秋葉原に「アイドル」はいつからいたのか?
北川昌弘の『アイドル論』によれば、「──すでにグラビアアイドルたちはソフマップや石丸SOFTの会場でDVDを購入した人向けにトーク&握手会を開催していた。00年頃からこのスタイルは存在し…」、水着の撮影会や、ツーショットチェキの撮影、チェキにサインを入れてもらうこともできた、という。(※1)
さかのぼれば、80年代アイドル、あるいはもっと以前から歌手のプロモーション活動として、イベントやレコード店でのサイン会や握手会はあった。
ただ、秋葉原の場合はいつの頃からか、イベントの頻繁性と催されるショップの密集性、そして歩行者天国での路上ライブなどによって、マニアの間からは「アイドルの聖地」としても認識されるようになっていく。
「アイドルの聖地」秋葉原石丸ソフト、ついに閉店。秋葉原からイベント会場が消えてゆく。 - Aerodynamik - 航空力学
上記のブログは2011年3月の石丸SOFTの閉店を悼んでいる。と同時に、Perfumeの石丸SOFTにおける最後の出演が『Baby cruising Love』のリリースイベントだったことを教えてくれる。
『Baby cruising Love』のリリースは2008年の1月。そのひとつまえが2007年9月にリリースされた「ポリリズム」だ。
Perfumeのブレイクを目撃した人々にとっては、「ポリリズム」という楽曲と、それを用いた公共広告機構のCMが大きな要因であったことを知っている。
耳に心地のよい音と、クセになるリズム。かわいい歌声とダンス。この子たちは誰だろう? と多くの人が思った。
ここで個人的な経験から思い起こすと、『ポリリズム』以前にもPerfumeの歌声を聴いたことがあった。ただ、姿を見たことはなかった。ラジオだったからだ。
よく知られた話として、Perfumeのブレイクには木村カエラのあと押しがあったといわれる。
[木村カエラ] Perfumeをラジオで大推薦 - 音楽ナタリー(2007年3月30日付)
上記のラジオをぼくも聴いていた。
バレンタインデーでもないのに、なんども『チョコレイト・ディスコ』がかかった。「チョコレイト」ということばの響きがかわいらしく、軽快なリズムの反復が記憶に残った。
中田ヤスタカのサウンドメーカーとしての優秀さはもちろんなのだけれど、作詞家としての「ことば」のチョイスの見事さには、ときどき驚く。のちの「きゃりーぱみゅぱみゅ」にいたっては、その描き出された風景に、涙したこともある。
(だって、あの交差点で、みんながスキップして、手をつないで、空を見上げるんだぜ、2011年の夏に──)
木村カエラについても、ちょっと考えておきたい。
なぜ、彼女のラジオ『カエラジ』(J-WAVE『OH! MY RADIO』)を聴いていたかというと、『saku saku(サクサク)』を見ていたから。
『saku saku』はtvk制作の音楽情報番組で、木村カエラは2003年3月から2006年3月までMCをつとめていた。
CGの(いい意味で)安っぽい合成背景をバックに、木村カエラとディレクターが操る腕人形との他愛もないやりとりや、世代間ギャップですれちがうサブカルトークが面白かった。
『ガンダム』ネタをどれだけカエラに吹き込んでいたことか。
ローカルな街や出来事についてのオリジナル・ソング(これはディレクターの才能)、投稿イラストやメール、ときどき現れるミュージシャンの大物ゲスト、出演者、スタッフ、それぞれの個性的なキャラクターもあいまって、低予算ながらとても豊かで魅力的な番組だった。
本放送は早朝(出勤、通学前)に、その再放送が深夜にあり、月曜日から金曜日まで毎日30分放送された。
見ようと思えば毎日、平日であれば彼女の顔を見ることができた。3年間だったのだから、朝ドラのヒロイン以上だ。
はじめは、怪獣みたいな名前の女の子だな、と思った。『セブンティーン』の雑誌モデルで、やる気があるのかないのか、わからないけれど、どうやら気さくで人柄も良く、おしゃべりも面白いな、くらいの感じで日々なんとなく眺めていた。
