風のマーサ、旧北陸道を行く 10 鯖江〜水落宿 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


旧北陸道の旅は

第10回目。

福井県は鯖江市の街道を

歩きます。

前回では白鬼女(しらきじょ)橋を渡り、

上鯖江宿まで歩きました。


ここからの北陸道は

道なりに北上して

舟津町、深江町、本町と

順に進みます。


さて現在、鯖江市と言えば

眼鏡の町として有名ですが

江戸時代には、北陸街道沿いに

陣屋(藩邸)を中心とした

城下町が形成されました。

(鯖江藩 藩主は間部氏)


鯖江藩陣屋跡に

掲示されている

鯖江城下絵図では

南北に走る北陸街道の両側に

町屋敷地が描かれていて

さながら宿場町の様相です。


町屋敷地は

南から順に上新町、古町、寺町、下新町と

続いています。

また陣屋は街道の西側部分の

古町の奥に控え、絵図を見れば

町の中心であることが一目瞭然です。


かたや

武家屋敷地は主に、街道の東側の町屋敷地の

外側に控えているイメージです。


というわけで

絵図をイメージしながら

鯖江城下の街道を歩きたいと

思います。

下写真は鯖江城下町の南の入り口

萬慶寺あたりになります。

絵図の南側は、このあたりから

始まるようです。


(上新町の様子、現在は深江町)


そして絵図にも

描かれる萬慶寺。

思わず足が止まる、

とても印象的な建物でした。

山門をくぐり中に入ります(下写真)

鯖江藩主間部氏の

菩提寺になります。


次に

上新町を過ぎると

古町です。(いずれも旧町名)

現在コアロードコマチ(古町)という

アーケード街の

手前には、ちょっとした広場が

あって、陣屋跡の説明書きが

あります。


この辺りと、少し手前が

陣屋跡のようです。

また、広場には

背の高い道標が建っていたり

願掛け地蔵も安置されます。

道標には

南 武生まで1里14町

東 粟田部まで2里17町、下池田まで6里19町

北 福井まで3里4町、兵営まで35町

などと書かれています。

ちなみに兵営とは、戦前

今の神明駅近くにあった

鯖江歩兵三六連隊の基地のことを

指しているのでしょう。


道標は昭和7年に作られたようです。


さて、陣屋跡から先は

コアロードコマチと書かれる

アーケードを抜けて、

古町から寺町へ進みます。(いずれと旧町名)


下写真は、寺町から下新町まで

続いています。

鯖江城下絵図では、北側は

このあたりまでが描かれています。

(旧北陸街道は下新町に入る)


いろんな新旧の町名が出て

ややこしくなりましたが、要は

南から北方向に、ずっと道なりに

歩いているのです。


続いて

現在の町名で

本町4丁目(旧名、下新町)と、

それより北の長泉寺町との境界、

交差点手前には、橋地蔵尊が

安置されています。(下写真)

近くに行くと
なんとも不思議な
地蔵尊寝姿です。(下写真)

その由来は

長泉寺の僧が

織田信長の焼き討ちによって

打ち捨てられた地蔵尊の

「我が身体を踏ませて通る衆生に功徳を与えん」

という、お告げを聞いてから

北陸道の小川の橋にしたと

いうところにあります。


伝説なのか、事実なのか、

説明書きに書かれる街道の

小川のことが気になりました。


街道は

北へ向かって

道なりに。

長泉寺町に入りました。

中々に心地よい景色が

広がります(下写真)

続いては
水落(みずおち)町を
通ります。

水落町では
水落宿場跡の石碑と説明書きが
街道沿いに建っています。
水落は北陸道の宿場町です。
また神明社の門前町としての
顔も持っています。

その水落宿から北は
昔より鳥羽野と呼ばれる原野が広がって
いましたが江戸時代には
開拓されて、街道が整い(直線化された)
行き交う人々で賑わいました。

鳥羽野は今の神明町、鳥羽あたりまで
広がっていたのだろうか?

さて、水落町内の街道を歩きます。
(水落宿の様子)

水落町の北端には
烏ヶ森があって
そこに神明社が鎮座しています。
烏ヶ森は、かつては
とても広大だったと言います。

街道から神明社の参道が分かれる
その分岐点を
そのまま通り過ぎると、
次の交差点手前には
昔ながらの藁ぶきの
古民家が見えます。(下写真)
位置的には神明社の裏手に
なります。
案内には
旧瓜生家住宅と
書かれ元禄期(江戸中期)
に建てられたそうです。
古くより神明社の宮司を
務めてきた瓜生家の住まいだった
ところで、
福井県内では最も古い部類の
民家になります。

さてここからは
かつて鳥羽野と呼ばれた地を
進み、次の宿場町
浅水(あそうず)宿へと向かいます。

続く。


参考)

福井県道路地図 県別マップル18  昭文社

山アプリ ヤマレコ等