山下達郎がパッケージメディアの衰退を感じ、ライブツアーを決断したのは2008年だ。その3年前に、秋元康はAKB48の専用劇場をつくった。結果的には、先見の明がある戦略的な仕掛けに見える。しかし、当時の秋元氏の考えはとてもシンプルだった。
「──もともとAKBをやろうと思ったのも、マーケティングとかはいっさい関係なく、ただ『やりたかったから』なんです」
「──ただただ自分のなかでは『秋葉原に専用劇場をつくって、毎日同じ公演をやること自体が画期的だ』と思っていたわけで…」
「──専用劇場がすごく新しいことなのかというのはわからないけれども、自分としてはすごいことをやってると思ってたんだよ。クリエイティブって何かって考えると、ストーリーを頭で考えるんじゃなくて、その時の思いつきっていうか、反射神経だとぼくは思うんですよ…」
(『マブ論』秋元康×宇多丸対談より p487-490 )
この対談は2017年のものなので、自らに先見の明があったことを仄めかそうと思えば、いくらだってできる。でも秋元氏はそうはしない。飾らずに「専用劇場をつくって毎日公演をする」ただただ、そのことが画期的だと思ったのだと話す。それも自己演出だろう、と言われれば、それまでだけれど、でも語られる内容に嘘はないと感じる。
たしかに、アイドルグループをはじめるのに、専用劇場から作るなんて常識ではない。固定費が増えて、リスクを高めるだけだ。
先行する似た事例として『宝塚歌劇団』がある。
だが、もともと『宝塚』は鉄道会社の沿線開発の一環としてはじまっていて、鉄道路線の利用者を増やすことが目的だった。当初は、劇場単体で収益が上がらなくても、鉄道会社が潤えばいいビジネスモデルだった。
インタビュアーから『宝塚歌劇団』を意識したかと問われた秋元康は「あとから気づいた」と言う。そして、その違いについてこう話している。
「──宝塚って、いろいろな技術を試される厳しいオーディションを受けて、それを通過した人たちがものすごい厳しいレッスンを積み、一糸乱れぬパフォーマンスをする。完成形ですよ。AKB48はそうじゃなくて、わりとゆるいものなんですよね。例えばはじめの頃は、他のいろんなオーディションに落ちた子たちが集まってるわけです。僕にとっては『がんばれ! ベアーズ』みたいなもの。完璧ではない人間たちが努力をして、一生懸命やる、それをファンが応援する。そこが宝塚とは違う」(※1)
現在、劇場をもっている芸能プロダクションとしてジャニーズ事務所がある。しかし、その『東京グローブ座』は経営に行きづまった劇場を救済するようなかたちでジャニーズ事務所が買収したもので、自ら作ったものでも、専用でもない。
ただ、ジャニーズ事務所も育成に定評があり、自ら興行も行う芸能プロダクションなので、その姿勢を感じることはできる。
秋元氏はこんなことも言っている。
「──それまで僕はずっとテレビをやってきたわけですが、テレビって浮動票が行ったり来たり、ものすごく速いサイクルで動いていくので、そこに合わせようとすると消耗が早いんです。でも劇場でやっている限りは、観覧応募数の伸びだけを信じてやっていけばいい。(…)メディア露出がどうであれ、CDの売り上げがどうであれ、劇場の入場倍率が高くなっている間は当初の進化と同じなので、それでいい」
(インタビューは2009年 ※1)
おニャン子クラブは2年半で消滅した。
テレビ局の都合ではじまったものは、テレビ局の都合で終わる。
ならばテレビ局ではないところで、はじめればいい。
彼にとっては「専用劇場を作って、毎日同じ公演をやること自体が画期的──」だった。
AKB48の画期性については、握手券をはじめとする「AKB商法」や、ファンの投票によって選抜メンバーを決める「総選挙」が語られる。しかし、創業当時はまったく想定されてはいない。(※2)
握手会はレコードや書籍のプロモーションとして、むかしから存在していたし、総選挙はあるていどカタチが固まったからこそ、「ファンの要望に応じるため」として、2009年からはじまったものだ。
(それを大人たちがシステムとして組み立て、大規模化し、ビジネスとして拡大していった、とはいえる)
ふつう、劇団にしてもアイドルグループにしても、「人」ありきであって、「劇場」という箱モノから考えることはない。人の集団はうまく行かなければ解散して終わりだけれど、劇場はそうはいかない。レンタルに出すとしても、業態をかえるにしても、リスクが大きい。
ただ、人を育てる「場」として考えるならば、劇場をもっていることはとても有益だ。「おニャン子クラブ」には毎日放送される『夕やけニャンニャン』という「場」があった。
「──おニャン子クラブはあれはあくまでフジテレビありきで、フジテレビの具現化するスタッフとして僕がいたわけで、プロデューサーではないからね」(※3)
おニャン子クラブが消滅したとき、秋元康はまだ29歳の青年だった。
AKB48の創業時、秋元康は48歳。最前線で成果をつみかさね、信用と経験をえて、物事をコントロールできる幅もひろがった。アイデアはある、コネクションもある、人も集められる。
