます。

(この先、国道7号線に合流)


国道7号線に入ると、すぐに

由利本荘市になりました(下写真)

このあたり江戸時代の羽州浜街道はさておいて

旧国道ルートも正確には残っていないようです。

そして再び羽越本線の西側に行きます。

つまり鉄道高架下を通ります(下写真)

ここからは、海岸沿いの道になります。

国道7号線の隣に旧道?らしきものが

並走していたので、そちらを歩きました(下写真)

(左が旧道?右が国道7号線)

さらに進むと道が怪しく

なってきます。

しかしはっきりと道はあります(下写真)



そうして、綺麗な道に出ることが

出来ました(下写真)

直進するのが浜街道、右に入ると国道7号線です。

直進して浜街道を進むと

出戸の集落が見えてきます(下写真)

また、このあたりに一里塚跡が

あったらしいが、わかりません。

出戸に入っていきます。


出戸町内の史跡と遺跡と題した看板が

建っていました(下写真)

こちらを参照して一里塚跡を

探したのですが、表示などもなく

はっきりとしません。

また江戸時代末期に建てられたという

外国船監視のための施設、

唐船番所跡、砲台跡、陣屋跡があるようです。

出戸町内の旧道をずっと直進すると

やがて右にカーブを描きます。

その手前の左側のところが

何となく陣屋跡、砲台跡のように

思えて写真を撮りました(下写真)

(写真の左側の少し高台になっている部分)

さて右側に登るようにして道を進み

すぐに左に入ると海岸道路に

なります(下写真)

江戸時代の羽州浜街道は

おおよそ、このルートだったようです。




(海岸を眺める)

かなり日が沈んできました。

真夏とは言え、すでに夜7時前。

このあたりは街灯もないし

いつ真っ暗になってもおかしくは

ありません。

この日の目的地である本荘(由利本荘市街地)

までは、もう少し距離があります。

ここでヘッドライトを装着します。


ここから

出戸→上高屋→中高屋と進んでいきました。

さらに森林の中の道を進みます(下写真)

そこを抜けた先で西目川を渡ります(下写真)

橋を渡ると海士剥(あまはぎ)地区。

ここからは、道なりに進んでいって

やや内陸を走る現国道7号線に合流します。

あとは森林に囲まれた国道7号線を進むと

交差点に至ります(下写真)(写真は翌朝のもの)

この交差点は

国道7号線と旧国道7号線が交わる地点です。

旧国道7号線は、出戸から分かれて

西目駅前を通り、次に西目川右岸沿いに北上、

その後、川から離れて交差点まで

やって来るのでした。

(この写真は進行方向逆から撮った写真

また横のラインが旧国道、縦のラインが

現国道になります)


さて本荘で一泊して

早朝、交差点から再スタートしています。

その交差点では左折して

北側の子吉川に向かいます。

また新奥の細道と書かれた

道標が建っていました(下写真)

突き当たりのT字路まで進むと

右に曲がります。

このあたりは浜ノ町で

本荘城下町の西端になります。

ということで本荘城下町に入ってきました。


さて本荘城下町は1623年に入部した

六郷氏によって再整備されました。

本荘城が本荘藩の藩庁になります。

その後、戊辰戦争によって

城下の大部分が焼けてしまい

現在に残る町並は、それ以降のものとなります。

(子吉川を眺める)

羽州浜街道は子吉川沿いに通っています。

先程のT字路で右に曲がってから

300mほどで国道7号線の高架下を通ります(下写真)

このあたりは、昔はおそらく

もう少し川側を進んでいたように思います。

そして片町に続いていたと。

現在は(片町を通る)浜街道の続きに入るために

高架下を通ってから

すぐに左折して、子吉川に向かいます。

手前には国道7号線の本荘大橋が見えます(下写真)

おそらく、ここに橋が架かったときに

本来のルートが消失したのだろうと

想像します。

さて、片町を通る浜街道の続きを歩きます(下写真)

この先、T字路で左折(下写真)

正面には仏像があった。

左折した後、道は右の方向に曲がっていきます。

つまりクランク状に進んでいきます。

このあたりから観音町に入ります。

次に再びクランク状に進路をとると

古雪町になります。

そのクランク状のあたり、

子吉川に出たところが、かつての
古雪湊だったようです(下写真)

(子吉川が見える、浜街道は右折して古雪町内を通る)


また、その手前

観音町になりますが

住吉神社があります(下写真)

続いて古雪町を歩きます(下写真)

古雪湊のあった古雪町は本荘藩の湊町で

北前船の寄港地として栄えます。

実際に歩いてみて

当時の様子を想像出来るものが

少ない印象です。

この先、肴町、中町、大町と進みますが

同様でした。

そして大町交差点で南に向かうと

本荘城跡に、北へ向かうと久保田(秋田)

に向かうことになります。

続く。



参考)

秋田県道路地図 県別マップル5  昭文社

アプリ ヤマレコ、古地図散歩

など