私は高校時代に野球部に在籍していたことは、このブログでも何度かお話ししました。この野球部では、卒業後も選手間のみならず、保護者同士も時折食事会などをして交流を深めていました。
ある「お母さん同士」の食事会の時に、ちょっと面白いことがあったのです。
もう二十年も前の話ではありますが、同級生6人の母親が揃っての食事会の席で、それぞれの「倅の将来」について話したそうです。偶然にも同級生全員が「長男」であり、
「長男とは、どうあるべきか」
というテーマについて話をしたそうです。とはいえ、6人中4人のお母さんは、
「今時、長男が次男が~などというのは時代錯誤では?」
という意見だったそうですが、
「長男たるもの、家を継いで家系を守っていく義務があるのだ!」
と最後まで頑として意見を曲げなかったのが私の母とI君の母なのでした(笑)。
私の母とI君のお母さんの驚くべき共通点は、
①夫を同じ病気(胃がん)で、同じ病院で、しかも同じ病室で、さらに同じ年齢(52歳)で亡くしていること。私の父よりI君のお父さんの方が1歳年上だから、I君のお父さんが亡くなったちょうど1年後に私の父が亡くなっている。
②I君のお母さんは数年前から、私の母は昨年から認知症を患い、I君のお母さんは既に施設に入居している。
③子供はともに「一男一女」。
④ついでに、私の子は男二人だが、I君の子供は女二人(笑)。
I君ともよく話すのですが、これだけ「偶然の一致」が続けば、もはや「必然」ではないかと思わざるを得ないのです。はっきり言えば、ちょっと気味が悪い(笑)、それほど似通った境遇なのでした。
これが本当に「偶然」なのかと言えば、私にはそうは思えない部分も多々あるのです。今を生きる私たちは、すべてにおいて「健全な猜疑心」を持たなければいけないと、強く感じます。何の疑いもなく、「昔からそうだったから」「そういうものだから」という盲目的な思考を持ち始めた時こそが、「老い」の始まりなのかもしれません。「これでホントに大丈夫なのか?」という「疑り深さ」こそが、新たな価値観を発見することにつながり、ひいては自らの人生を豊かなものにしてくれるのではないかと思うのです。
「あーでもない、こーでもない!」と思索を巡らせること自体が「頭の体操」なのであり、古い価値観に凝り固まっていることが、実は「思考停止」状態なのかもしれないと、数奇な運命の2人を見て、率直に感じた私なのでした。
頑張りましょう!

