風のマーサ、旧北陸道を行く 12 福井城下〜松本町〜荒町 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


旧北陸道の旅、

前回で福井まで歩きました。

旧東海道から北国街道が分かれる

大津からは5日を要したことに

なります。


福井は

柴田勝家によって

本格的な城下町として

整備され、その後

結城秀康が福井城を築き

発展、拡張させました。

(現在の福井城の様子。

本丸内には福井県庁が建っています)


勝家の時代には、福井を

北庄(きたのしょう)と呼んでいましたが

江戸時代に入り

福居、そして福井に

改名されました。



さて福井城の

南には足羽川、東には吉野川(荒川)が

流れています。また北側と西側にも

外堀を作ることで

周りを囲み、郭としました。


昔の絵図などからも

当時は本丸を中心に幾重に

水路(堀)が張り巡らされ

四方を囲んでいる様子が

伺えます。

そして、その外側を

北国街道は通っているようです。(下写真)

(福井城跡の近くにあった案内図、福井城下の歴史より)

ところで

現在の地図を見ると

今も、わずかながら

水路が残っているようですが

まわりも含めて面影は少ないです。


さて、

郭内には本丸、二の丸、三の丸、

侍町なとが

配置されました。

その外側では

北陸道(北国街道)に沿うようにして

町人町が配置されています。


というわけで

街道歩きとしては

当時の町人町の中を

進んでいくことになります。


前回の街道歩きで

九十九橋を北に渡り

ついに福井城下に入ったと

思いましたが…


おそらく九十九橋より南側、

当時の足羽山麓の石場、木田あたりも

いろんな絵図を参考にするかぎり

城下町に含まれそうです。


さて、街道からは

はずれますが

朝一番、北庄城跡に

立ち寄りました。(下写真)

立派な柴田勝家公像が

出迎えてくれます。

福井城下の基礎を築き、

北国街道の整備にも

力をいれた人物です。


北庄城本丸は福井城よりも

南にあったようで

現在、福井県庁からは

南に進んで城の橋通りと呼ばれる

県道5号に合流。

やや西よりに行きます。


続いて、前回の九十九橋へ(下写真)

今回はたもとから橋を眺めてみました。

この橋を手前から向かう側に渡ります。

流れる河川は足羽川。

この辺りは、住民の散歩コースに

なっているようです。

さて、再び

九十九橋を渡ります。

まだ、早朝5時台です。

九十九橋は、先の柴田勝家が

築いた半石半木の橋で

幕末まで足羽川に架かる

唯一の橋でした。


橋を北へ渡った先には

福井県の里程元標が建っていました。

(前回は日が沈んだせいか気付かなかった)

福井市照手上町と表示されています。

現在、この場所は照手一丁目。

そうして、

吉田郡森田村稲多へ1里16町2?間

足羽郡麻生津村浅水へ1里29町5間

と書かれていました。


浅水は、前回に訪れた宿場町の浅水。

稲多は、これから

九頭竜川を渡った先

に稲多新町、稲多浜町、稲多元町と

いう地名があり、その地域を

指すものと思われます。



さて、今は

九十九橋を北に渡ってから

県道を右に別れ

呉服町商店街を

進みます(下写真)

道なりに北上して、

松本通りに突き当たるまで

進みます。

実際は、その少し手前で

右折してクランク状に進み

松本通りに出るようです。


詳しくは

先程の福井城下の歴史という

案内図を参考にするとして

中心になる通りは松本通りです。


途中何度か、クランク状に進みますが

おおよそは松本通りを東に進み

松本交差点を越えた先で

道を北上していくことに

なります。(左折して進む)


この左折するところを

松本四ツ辻と言ったようです。


北上すると

ほどなく加賀口御門址の

案内版が見えます(下写真)


加賀口は

福井城下の出入り口、七口の中でも

最も重要な口でした。

というのも、加賀藩(100万石)の

前田家の脅威に備える必要が

あったからです。


当時、加賀口御門を中心に

東西に長く水堀と土居が築かれ

防衛にあたりました。

堀の内側が松本町で

外側が荒町でした。


さて加賀口から

少し北へ行ったところには

荒町一里塚跡の碑があります。

碑を見ると、これより

手前の一里塚は木田荒町。

九十九橋よりも、ずっと

南のところでしょう。

次に向かうのは

森田稲多の一里塚になります。


街道は、この先で左折して

すぐに右折(鍵の手に進む)。

そして道なりに越前鉄道の踏切を

渡ってから県道に合流、

そのまま北進して

左に分かれる旧道を選びます。


続いて国道416号の一つ北で

右折。

二の宮2丁目、1丁目の順に東に進み

途中、北に進路変更。

次に北陸本線の踏切を東に渡り

高木中央1丁目に入ります。

またすぐに左折して、先では県道30号に合流。

そのまま九頭竜橋方面に

進路をとります。


さて、今回

写真が少なめですが…

福井は空襲と震災によって

その古い街並みがほとんど

残っていないという予備知識と

無関係ではないでしょう。

確かに街道沿いで

説明版などがなければ

ぼーっと通り過ぎていた

かもしれません。


次回は九頭竜川を

渡って、加賀方面に

向かいます。


続く。



参考)

福井県道路地図 県別マップル18  昭文社

山アプリ ヤマレコ等