彼は「──小さなライブハウスや劇場からはじまって、だんだんと広がっていくのが見えるのをうらやましく思って…」いた。「──そういうことをやりたかったので、売れてなくても『楽しい!』…」と感じていた。
「──早く売れなければならないっていうのがなかったんですよね。『大声ダイヤモンド』(2008年)や『RIVER』(2009年)が売れた時に、〈よく頑張りましたね〉とか〈大変だったでしょう〉って言われて、あ、みんなそういう目で見てたんだぁ、と気づいたくらいで(笑)。本人は毎日楽しく、面白いなぁ、と思ってやっていたんです」(※4)
秋元康は高校時代から放送作家として働いていた。若き作家として参加し、出演グループの作詞も担当した番組は、2年半で消滅した。しかし作詞は彼に富をもたらした。彼はそこで恋もし、伴侶も得た。その後の海外生活は挫折によるものだとも聞く。ただ、作詞の才能は彼に名声をあたえ、気がつけば不惑も過ぎて、「あがりの成功者」と見なされていた。
彼は若い実業家に声をかけ、秋葉原に定員250人の常設劇場をつくり、「他のオーディションに落ちた子たち」や「何年もかけて作り上げられたもののなかに途中から入る勇気はなかった」ような女の子を集めて、新しいアイドルグループをつくりあげた。そして毎日の公演をはじめる。
彼女たちの「喜怒哀楽」を彼は見つめた。なぜ、そんなに歌詞が書けるのかと問われて、「──歌詞は彼女たちの観察日記」なのだと答えた。(※5)
劇場は彼女たちの「成長の場」であり、歌詞は彼女たちの「青春の記録」だった。
「──世の中の人から見る僕はすごく策士で、すごく計算して仕掛けている感じに見えるかもしれないけど、そんなことはほとんどないんだよね。なぜなら、高校生のアルバイトから始まって、次に何か面白そうなことがあったらそこにただ浮遊しながら生きてきたような人生だから」(※6)
高校時代から放送作家として働いていたという彼の、「青春のやり直し」が『AKB48』ではなかったかと、僕は思っている。
──「成長する『AKB48』 前田敦子は14歳だった」につづく
(※1)『QuickJapan vol.87』(2009年)p74-75
(※2)『48現象ーAKB48の真実』179pにはファンの回想として、「──劇場がオープンした2005年12月から、ほとんどファンとの交流の場を設けていなかったが、2006年2月に発売したCD『桜の花びらたち』の購入者対象握手会から、次第にそういう機会が増えていった…」とある。
エケペディアには「2005年12月16日、舞台装置が故障し公演が中止になった為、初めての『握手会』を開催」とある。AKB48の歴史 - エケペディア)
「選抜総選挙」とは関係ないが、当初、劇場には「ファンのみなさんの声を運営側が知るために、自分の好きなコの名前を書くアンケート用紙みたいなもの」があった。その用紙にメンバーではなく、カフェのアルバイトだった篠田麻里子の名前が多くあり、オーディションには落選していた彼女が急遽メンバーとして採用されたと、篠田麻里子自身が話している。『AKBヒストリー』p21
(※3)ライムスター宇多丸の『マブ論』p519
(※4)『マブ論 p486-487
(※5)『AKBヒストリー』p215
(※6)『マブ論』 p488
付録。
AKB48 オフィシャルブログの2005年8月8日の「ヒットの予感」というエントリーには、雑誌「WiLL」に掲載された秋元康のコラムが引用されている。抜粋すると──
「次のアイドルはどこから誕生するか?」「やはり秋葉原から生まれるだろう」「なぜなら、秋葉原に集まる 『萌え系(オタク系)』の若者のエネルギーは、目を見張るものがあるからだ」「アイドルが誕生するためには、まず、一部の熱狂的ファンの力が必要不可欠なのだ。ドミノ倒しの初めの一個目。これが、倒れないと、大衆まで広がらない」「僕は考えた。秋葉原に情報発信基地を作ろう。そこで、二十一世紀型アイドルを誕生させよう。それが、今年の十月にオープン予定の『秋葉原48シアター 』である」毎日ショーを行って「ショータイム以外は、ビデオコンサートを流したカフェとなる。早い話、劇場と今、流行の「メイドカフェ」をあわせたようなものを想像して貰えればいい。つまり、二十一世紀型のアイドルのコンセプトは、「会いに行けるアイドル」。秋葉原に行けば、いつでも、会えるというのがミソだ」「『萌え系』のファンが、自分の贔屓の女の子を応援してスターに仕上げて行く、アイドル育成シュミレーションゲームのリアル版だ。先に、劇場で盛り上げ、その噂を聞きつけたマスコミによって、一気に秋葉原の熱気が日本を席巻するという寸法である」
「僕の思惑通り、秋葉原48シアターはブレイクするだろうか?」
ヒットの予感 | AKB48 Official Blog ~1830mから~ Powered by Ameba
(全文を読むと、当初のコンセプトと結果できあがったものが微妙にズレていて興味深い。成功したあとのインタビューと違って、さすがに多少のハッタリもある。そして彼は疑問形でコラムを結んでいる)
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