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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

当塾では「中学受験」を志す親子をこれまでも多く指導させて頂きましたし、これからも同様の親子について指導させていただくつもりです。

 

勉強にしろスポーツにしろ、子供が目標に向かって頑張ることは、とても素晴らしいことだと思っています。最終的に事が上手く運ぼうが、そうでなかろうが、目標に向かって頑張った姿勢こそが大切であると、私は考えているのです。

 

そんな中でも私が少しだけ気になっているのは、令和の世になってもなお下らない「差別意識」をお持ちのご家庭がごく少数ながら存在している、ということです。

 

「中学受験をする子は「できる子」、しない子は「できない子」」

 

という「あなたはいつの時代の人?」と感じてしまうような「おかしな感覚」の方がいらっしゃるという事実です。正直なところ、「アホか?」と思ってしまうのです(笑)。

保護者がこのような思考の持ち主である場合、ほぼ確実に子供にも「伝染」します。勉強のできない子を馬鹿にし、スポーツのできない子を蔑むような、ひと言で言えば「嫌な子」に成り下がってしまうのです。「子は親を映す鏡」とはよく言ったものです。幼少期からこのような「差別意識」を植え付けられている子が、どんな大人になっていくのかは、まさに「推して知るべし」ではないでしょうか?

 

小学生だろうが中学生だろうが、

 

「ぜひこの学校に入学したい!」

 

という一心で一所懸命に勉強する姿だけが尊いのであり、だからといって「同じ選択をしなかった人たち」を馬鹿にする権利などあろうはずがないのです。ましてや、そのような誤った考え方を親が窘める訳でもなく、さらに煽り立てるなどという愚行は、私にはにわかには信じられない行為に映るのです。

 

「勉強ほど大事なものはない!」

 

などと考え、我が子に押し付けているようであれば、それははっきりと「間違い」だと断言できるのです。そのような「曲がった思考」のために、我が子が学校で「鼻つまみ者」になっている事実を、果たして自覚されているのでしょうか?同じ親として、私ならそんな状況は絶対に看過できないのです。

 

とある学校に「合格」するために勉強を頑張ること、あるいはもっともっと練習してスポーツが上達すること、およそ子供が目標に向かって頑張る姿は、私にとってはどれも同義であり、決して優劣などありません。私共は「勉強を頑張るお子さんたち」の手助けとなるべく日々微力を尽くしていますが、親としてお子様の「個性」に合わせた「手助け」を、保護者様にはぜひお願いしたいと強く願います。いたずらに子供に「損得勘定」だけを強いるのではなく、どのような手法だとしても、「今を頑張る!」お子様をぜひ応援して頂き、同時に他のお子さんの「頑張り」も認めて頂きたいと切に願います。

 

それこそが、昨今しきりに喧伝されている、

 

「価値観の多様性を認める」

 

ということなのではないでしょうか?私はそう考えます。

 

頑張りましょう!

 

今春から大学生となる次男は、通学の際、駅まで「原付」で通うことにしたようで、現在原付免許の勉強中です。大学に合格して、原付免許に不合格では実に「カッコ悪い」ので、一発合格すべく日々教則本と格闘しております(笑)。

 

既に「ばあば」から原付バイクの購入資金の一部をせしめている次男は(笑)、とりあえずは、

 

「中古車でもいいし、見てみたい!」

 

ということで、先週の金曜日に近隣のバイク屋さんを訪ねてみました。こちらは店構えは大きいものの、個人でやられているお店のようで、突然の訪問だったためどなたもいらっしゃらない様子でした。自宅からはほど近く、すぐに再訪できる立地であったため、連絡を入れた上で改めて訪問させて頂こうと思っておりました。

昨夜メールで連絡を取ると、朝には返信があり、

 

「営業時間中であれば、いつでもどうぞ!」

 

との返信を得たため、これから向かう旨の返信をした後に倅と訪問したのですが・・・

 

