風のマーサ、旧北陸道を行く39 市振〜親不知〜外波 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


さて、市振を過ぎれば

いよいよ北国街道随一の難所とも

呼ばれる親不知子不知(おやしらずこしらず)

です。


現在は国道8号線、あるいは

北陸自動車道が通っていますが

江戸時代には(それ以前も)

波打つ断崖絶壁の海岸を

歩くしかなかったのです。

それはまさしく命懸けの行程です。

特に、天候が荒れてるときなどは

波で道が閉ざされ、風が吹き荒れ

通行不能だったことでしょう。

(当時の親不知の様子。断崖絶壁の海岸を歩いた)

*道中の説明看板より抜粋


さて、現在は

海岸状況も変わっていて

昔の街道をなぞることは出来ません。

代わりに国道8号線を歩くしかないのですが…

これこそが現代の難所です。


まず歩道はありません(汗)

洞門が連続します。

交通量も案外あって

しかも大型車(ダンプカーなど)が

多いです😭

本来、歩行するところでは

ないようです…


さて市振から青海まで

道のりは約14km。

その間、洞門やトンネルを次々と通ります。

無事に生きて通ることが

出来るのでしょうか…不安がよぎります。

同じように歩くのが怖い道路としては

国道161号線(マキノ海津〜疋田間)

国道163号線(伊賀街道、加茂から笠置方面のルート)

あたりがパッと浮かびます。


さて、最初の洞門前から

行く先を見つめます。

昔は、下の海岸?を

海沿いに歩いていたようです(下写真)


さて、最初の洞門は

歩行者道があって助かりました(下写真)

もっとも単に工事用の道なような

気がしますが(汗)


歩行者道がないところでは

洞門内を歩くしかありません…(下写真)

ただ、この日は

工事の真っ最中だったようで

警備員さんもおられました。

片側交互通行だったり

歩く身としては助かります。

誘導されるがまま

工事されてる側の道をお邪魔

させてもらいました。


赤崎洞門を振り返る(下写真)

記憶は、もはやないですが

歩道?を歩いているようです。


目の前には先ヶ鼻洞門が(下写真)

このあたりの断崖絶壁は

先ヶ鼻と呼ぶようです。


やはり、洞門内は怖いです。

日本海の景色は最高ですけど😅

おちおちと歩いてられないので

走ります。

後方からエンジン音が聞こえてきたら

左側の空間に退避します。

やり過ごしたら

また走ります。

それの繰り返しです(下写真)


また、ときおり外を眺めます。

昔は海沿いを歩いたようなので
その様子を伺います。
わりあい穏やかな天気だと
思うのですが
結構波が押し寄せて
水しぶきが激しいです(下写真)


次なる洞門を見つめます。

景色は綺麗なんですけど(下写真)


続いて浄土と書かれた洞門です(下写真)

浄土という名前について〜

さらに先の断崖絶壁のところは

親不知と言い、

特に難所中の難所でした。

越中方面に向かうとすれば

そこを越えれば、一安心。

極楽浄土を旅するようだという事で

このあたりを浄土と言ったそうです。


そんな名のつく洞門を歩きます。

車(大抵は大型車)が来れば

左に退避して、来ない間に走りきる。

まるで、昔の人が波打ち際を歩くときに

岩穴?に退避しながら

様子を見て一気に走り抜けることを

繰り返していた〜そんなことと

リンクします。


さて天嶮(てんけん)トンネル手前で

歩行者は左に進みます(下写真)

現在、市道天険親不知線で

天嶮トンネルが開通するまでは

国道でした(下写真)

この道は

明治時代になって

新しく絶壁に切り開かれた新道で

この親不知区間のみ

当時の道が残っています。


さて旧道を歩いていると

親不知レンガトンネルへの

案内版が建っています(下写真)

かなり急な階段を下まで

降りていくとトンネルがあります(下写真)

このトンネルは

昔の鉄道(旧北陸本線)のトンネルに

なります。

明治後半頃からの地図を見ると

一目瞭然ですが、昔の北陸本線は

現在よりも海岸近くを通っていました。

確かに、より山手に鉄道を通すには

トンネルも長くなるし

技術的に難しくなるのでしょう。


さて、先も長いし

時間的なことも考えて

トンネルは眺めるだけにして…

再び階段を登って旧道に戻ります。

(これが、かなりしんどい…)


再び旧国道(市道天険親不知線)を歩きます。

親不知子不知のルートで唯一の古道区間です。

(といっても明治時代ですが)

現在は遊歩道として整備されています。


しばらく歩いていると

大きな岩壁が見えてきます(下写真)

このあたりは、親不知子不知の中でも

もっとも通行が困難な難所で、

かつては波打ち際を命懸けで越えていきました。

明治に入って、ご覧のような

新道が完成して、その記念として

岩壁に文字が刻まれました(下写真)

(拡大して写真を撮っています)

如砥如矢。とのごとく、やのごとし。

砥石のように滑らかで矢のように

まっすぐであるという意味らしいです。


そして広場に出てきました。

旧道はここまでです。

ここからは再び恐怖の国道8号線です。


風波洞門を歩きます(下写真)


さらに進みます


しばらくして

親不知の展望ポイントがあります。

(親不知の様子)


続いて大竹沢という洞門。

相変わらず怖いです😱


なんとかかんとか

歩道のある道にやって来ました(下写真)

左側の高架が北陸自動車道(親不知インターチェンジ)

そして歩道があるということは

集落が近いということです。

600mほど歩くと

右側に分岐路があるので

そちらに進みます(下写真)


外波地区に入っていきます(下写真)

(外波を通る旧北陸道)


同地区の大雲寺に

立ち寄ると親鸞聖人と蓮如上人の

像が建っています(下写真)

親鸞聖人は

越後に流される道中で

親不知を越えてきたので

ここを通っているはずです。

なんらかの繋がりがあるのでしょうか。


さて、断崖絶壁の区間を通る

親不知子不知ルート。

このあたりで中間地点くらい。

安全圏?の青海まで早く向かいたいと

思います。


続く。

(5月上旬の頃)



参考)

富山県道路地図 県別マップル16  昭文社

アプリ ヤマレコ、古地図散歩

など