ある日、番組オリジナルのローカル街ソングを歌ったときに、「あれ、この子、歌うまいじゃん!」と視聴者は感じはじめる。
2004年5月に番組の企画で、インディースCD「Level42」を制作し、限定発売すると評判になる。そのまま同じ曲でひと月後にはメジャーデビューをしていた。
10月にリリースされた2ndシングル「happiness!!!」では、カエラ自身が登場するリップクリームのCMソングに採用され、12月には1stアルバム『KAELA』を発売、オリコンチャートで初登場8位を記録する。CDデビューから半年後のことだった。
その後、奥田民生プロデュースの曲があったり、サディスティック・ミカ・バンドにボーカリストとして参加したりと、彼女の歌声は先輩ミュージシャンたちからも高く評価される。彼女は2000年代後半を代表する人気アーティストになっていく。
木村カエラの登場のしかたを見ていると、彼女はローカル・アイドルだったように見えなくもない。
神奈川県の低予算ローカル番組で、手足の生えたサイコロやら、帽子をかぶったネコもどきやらと毎日、他愛もないおしゃべりをして、地元のネタソングを歌い、ときどき「月に変わってお仕置き」をするコスプレをし、おっさんの「ガンダム」ネタに、はじめは素っ気なく、やがて楽しくマニアックにつきあう。
彼女のトークは肩の力がぬけていて、番組のつくりもゆるかった。でも、オリジナルソングの完成度は高かったし、カエラのボーカルも魅力的だった。とても快適なバランスで、だから毎日見つづけることができた。
番組を見ていた人はみんな、彼女のことが好きになった。
しかし、彼女を「アイドル」とは呼ばなかった。
彼女は『sakusaku』に登場する以前からファッション誌『セブンティーン』の専属モデルだった。すでに同世代の女の子たちのあこがれの視線が彼女にむけられていた。そしてデビュー曲をはじめとして多くの楽曲を作詞していた。
「同性のファンが多く」て「自らの詞による自作自演」をする、そして玄人好みのボーカリスト、となれば間違いのないアーティストだ。
彼女がデビューした2004年前後はライムスター宇多丸が「アイドル冬の時代」の再来かと嘆いていた時期だ。
木村カエラの歌手デビューが、どれだけ計画的なものだったかはわからない。
インディーズ・デビュー曲「Level42」のMVなどを見ると、低予算のローカル番組のスタッフが、さらにない予算でつくった広角レンズ、ワンカメの素朴なもので、メジャーなレコード会社が戦略をもってつくったものとは、とても考えられない。
ただ、そのシンプルな画面のなかで、はつらつと歌う木村カエラは魅力的で、それが番組のエンディングで何度もリピートされ、彼女は視聴者からも歌手として認識されていく。
番組企画の限定インディーズから、同曲のメジャー発売までひと月、そこから2ndシングルまでは4ヶ月、「happiness!!!」のMVはいっ見してコストがかかっているし、なによりCMのタイアップがあった。
おそらく、木村カエラの歌手としての戦略的なプロモーションは2ndシングルからはじまっている。
インディーズCDへの反応を確認したレコード会社が、そこから「アーティスト」木村カエラの売り出し方を考えたのだろう。
ティーンズ誌のモデルらしいけれど、ローカル番組のおもしろい女の子は、時代を彩るアーティストになった。
彼女もまた辺境からの挑戦者だった。
2007年、木村カエラは、3rdアルバム『Scratch』でオリコン週間チャート1位を記録。『saku saku』は卒業していたものの、CMや歌番組にひっぱりだこの人気者になっていた。
そんな彼女が、たまたま「外で歩いてるときに一瞬見かけ」たMV
がPerfumeの「チョコレイト・ディスコ」だった。(※上記HP)
彼女は自らのラジオで、4週にわたって同曲をヘビーローテーションする。(Wikipedia「Perfume」より)