雑然とした店舗内には、やはり誰もいませんでした(笑)。店舗入り口のチャイムが何度もけたたましく鳴り響いていましたが、それでも何の反応もなし。休業日や営業時間を再度確認しましたが、どう見ても「やっているはずの日」なのです(笑)。

仕方なく「来たけど、誰もいない!」旨のメールを送信し、その場を後にしたのですが、その後に返信があり、

 

「事務所にいて気がつきませんでした。」

 

「昼休み中だから、電話してから来て!」

 

こんな内容の「極めて無礼な」返信でした(笑)。おそらくは「事務所」なんて嘘で、どこかに出ていたのだと思われます。「来る前に電話」などと、「後出し」してくるのも非常に不誠実です。要は「いい加減な奴ら」だということに尽きるでしょう。我が家から割と至近でありながら、この店舗からバイクを購入したという話をあまり聞かないのも、このような杜撰な対応があったからなのかもしれません。

車やバイクは「命を乗せて走る」ものですので、デタラメな対応をされては、それこそ「命に係わる」ことになります。そういう意味では、購入前にこのお店の「本質」がわかって、よかったのかもしれません。こんなデタラメな輩に、大切な倅の「命を預ける」訳にはいきませんから。

 

何よりも、「基本的な約束を平気で反故にする」「後から自分に都合のよい「言い訳」ばかりを並び立てる」という行為は、商売人として、というよりも、人間としてどうなの?と率直に感じてしまいます。私自身も塾経営者としてすべての顧客の要望に完全に答えることは事実上難しいことかもしれませんが、それでも「時間を守る」くらいの「当たり前のこと」だけは、しっかり対応しようと、改めて感じた火曜日の午前中なのでした。

 

頑張りましょう!

本日は確定申告の締め切り日でした。

毎年思うのですが、この事業者にとって生産性が全くないにもかかわらず、仕事量だけは膨大な作業を、しかも学習塾にとって最も繁忙な時期に強制されるのは、もはや「拷問」でしかないのです(笑)。それでも、あらかじめ締め切りが決められていたものを、忙しさにかまけていつまでも先延ばしにしていた私自身に大きな責任があるのは自覚しているのですが、せめてもう少し締め切りを延ばせないものかと、毎年考えている私なのでした(笑)。

 

今年も例の如くギリギリになってようやく終了、近年は申告書の提出も便利になって、ネット経由での提出なのですが・・・

24時間稼働中なはずの「e-tax」が、なぜか「メンテナンス中」になっています。時間は午前2時、急遽国税庁のホームページを確認したのですが、確かに「稼働中」と表示されていて、メンテナンス中とは出ていないのです。そりゃそうです、この時間は全国の申告納税者が「駆け込んで」いるはずなのですから(笑)。

 

X(旧ツイッター)でリアルタイムな反応を確認したところ、やっぱり、

 

「e-taxが止まっている!」

 

との投稿で溢れ、まさに阿鼻叫喚状態でした(笑)。私自身も提出後は明日に備えてさっさと寝る予定でしたが、データは保存したものの、何だか不安で寝るに寝られず、時間をおきながら何度も送信を試みたものの、何度やってもダメで、途方に暮れてしまいました(笑)。

 

3時ころに再度送信を試みたところ、ようやく「送信完了」と出て、ようやく床に就いたのが3時過ぎ、心身ともに疲れ切ってしまいました。

 

最終日にアクセスが集中することは「わかりきっていた」はずです。なぜ脆弱なままサーバーを放置していたのか、大いに疑問です。繰り返しになり恐縮ですが、もちろん私自身が計画的に事を進めなかったことが問題であることは百も承知ですが(笑)、申告者が不安になるような状況は、極力回避して頂きたいというのが「ギリギリ申告者」の偽らざる本音なのです(笑)。

 

国税庁としても、オンライン申告に税制上の優遇措置を設けたり、ネットでの申告を推奨しています。であるならば、不安なく申告できる体制づくりは急務だと考えます。一方で、「何でもかんでもオンラインで!」という現在の風潮について、一度立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと考えた次第です。

 

とにもかくにも、何とか今年の「確定申告」も無事終わった、というだけのご報告でした(笑)。

 

頑張りましょう!

