風のマーサ、旧北陸道を行く70(最終回)碁石〜府屋〜鼠ヶ関 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは、

風のマーサです😊


さっそく碁石から府屋へ

向かいます。

新潟県北部、日本海側の道のりと

なります。

北国街道、北陸道、越後街道、羽州浜街道など

いろんな呼び方が考えられますが

参勤交代などに使われるメインルートでは

なかったようです。


このあたりは

旧山北町の領域(現在は村上市)

になります。

さて碁石地区の坂道を降りていきます(下写真)

すると海岸のほうに出てきます。

こんぴらの松の由来についての

説明看板が建っていました(下写真)

明治初期、四国のこんぴら祭りの際に

集落の人が種を持ち帰り、立派に育てたとあります。

それ以来、風雪に耐えながらも

碁石のシンボルとして、今もなお健在です(下写真)

行く先、前方を眺めます(下写真)

昔は、この山を越えて府屋へ

向かったようです(道のりは未確認)

現在は、この山にトンネルが

通っています(下写真)

府屋第一トンネルです。

さらに続く府屋第ニトンネルを抜ければ

府屋に至ります。

ところで、このトンネルが出来るまでは

旧トンネルを通っていました。

大崎山隧道です(下写真) 

現在、全面通行止めになっていました。

この山を遠くから眺めると

トンネルが3つ並んでいます(下写真)

厳密には、もう少し手前に

羽越本線の大崎山トンネルも

あるのですが。

おそらく一番左は

昔の鉄道トンネル(明治時代から?)だろう。

真ん中が旧国道トンネル(大崎山隧道)

右が現国道トンネル(府屋第一トンネル)です。

旧国道トンネルも現国道トンネルも

いずれも戦後に作られたようです。


さて前回投稿にも

少し触れましたが、勝木から府屋に

至るルートとしては

江戸時代には勝木→碁石→山越え→海岸沿いを

通ってから府屋に至る道のりでした。

明治時代になる勝木から府屋まで、

やや内陸部に車道(旧国道)が作られました。

車道といっても馬車などの通る道です。

そして戦後に入ってからは大崎山隧道を通り

現在は府屋トンネルを使っています(国道7号線)


本来なら江戸時代の山越えを

したかったのですが

当時は勉強不足のため(汗)

普通に府屋第一トンネル、第二トンネルを

歩きました。

トンネルを抜けると府屋の町に進むために

国道から分かれ、右の分岐路を進みました。

そうして府屋駅に向かいます(下写真)

(府屋駅の様子)

さて府屋駅から

駅前の旧道に戻り、先に進みます。

県道248号線です。

そうして羽越本線に接するところで

道は右にカーブして

離れていきます。

ここからが昔の府屋の中心街になるようです(下写真)

府屋が宿場町だったのか、

残念ながら確認は取れませんでしたが

宿場町のような町並、道の経路のようには

感じました。

この先の交差点には大川谷村道路元標が

建っています(下写真)

この交差点で左折して北へ向かいます。

その先、大川を渡ります。

下写真は大川を渡ってから府屋方面を

振り返った様子。

その後、羽越本線の高架下を通り

右の道に進むと岩崎地区に入ります(下写真)

この道は、先で国道7号線に合流します。

ここからは海沿いの国道7号線を進みます(下写真)

遠目には鼠ヶ関が見えています。

半島の出っ張りのような部分です(下写真)

いよいよ鼠ヶ関まで

ラストスパートです。

国道のすぐ右側には羽越本線が並走しています。

中浜地区を通過して

やがて国道から分かれて右の分岐路に

入ります。

そして、今まで歩いてきた国道7号線の高架下を

通ります(下写真)

その先では(下写真)

道が二つに分かれているので

右側に入ります。

そのルートが旧国道になります。

すると新潟県最北の伊呉野(いぐれの)に

入ります(下写真)

伊呉野は、少なくとも

大正、昭和初期あたりの地図には

表記がありません。

比較的に新しく形成された町なのかも

しれません。

伊呉野を通る旧国道を歩いていると

右側に県境の石碑が建っていました(下写真)


ここより左が山形県、右が新潟県です。

この旧北陸道の旅において

遠く長かった新潟県とも

いよいよ、お別れの時です。

ところで、この道標のところで
右折すると(上写真の、真っ直ぐの道を進むと)
古代鼠ヶ関趾碑が建っています(下写真)

古代の関所、鼠ヶ関は

奥羽三大関門の一つとされ

かつて源義経が、ここ鼠ヶ関に上陸して

関所を通ったという。


旧国道に戻り、山形県(旧出羽国)を

歩きます。

鶴岡市鼠ヶ関です。

鼠ヶ関には松尾芭蕉も

訪れています。

さて、いよいよ日も暮れてきました。

また北陸地方から東北地方に

入ったということで

この旧北陸道シリーズは、ここで

終了したいと思います。


鼠ヶ関では、まだ紹介したいことが

ありますが、これは次回シリーズ

羽州浜街道編に託したいと思います。

羽州浜街道シリーズでは

鼠ヶ関から酒田、象潟を経て秋田までの

旅を描く予定です。


最後に鼠ヶ関の弁天島と灯台を

見ながら、このシリーズを締めくくりたいと

思います。

(完)



参考)

新潟県道路地図 県別マップル15  昭文社

アプリ ヤマレコ、古地図散歩

など