風のマーサ、羽州浜街道を行く8 小砂川〜関〜塩越 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


三崎峠を越えて、いよいよ

秋田県にやって来ました。

国道7号線を少し歩いてから

左の小径に進んで

小砂川(こさがわ)の集落に向かいます。

「三崎峠から有耶無耶の関を訪ねるみち」

と書かれる道標が建っていました(下写真)

ここでは手前右の小砂川海岸方面へ進みます。

直進すると小砂川漁港に出るようです。

日本海に沿って旧道を歩きます。

小砂川の集落が向こうに見えてきます(下写真)

奥の細道道中にて

芭蕉一行は小砂川を通っています。

曽良日記によると、小砂川は

幕府の天領で庄内藩が管理していました。

そして預番所があったようです。

(小砂川の様子)

小砂川を歩くと

江戸時代後期の旅人、紀行作家である

菅江真澄が宿泊した「磯家」跡があります。

小砂川は羽州浜街道沿いの宿場町

だったのだろうか。

さて、続いては小砂川の八幡神社に

立ち寄りました(下写真)

柱には素晴らしい龍の彫刻が

施されています(下写真)

羽越本線の小砂川駅方面に進みます(下写真)

奥の細道道中にて

芭蕉一行は、小砂川から関、塩越に

向かいました。

(象潟町の旧村名が塩越になります)

さて小砂川から関までのルートは

どのように進むのだろうか。

普通に考えれば海岸沿いに

進むものと思われます。

(国道7号線ルート)

実際、明治以降の古地図では主要道は海岸沿いを

通っています。


しかし今回は

(もうひとつの可能性)

小砂川駅より手前から

やや内陸の山間部を回り込むようにして

進みたいと思います。

まず小砂川駅よりも手前で

右折します(下写真)

坂を上がっていきます(下写真)

羽越本線の踏切を渡ります(下写真)

さらに先へ進みます(下写真)

国道7号線(小砂川バイパス)

の高架下を通ります(下写真)

庚申塔が建っていました(下写真)

記憶が曖昧ですが、昔の地図(明治以降)で

確認すると、ちょうど神社があった

場所だろうか。

この先で道が二つに分かれるようですが

現在は耕地整理されており、そのような

道筋は消滅しています。

つまり、ここから先は昔の道を

辿ることが出来ません(羽州浜街道かどうかは

別として)

代わりに新しい道筋は通っているので

そちらで代替します(下写真)

正確なまでに一直線の道は

新しく作られた道だろう。

そして大須郷地区を通って、

さらにピーク72の山麓に沿って進みたい。
山というよりか、ちょっとした膨らみのように
見えます(下写真)

というわけで

この分かれ道を左に進んでいって国道7号線に

合流していくのですが、今回は右に進み

目的地の象潟への距離を稼ぎます。

いずれにしても、昔の道筋は

残っていないのですから。


農道のような所を歩きました(下写真)

道は右にカーブしてそうですが

直進しました(下写真)

この道は、いつの時代から

あったのだろうか。

方角的に鳥海山だろう(下写真)

写真ではわかりにくいですが

このあたりの景色は秀逸でした。

もはや古道であってほしい(笑)

国道7号線方面へ道なりに

進んでいきます(下写真)

そして国道7号線に合流します。

国道からは、右側のつづら折れの舗装道路を

降りて(下写真)、川袋地区に入ります。

すぐに国道7号線と羽越本線の、

高架下を歩きます(下写真)

続いて川袋川を渡ります(下写真)

(橋から日本海に注ぐ川袋川を見る)

道なりに北へ進みます。

松並木の道も通りました(下写真)

続いて国道7号線を歩きます(下写真)

2kmくらい歩いてから

左の道に入っていきます(下写真)

関への案内表示があった。

関地区では、道が細かく通っていますが

西から北へと外周を描くような

ルートを進みます。

(関の様子)

関では小字としてウヤムヤノ関という

地名があります。

古代の関所である有耶無耶の関と

なんらかの関係があるのだろうか。

先程通った山形県との県境、三崎峠をはじめ

有耶無耶の関があったという

候補地はいろいろあるらしい。

要するに、うやむやなのです。


さて関集落を出て

奈曽川を渡ります(下写真)


続いて、もう一つ川を渡ると(下写真)

建石地区に入ります。

その後、国道7号に合流して進み

上狐森地区を過ぎると、いよいよ象潟(きさかた)町に

入ります。

象潟町は昔は

塩越(汐越)と言いました。

象潟という名称は

元々は(塩越にある)九十九島と呼ばれる景勝地の

ことを指しています。


さて国道7号線を歩くと

にかほ市役所に向かう道(県道58号線)

が右に分かれますが、そこよりも

ほんの少し先で左の旧道に入ります。

象潟町の入り口部分には

太宰府天満宮が鎮座しています。

さらに旧道を歩くと

古四王神社(下写真)

象潟町の様子(下写真)

旧羽州浜街道を歩く。

しばらく道なりに歩いていると

「木戸」跡の説明看板が

立っていました(下写真)

1645年に、ここが国境となって

木戸が設けられたようです。

その木戸より北側が本荘藩(六郷家)の

塩越(汐越)村、南側が矢島藩(生駒家)の

冠石村になります。

(木戸跡付近の様子)


今回の歩き旅では

南から北へと向かっているので

冠石村から木戸跡を経て

塩越村を進むことになります。

さて塩越(しおこし)に入ると

松尾芭蕉が宿泊した能登屋跡の

説明看板が立っています(下写真)

塩越に着いた芭蕉達は、はじめ

能登屋に宿泊するつもりでしたが

熊野権現の祭りで女客があって

部屋が満室だったため

向かいの宿に泊まりました。

そして翌日は能登屋に泊まりました。

(能登屋跡付近の様子)

その少し先、象潟公会堂前には

象潟町道路元標が建っています(下写真)


また、さらに少し先には

田山花袋が宿泊した

秋田屋跡の説明看板が立っています。

おそらく塩越は羽州浜街道の宿場町だったと

思われます。


次回は、塩越の続きを歩きながら

いよいよ九十九島と呼ばれる

景勝地、象潟を訪ねたいと

思います。

続く。


参考)

秋田県道路地図 県別マップル5  昭文社

アプリ ヤマレコ、古地図散歩

など