円滑な人間関係を構築することは、誰にとっても決して容易いことではありません。どんなに待遇が良い職場であっても、人間関係が良好でなければ、「働きやすい職場」だとは感じられないはずです。我々が「人間らしく」生きていくためには、「他者との絡み」は避けて通れないものであり、極力軋轢を生まないように身を処すことが「ベター」なのは言うまでもありません。

 

一方で、特に人間関係の悩みなどは、「自らの気持ちの持ちよう」ではないかと、私は考えているのです。いい意味での「鈍感力」とでも言いましょうか(笑)、他者からのネガティブな感情を、あえて「感じない」図太さというか、鈍感さというか、もっと言えば「極めて杜撰な感受性」のようなものも、時には必要な気がするのです。

 

大の大人ですら心を病むことがあるくらいですから、中高生が人間関係によって大いに心を痛めることは容易に想像できます。そんな時は、ぜひ以下のような点を考えてみて頂きたいと思います。

 

まずは「逃げ道」を想定しておくことが重要です。

のっぴきならない「危機」が迫っているような状況であれば、まずは「逃げる」のです。学校が「危ない場所」だと感じたら、躊躇なく「行くのを止める」選択をすべきでしょう。誰が何と言おうと、これは必ず実行すべきです。そして「学校へ行くこと」と「勉強をすること」は同義ではないということもしっかりと自覚しておくべきです。

また、「計画」を立てておくこともまた大切なのです。辛い状況に置かれた子の中には「転校」を視野に入れている子もいるかもしれません。半年後、1年後と中長期にわたる「計画」を立て、準備しておくことが必須です。本当に実行するかどうかは別として、仮に1年後に転校する計画を立てれば、

 

「それまでの辛抱だ!」

 

と楽観的に対応することができ、少しだけ心にゆとりを持つことができるでしょう。そのほんのちょっとの「心のゆとり」が、少しずつ日々の生活に変化を与えてくれるかもしれません。「いつだって逃げ出すことができる!」という事実は、思いのほか心を軽くしてくれるものなのです。

 

人間が生きていく上において、「忍耐」や「我慢」は必ず必要であり、そのことが自分自身をひと回りもふた回りも成長させてくれることがあります。一方で、限界を遥かに超えた我慢を強いられることは、心や体に「癒えない傷」を残すこととなります。

少し前に「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが大ヒットしました。もともとはハンガリーのことわざだそうですが、その意味をまとめれば、

 

「自分の「戦う場所」がここではないと感じたら、躊躇なく逃げよ。それは決して「恥」ではない。真の意味で自分が「戦うべき場所」へ向かうべきだ!」

 

とのことです。あなたが今いる場所が「忍耐」や「我慢」をすべき場所ではないと感じたなら、今すぐ「逃げる」べきである、ということを忘れないでください。

そして「親や先生には相談しにくい」ことがあれば、ぜひ「塾のおっさん」に気兼ねなくお話ししてください。気の利いたことは言えないかもしれませんが、ほんの少しの間だけでも「笑顔」にさせる自信だけは持ち合わせていますので(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日は公立高校の合格発表でした。

 

喜びの声の中に、少し心配そうな「訴え」もありました。

 

「合格したけど、英語の課題が追加されてる!」

 

入試においては「様々な事情」で「合格」にはしたものの、高校の先生から見れば、

 

「この学力では、ちょっと・・・」

 

というケースが多々あるのです。もともと合格後には一定量の「課題」が出され、その課題の中から入学直後に「実力テスト」が実施されるのですが、「全員に一律に出す課題」の他に、科目ごとに「大きな懸念」がある子については、「特別な課題」が出されることがあるのです。

 

「何で自分だけ余計な宿題を出されるんだ!」

 

