西暦2000年。SPEEDが解散し、モーニング娘。が黄金期をむかえていた年、ある地方都市で女の子三人組のアイドルが誕生する。彼女たちは自らを『ぱふゅ~む』と名づけた。
広島に開校したアクターズスクールの一期生だった、西脇綾香(あ~ちゃん)、樫野有香(かしゆか)ともう一人の女の子でグループを組み「ぱふゅ~む」というスクール内ユニットとして活動する。翌年にメンバーの脱退を受けて、同じスクール一期生だった大本彩乃(のっち)が加入した。(Wikipediaより)
2002年にはパッパラー河合のプロデュースでインディーズCDデビューしている。当初はベタベタのアイドル歌謡だった。広島県のイベントなどで多く活動していたため、ローカルアイドルとして認識されていた。
この「ローカルアイドル」ということばも、このころから耳にするようになった。
Wikipediaで「ローカルアイドル」の項目を見ると、2000年に活動をはじめているグループとして、青森の『りんご娘』と広島の『Perfume』の記載がある。
(ちなみに新潟での『Negicco』の活動開始は2003年である)
安室奈美恵の沖縄アクターズスクール時代などを考えると、ローカルで芸能活動をする例は以前からあった。ただ、その多くは将来の東京進出をめざしたものだったし、音楽でデビューするハードルも高かった。
それが少し変わりはじめたのが2000年以降だと思われる。デジタル技術の進歩によって、個人がコンピューターで音楽をつくり、CDを手焼きすることもできるようになった。インターネットの普及は地方からの情報発信を可能にすると期待された。
経済学者の田中秀臣によれば、地方アイドルの出現は若者の地方回帰を背景としたものであり「デフレカルチャーの構造化の一面」だとしている。(Wikipedia「ローカルアイドル」より)
安室奈美恵やSPEEDの成功をうけて、地方にアクターズスクールが生まれ、東京のメジャーな芸能関係者が関心をもつようになった。
そして『モーニング娘。』の活躍が、「アイドル」ということばを復権させた。
そこには未熟さや未完成さを感じさせるニュアンスもふくまれているが、それ以上に元気で明るい華やかさがある。
「アイドルとは『魅力』が『実力』を凌駕している存在」(※1)
そう言ったのは、HIPHOPアーティストのライムスター宇多丸だ。彼が現在までつづくアイドルソング時評「マブ論」を月刊誌『BUBUKA』ではじめたのも2000年だった。
広島でローカルアイドルとして活動していた『ぱひゅ~む』は、2003年、芸能事務所『アミューズ』の新人タレント育成プロジェクトにピックアップされ、上京する。
このときユニット名もアルファベットの『Perfume』とした。
彼女たちは、ほかの育成ユニットのメンバーと同じ女子寮に住み、合同のライブやイベントを行っていた。寮内の一室にはWebカメラが設置され、24時間インターネット生配信がされていたという。(※2)
まだ、Ustreamもツイッターも存在しない時期としては、画期的な試みだといえる。(それだけに受け手側も限定されたと推測できるが)
のちに未来的な詞を刻むテクノポップを歌舞し、いまやプロジェクションマッピングなどの最新テクノロジーをエンタテインメント・ショーに落とし込む依代(よりしろ)として活躍しているのを思うと、初期からそのDNAは吹き込まれていたように見えるから不思議だ。
ただ、彼女たちの活動は順風満帆とはいかなかった。
『Perfume』は2003年8月にインディーズ・シングル『スウィートドーナッツ』をリリース。このときサウンドプロデューサーとしてはじめて中田ヤスタカと出会っている。
2004年に2枚のインディーズシングルを発表。
2005年に『リニアモーターガール』でメジャーデビューするが、けっして売り上げは芳しいものではなかった。
売上枚数は、以下のように推移する。(※2)
『リニアモーターガール』 2630枚(2005年9月)
『コンピューターシティ』 3841枚(2006年1月)
『エレクトロ・ワールド』 1986枚(2006年6月)
2004年11月、ライムスター宇多丸は『マブ論』のなかで、Perfumeの『ビタミンドロップ』(2004年9月リリース)を紹介し、称賛している。
彼はPerfumeを「周辺領域」の存在とした。この「周辺」とはモーニング娘。を擁するハロー!プロジェクトをアイドル音楽の「中心」と位置づけたときの「周辺」なのだが、その「中心」であるハロプロの勢力が、このころ衰えてきたと感じ、再び「アイドル(ソング)冬の時代」に突入したのではないかと書いている
2005年12月には「ハロプロ帝国の本格的な凋落」を語り、Perfumeの「リニアモーターガール」を評して、「アイドルのたたずまいを保ちながら、楽曲的にも高いレベルをキープしているほとんど奇跡的な存在」だとし、「頼むからこの調子で頑張ってくれ」と祈りにも似たエールを送っている。
Perfumeのメジャーデビュー後の売り上げを見れば、彼が祈りたくなる気持ちもよくわかる。
ライムスター宇多丸はハロプロへの愛ゆえに歯がゆさを覚え、王者であったはずのモーニング娘。の衰退が、アイドルシーンそのものを萎縮させるのではないかという焦燥から苦しみ祈っている。
じっさいにアミューズの育成ユニットもPerfumeしか生き残らなかった。ほかにもアイドル的なアプローチをした多くのチャレンジャーたちが姿を消した。(※3)
Perfumeを「最後の希望」と語り、「ハロプロ帝国の凋落」を嘆いた、2005年12月。じつはこのときこそ、ハロプロ帝国をも凌駕する巨大な存在への萌芽が生れていた。が、その話はもうすこし先になる。
このころ外部環境はどうだったのだろう。
1998年には史上最高の売上を誇った音楽CDである。しかし、6075億円あった売り上げは、2005年には4222億円まで落ち込んでいる。じつに33%の縮小で、市場が3分の2になってしまったことになる。
上のデータでは、2005年から有料音楽配信の売り上げも計上されている。この多くは携帯電話の着メロのデータだと思われるが、iTunesストアが日本でサービスを開始したのもこの年だ。あのYouTubeもこの年に設立されている。
(ちなみにツイッターは2006年にサービスを開始、Ustreamは2007年に設立)
そして、2005年が日本のショウビジネス界にとって特別な年だったことを、後のわれわれは知っている。しかし、そのころはまだ、下がりつづける音楽CDの売り上げに困惑し、的はずれな悪者さがしに右往左往するばかりで、いかに適応するかの答えを持っているものはどこにもいなかった。
──「辺境とアンダーグラウンド【2】 『地下アイドル』とは?」につづく
(※1)「ライムスター宇多丸『アイドル幻想』変容の時代。」マガジンハウス「BRUTUS」2010年6月1日号p84
(※2)北川昌弘『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』 (宝島社新書) p162-163
(※3)同上『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』p159
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