この記事をご一読頂きたいと思います。
この記事の「誠さん」という方、私と同世代であり、危機的な少子化に陥っている現在とは大きく異なり、「子供がウジャウジャいた、実に景気が良かった時代」に生まれ育ちました。
「現代社会は「孤独」が増えていて、問題だ!」という内容を主張したかった記事のように推察しましたが、私からすれば「身に詰まされる思い」がする一方で、少なからず「違和感」を感じずにはいられませんでした。
「孤独」が「悪」なのか、といえば決してそうではないと私は思うのです。人間同士の「健全な」触れ合いは確かに貴重ですが、同時に「煩わしさ」を感じる人もいるでしょうし、そんな人はあえて「孤独」を選択したりするものです。
「あの人、孤独で寂しそう・・・」
などと感じるのはあくまで「個人の主観」であり、当の本人からすれば「孤独を謳歌」しているかもしれないのです。「多様性を尊重」するなどと宣いながら、実のところ「幸せとはこういうこと」という「同調圧力」に屈しているだけなのでは?と勘繰ってしまうのは果たして私だけでしょうか?
記事によれば、「誠さん」は決して「怠け者」ではなく、むしろ経済的困窮から脱しようと懸命に努力されてきたように思われます。それでも度重なる「不運」の連続で現在の状況に陥ってしまったのです。これを「敗者」などと切り捨ててしまってよいものだろうか?きっと誠さんと同じ「社会的敗者」であろう私としては、いくらオールドメディアの眉唾記事であったとしても「これはちょっと・・・」と感じてしまうのです(笑)。
「頑張ったから、報われる」ほど、世の中は甘くないのは言うまでもないことです。それでも「頑張った過程」に目を向けられる「人間」でありたいし、「グッドルーザー」たちへの「セーフティーネット」は必要不可欠だと思います。「経済的成功」や「社会的地位」だけが「人間の価値基準」ではないという「ごくごく当たり前の真実」を、今一度認識すべきではないでしょうか?
心を病みながらも、今なお懸命に前を向こうとする「誠さん」に、最大限の敬意を表したいと思います。私自身、同じ「負け組」と蔑まれる者の一人として、決して譲れない「価値観」だけは堅持していくことを強く誓った火曜日の朝なのでした。
「幸せ」か「不幸」かを決めるのは、「他人からの評価」ではなく、「自分自身」なんだよね。
頑張りましょう!