と大いに憤る子も少なくないのですが(笑)、高校側としてはそれだけ合格者の「学力」をしっかり見てくれているということなのです。決して文句を言ってはなりません、言わば「親心」なのですから(笑)。明らかに他の合格者との「学力差」があるのが現実なのですから、入学までのモラトリアムな時期にしっかりと「追いついておく」ことが、入学後の学習の行方を左右することにつながります。

 

もっとも、合格はしたものの、入試の結果が思わしくない場合は「特別な課題が出る」ケースがあるということは、私から事前に何度も「警告」していたのです。人の話をしっかり聞いていないから「びっくりする」ことになるのです(笑)。これを機に、他人からの指導や助言には、極力耳を傾ける「大人の対応」を学んでほしいと、強く願っているところです(笑)。

 

何度だって申し上げますが(笑)、受験が終わって「イッチョ上がり!」では決してないのです。我が子の「行き先」が無事決まって、ほっとされる保護者様の気持ちは痛いほど理解できますが、この先もまだまだ「勉強の日々」が続くことを努々忘れてはならないのです。「浮かれ気分」な子供に、適切な「冷や水」を掛けることができるのは、親をおいて他にないのです。せっかく「合格」したのですから、今から「入学後の生活」を考えながら日々を過ごしていかなければなりません。今の時期からきちんと学習に取り組んでいる子と、文字通り「遊び惚けている(親)子」の間には、「埋め難い差」が生じてしまうという事実を、しっかりと認識していただきたいと強く感じます。

 

私からすれば、

 

「やっぱりそうだろ!だから言っただろ!」

 

という感じなのですが(笑)、せっかく頂いた「特別課題」なのですから、高校の先生が驚くほどきちんと消化して、来るべき「新年度」を迎えるようにしましょう!

 

頑張りましょう!

いよいよ本日は静岡県の公立高校合格発表の日です。私自身も少し緊張を感じながら、朝から「結果報告」を待っているところなのです。

 

近頃では幼稚園の運動会などにおいて、「順位をつけない」ことが多々あるそうです。「みんな一緒に、手をつないで」ゴールすることが「美しく」、いたずらに「差別」を助長しないための方策とのことですが、賛否両論はあれど、私は「勝った子」も「負けた子」も、どちらも尊いと考えています。もっと言えば、「結果」だけに執着し、「優劣(勝ち負け)をつけない」こと自体に少なからず違和感を感じざるを得ないのです。

 

世の中に出れば、嫌でも様々な「理不尽」や「競争」に晒されることは火を見るよりも明らかなのです。「学業成績」が問われることは当然ありますし、働き始めれば給与や待遇が大きく異なることだってあるでしょう。「平等」の意識は極めて大切ですが、何をもって「平等」とするのかは議論が分かれるところだと思うのです。

頑張った人にはそれなりの「見返り」があり、頑張らなかった人にはやっぱりそれなりの「報い」がある社会が「当たり前」だと考えるのは、果たして私だけでしょうか?いずれにしても、生きていく限りは他人との「共存」と「競争」は避けて通ることはできないと思うのです。

大切なのは、どのような「結果」がもたらされたとしても、そこまでに至る「経過」がどうであったのか、ということでしょう。極めて残念ながら、努力が全て報われるほど、世の中は甘いものではありません。けれども、「頑張った経緯」だけは現実としていつまでも残り、きっと「次の機会」に生かされるであろうことを、私は信じて疑わないのです。

 

高校入試は人生において重要な「岐路」であることは確かですが、長い人生を考えれば、ひとつの「通過点」であるとも言えるのです。無事合格できれば、もちろん素晴らしいことではありますが、たとえ望ましい結果が得られなくとも、「頑張った末の結果」であるならば、ぜひ胸を張って「第二志望」に進学して頂きたいと強く願います。今は「耐え難い悔しさ」さえも、後の人生の大きな「財産」となることを、私が保証いたします。「挫折」を知った人こそが、本当の「強さ」と「優しさ」を備える人だということを、私は身をもって感じているのです。

 

全ての高校受験生の皆様、胸を張って「結果」を受け入れてきましょう!どのような結果であっても、皆さんの「未来」は極めて明るいものであることは間違いないのですから!