そして、そのラジオを聴いていたCMディレクターが、リサイクルキャンペーンのCMにPerfumeを起用し、NHKと民放のテレビ画面を通じて、「ポリリズム」の楽曲とダンスが全国に流れることになった。
Perfumeはブレイクした。
広島で出会った3人の女の子が、東京のアミューズという芸能事務所にピックアップされ、中田ヤスタカという音楽プロデューサーにめぐり逢い、ライムスター宇多丸らクラブシーンに通じるアーティストからも愛され、アキバ系のアイドルヲタからも親しまれ、ローカルテレビ番組から人気者になった木村カエラに発見され、その曲を耳にしたCMディレクターの起用を経て──
ようやく『Perfume』は全国的な認知を得た。
広島でのローカルアイドル時代から7年。東京に上京してからも4年がたっていた。
ライムスター宇多丸はPerfumeの「ポリリズム」によるブレイクを評して、「──アイドル・ソングの歴史上、滅多に見れない、どころか、恐らくは空前絶後の『奇跡』」だと語り、「無駄に金のかかった宣伝でもなく、また、ファン限定な目先の小銭稼ぎでもなく、ただ、ひたすら圧倒的な作品の力だけが、そして、そこから静かに、しかし確実に広がっていったリスナーの支持こそが、この類い稀なる『いい風』を生みだした源だということを、すべてのアイドル産業従事者は肝に銘じるべきだ」と記述している。(※2)
伝え聞くところによれば、アミューズの創業者であり現会長の大里洋吉は、Perfumeのブレイクを大変喜んだという。大里氏は、女性三人組アイドルグループの原型ともいえる『キャンディーズ』のマネージャーであり、解散コンサートの総合演出もつとめた人物だった。
Perfumeが秋葉原で最後にストア・イベントを行なったのは2008年の1月。4月に発売したアルバム『GAME』は39万枚を売り上げ、8月の『ROCK IN JAPAN』フェスでは1万人収容のステージをあふれさせた。11月には日本武道館2daysを開催し、この年、はじめてNHK紅白歌合戦に出場する。
キャンディーズの解散から、ちょうど30年が経っていた。
Perfumeが誕生し、ブレイクするまでの7年間は、CDの売上市場そのものが縮小しつづける、音楽業界にとってはこれまでに経験したことのない環境だった。
その変わりゆく難しい環境のなかで、新たな挑戦をするグループがいた。
彼女たちも、かつてのPerfumeのように秋葉原で地道な活動をはじめる。ただ、違っていたのは、彼女たちには毎日パフォーマンスをする常設の劇場があった。
彼女たちが活動をはじめたのは2005年12月。
有名なプロデューサーがついていたとはいえ、このころはまだ、それが巨大な帝国にまで発展するとは、だれも考えもしなかった。それどころか、「あのひとがまた変なことをはじめたよ」と鼻で笑う人もいた。「ぜったいに成功なんかしないよ」と。
彼女たちは秋葉原からイニシャルをとり、世界で最も多く使われた軍用銃になぞらえ、そしておそらく大人たちの艶のある遊びも想起させるように──『AKB48』と名乗った。
──「辺境とアンダーグラウンド【4】 『秋葉原』都市の重力」につづく

(※1)北川昌弘『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』 (宝島社新書) p193
(※2)『ライムスター宇多丸のマブ論CLASSICS アイドルソング時評2000-2008』(光文社知恵の森文庫)p433-435
宇多丸氏は上記のコメントにつづけてこう書いている。
──木村カエラのファン宣言や公共広告機構CMへの大抜擢といった超強力な追い風は、すべて、この真実から発した「結果」なのだと私は思います。つまり、ひとことで言えば、正義が勝った! そして、そんなことは実際には滅多にないからこそ(当連載の読者であれば、この業界では特にそうだということを、身にしみて理解していることでしょう)、この「奇跡」は途轍もなく尊いのです。