 

頑張りましょう!

昨日は月1回の通院日でした。

 

前回の血液検査の結果が良好であったため、この1か月は薬を減らしていました。主治医の先生曰く、

 

「薬を減らしたので、次回の血液検査では数値が少し悪化するかもしれませんが、それでも特に問題ないですから。」

 

との言質は得ていたものの、少し心配な気持ちのまま受診日を迎えたのでした。

 

朝一番の予約診療であったため、受付を済ますとすぐに尿検査、血圧測定、採血と、極めてスムーズに流れました。いつも通り先生は各々の患者さんと「これでもか!」というくらい丁寧に会話をされるので(笑)、それでも幾分かは待ったのですが、私がイライラしはじめるずっと前に診察室に呼び込まれたのでした(笑)。

問題の「HbA1c値」ですが、「5.7」となりました。前回よりもさらに0.2の減少で、減薬したにもかかわらず、極めて良好な結果となりました。先生にもお褒めの言葉を頂戴し、私自身もほっとひと安心だったのでした(笑)。

 

以下、先生との会話です。

 

「最近、牛乳が美味しく感じていて、1日1リットルほど飲んでしまっているのですが、大丈夫でしょうか?」

 

「牛乳も脂質を含んでいて、カロリーも低くないので、飲み過ぎには注意が必要です。でもあえて低脂肪乳を選んでいるようですし、間食をするくらいだったら、牛乳を飲む方が何倍もよいと思います。蛋白なども出ていないようですし、今のまま飲み続けても大きな問題はないと思いますよ。」

 

「今年はとにかく花粉症が辛いです・・・ただ、今でさえ多くの薬を服用しているのに、これ以上薬を飲むのは少し不安です。」

 

「花粉症の薬を服用するのは、1年のうちでも一時期なので、そこまで気にする必要はありませんよ。お仕事柄、眠気が出ると困ると思いますので、眠くならないお薬を出しておきますね。」

 

私の疑問や不安に、丁寧かつ的確に、しかも時間を気にせずに回答して下さる先生に、非常に感心しました。人にものを教える立場として、私自身の仕事の上でも極めて有用な応対だと感じました。何が「ダメ」で何が「良い」のか、明確に提示し、現状の問題点と改善点、そして素晴らしい点を「わかりやすく」指摘すること、これは学習指導の場でもしっかり生かせることだと思います。

 

前の主治医から「匙を投げられ」(笑)、一時はどうしようかと思いましたが、思いがけなく素晴らしい先生と出会うことができ、今や「追い出してくれた」前の主治医に感謝したいくらいなのです(笑)。今後も順風満帆な経過をたどるとは限りませんが、「良いこと」も「悪いこと」もざっくばらんに相談できる「主治医」とともに、健康維持に努めていこうと決意を固めた私なのでした。

 

頑張りましょう!

14年前の今日、私はそろばん教室で指導している母と、そこに通っていた当時小学2年生の長男を連れて、車で三島教室に向かっていました。

 

とある橋のたもとには、このあたりでは人気のイタリアンレストランがあり、「いつも通り」そのお店の前を通りかかったところでした。車が左右に大きく揺れ、

 

「あれ、橋が揺れているのかな?それとも風が強いのか?」

 

などと暢気なことを考えていたのですが、そのイタリアンレストランから血相を変えたお客さんが我先にと外へ逃げ出す姿を目の当たりにした時、すぐに「異常事態」が発生していることに気づきました。

 

「もはや、日本が終わるのではないか?」

 

という暗澹たる雰囲気の中、4日後の3月15日の深夜に大きな「余震」がやって来たのでした。富士宮市で実に「震度6強」、教室にいた私は、人生のうちでもっとも大きな揺れを感じたのでした。

 

「じゅくちょうさん、生きてるか!」

 

当時懇意にしていた藤沢市の同業者の方からお電話を頂いたこと、今も忘れられません。

 

毎年美味しい果物を差し入れて下さっていた、お医者様であり、塾生のお母様である方が、申し訳なさそうに、

 

「じゅくちょうさんは、放射能を気にされますか?」

 

と、立派な長野産のリンゴを持ってきてくれました。もちろん美味しくいただきました。少々「汚れて」いたって、私には「食べない」理由などなかったのです。

 

真夏の計画停電では、エアコンが使えず、電気もつかず、極限の蒸し暑さの中で「懐中電灯一本」で塾生を待ち続けた夜。

親が東京電力に勤めていた塾生たちが(当塾近隣に東京電力の家族寮があったのです)、

 

「お父さんたち、本当に大丈夫なんだろうか?」

 

と子供ながらに親の心配をしていたこと。

 

当時年中さんだった次男が、テレビで繰り返し放送されていた「津波」の映像を見て、

 

「パパ、お引越ししようよ!」

 

と必死に訴えるようになってしまったこと。海岸線から徒歩数分、本来であれば自然豊かで風光明媚なはずの「我が家」が、幼い次男にとっては大いなる「不安の種」になってしまったこと。

 

教室からの帰り、車窓から見る景色は文字通り「漆黒の闇」で、住居はもちろんのこと、コンビニでさえ電気がついておらず、唯一光を放っていたのは、発電機で運用されていた幹線道路の「信号機」のみ、「もはやこの国はもはや終わってしまったのだ。」と思わせるには十分な状況だったのです。

 

まだ幼い子供2人を抱えて、この先どうやって生きていくのか、震源地からは遥か遠いこの静岡の地でさえも、真剣に考えざるを得ませんでした。

私たちは自ら「生きている」ことは確かですが、同時に何か「見えざるもの」によって「生かされている」のかもしれないと感じます。今、自分が「生きていること」は決して「当たり前」ではなく、単に「幸運な偶然」が重なっているだけなのかもしれません。ひとつだけはっきりしているのは、この悲しい出来事を決して「忘れてはいけない」ということなのです。

 

1年に一度、せめて今日という日だけでも、被災された多くの方々に思いを馳せ、亡くなられた方々に改めて哀悼の意を表すべきでしょう。どのような事態に陥ろうとも、人間は「生きていく」ためには何らかの「光明」を見出していかなければなりません。地震をはじめとする「自然災害」からは避けようがない地理的条件である我が国において、少しでも被害を軽減するための「知恵」を学んでいかなければいけないという「決意」を新たにするための一日でもあるのだと、私は考えているのです。

 

東日本大震災で亡くなられた多くの方々に対して、改めまして謹んで哀悼の意を表します。多くの「尊い命」を失ったことを、決して無駄にしてはならないのです。

 

頑張りましょう!

 

私事で誠に恐縮ですが、再来月に長男が「教員採用試験」を受験します。自分自身が非常に「手がかかる子」であったにもかかわらず、よくも他人様の大切なお子さんの面倒を見ようとするものだ、と親ながら我が子の「厚顔無恥っぷり」には驚きを隠せないのです(笑)。

 

まあ、「それはそれ」として、当の本人は極めて大真面目に「教員」なるものを目指している様子なので、私などが口を挟むべきではないのですが、倅に限らず、純粋に「教員」、もっと言えば「公務員」を目指している学生諸君に「現実」を打ち明けるべきか、大いに悩むところなのです。

 

以前当塾に小学校の先生を志望していた女性講師が在籍していました。彼女は私から見ても実に優秀であり、大学での成績もトップクラスだったようです。県外の大学に在籍していた彼女は、同じ大学から7人の学生が静岡県の教員採用試験を受験したそうなのですが、そのうち3人のみが採用、残念ながら彼女は不合格となってしまいました。

しかしながら、合格者である3人は、両親もしくは両親のいずれかが「教員」であり、不合格であった4人は「教員」とは縁もゆかりもないお宅のお子さんだったのです。加えて言えば、大学における「成績」は、軒並み「不合格」であった子たちの方が上位であったそうです。

 

「こんなことがあっていいんですかね?」

 

悔しさを嚙み締めるような表情だった彼女ですが、不幸中の幸いと言いましょうか、静岡ではない自治体の採用試験に合格し、今も「先生」を続けていらっしゃるようです。

 

このような事態がただの「偶然」だと信じている人は、かなり「おめでたい」人であり(笑)、公務員に絡むこの手の話は枚挙に暇がありません。純真無垢な学生たちが、このような世界にあえて飛び込もうとする姿を見る度、私としては何だか複雑な気分になってしまうのです。

「青雲の志」をもって奉職したはずの彼らが、いずれは「朱に交われば赤くなる」状況に陥っていくのは、とても「正常」な状態ではないと考えるのは、果たして私だけでしょうか?いやしくも学校において子供たちに「正しい道」を教える立場の人間が、実はひたすら「邪道」を突っ走ってきた連中であった事実は、全く持って「笑えない喜劇」と言う他ないのです。

 

もしかしたら、この世の中には真の意味での「公平」などあり得ないのかもしれませんが、このような「理不尽」を若者たちに強いる「クソみたいな連中」を、私は心の底から軽蔑して止まないのです。倅に限らず、誰にとっても「公平・中立」な世の中であることを、願わずにはいられない私なのでした。

 

頑張りましょう!

私は毎週火曜日と木曜日は「沼津教室」の担当で、それぞれ2~3コマの授業を行っています。

 

そのうちの一人であるA君は、私の出身中学校の後輩であり、また同じ「野球部」所属ということもあって、私としても並々ならぬ決意で厳しく指導に当たっているところなのです(笑)。

 

そのA君なのですが、少々「そそっかしい」ところがあり、私が指定した宿題を、「違う問題」をやってきてしまったり、小テストのテスト範囲を「間違える」ことがしばしばでした。宿題自体を全くやってこないという訳ではないので、これはきっと彼の「天然さ」なのでしょうが(笑)、指導する立場としてはこのまま放置する訳にも行きません。そこでいわゆる「ポストイット」に宿題や小テストの範囲を記入し、それをテキストに貼り付けるようにしたのです。この影響か、A君の「天然さ」は以前よりは格段に改善されていったのでした(笑)。

 

同時に、A君は授業前後に何やらゴソゴソとするようになりました。一体何をしているのだろうと思っていたのですが、どうやらこんなことをしていたようです。

糖質制限中である私の貴重な「食料」である「白菜キムチ」の空き瓶(この空き瓶があと20個くらいあります(笑))の中にあるのは、「折り紙の鶴」なのです。A君は確認を終えたポストイットのメモを使って、せっせと「鶴」を折っていたのでした(笑)。

 

A君曰く、「鶴」以外の折り紙の折り方は知らないようで、ひたすら「鶴」ばかり折ります。A君に影響されてか、なぜか私も「鶴」を折り始め(笑)、気がつけば「白菜キムチ」の2つ目の瓶もそろそろ埋まってきそうなのです(笑)。これまで「用済み」となったメモは丸めて捨てるだけでしたが、「鶴を折る」ことを始めてから、「メモのゴミ」は激減しました。だからといって、これが「エコ」である訳もなく(笑)、ただただ「無目的」な「鶴」が日々増えていくだけの、実に不思議な現象が続いているのです(笑)。

 

A君のためだけでなく、私自身も「うっかり忘れ」を防ぐために、机の周りにポストイットを貼りまくっているのですが(笑)、用が済んだら必ず「鶴」を折ることにしており、ここ最近の「鶴の増加量」は尋常ではありません(笑)。

 

世界の平和や誰かの病気治癒を願う等々の「高尚な目的」など決してあろうはずがないまま、私とA君の終わりなき「鶴の折り紙」は、A君が在塾している限り、今後も続いていくのだろうと、極めてどうでもよいことをぼーっと考えていた土曜日の夜なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!